ハチという少年
少年の足は速く、それでも鍛えているだけあってベルカの方が速いには速いが、地の利は向こうにあり、人混みや狭い路地を小さな体でひょいひょい通り抜けて、見失わないようにするのがやっとだった。
そうしてたどり着いたのは、町のはずれ、絢爛な中央の通りとは打って変わって重苦しい空気の漂う貧民街だった。悪臭が漂い、道に並ぶあばら家は今にも崩れそうで、ぼろきれをまとった人間がうつろな目をしてしゃがんでいる。同じ町とは思えなかった。
少年の身なりもひどかったので、彼はここの住民なのかもしれない。だとしたら、ホームスペースということ。抜け道だって知り尽くしているはず。多分一瞬でも見失ったら二度と見つからないだろう。
少年が角を曲がって路地に入るのが見えた。まずい、と思い足の速さをさらにあげてベルカも角を曲がると、意外なことに少年はすぐそこに立っていた。
正確には、兵士の格好をした男二人に道を遮られていた。
「また盗みかぁハチ。その荷物こっちによこしな!」
ハチと呼ばれた少年は片方の兵士に腕を掴まれ、もう一人に肩へかけていたベルカのリュックサックを奪われた。
「こうして張ってればお前みたいな馬鹿が勝手に獲物を持ってきてくれるからおありがてえ話だ。治安は守られ、俺たちの懐は潤う。いいことづくめだぜ」
「ただ最近囚人の間で疫病が流行ってばたばた死んじまってな、犯罪者はタダで働かせられる最高の労働力だってのに、これじゃ足りねんだわ。というわけで、もう泳がせるのはなし。現行犯で逮捕だ、てめえは」
「くそっ、離しやがれ!」
ハチは暴れるが、子供の力ではいくら頑張ってもどうしようもない。
「あのー……」
ベルカは兵士たちに声をかけた。
「そのリュックサックは俺のなんですけどね」
「ああん? そうなのかハチ」
ハチは気まずそうな顔で舌打ちをした。
「ふん、盗人を捕まえた俺らに感謝しろよ旅人さん」
「いえ、盗まれたなんてとんでもない。俺はその子に自分の鞄を運んでもらってただけですよ、ねえ?」
ハチは一瞬ぽかんとしたがすぐに理解して、「そ、そうだ! おいらがこの人に頼まれたんだ! 捕まる理由なんざどこにもねえ!」と嘘をついた。
「てめえ、いい加減なこと言ってんじゃねえぞ」
「いい加減も何も本当のことです。離してあげたらどうですか」
「……次はねえからな」
捨て台詞を残して、兵士二人は鞄を置いて去っていった。
「これに懲りたらもう盗みなんかやめな」
「どうしておいらを助けた!? 同情するならその荷物、おいらによこせ!」
「全部は無理だけど」
ベルカはリュックサックを開き、エルフにもらった一週間分の食料をすべて少年に差し出した。
「これだけあればしばらくもつだろ?」
「なっ……」
ハチは受け取るかどうか迷ったあげく、ベルカの手を弾いた。
「バカにしやがって、施しなんか受けるかよ!」
「いやどっちだよ」
ベルカがこぼれた食料を集めていると
「ハチっ!」
路地に一人の女性が駆け込んできた。修道服を着込んでいることから、どこかの教会のシスターだろうか。
「げっ、なんでここに」
「あなたが大きな荷物をもって走っていく姿が見えたんです。もしかしてまた盗みを!?」
ハチの沈黙を肯定ととらえ、シスターは汚れた路地に土下座した。
「申し訳ございません! 償いなら私がいたしますから、その子を官憲につれていくのだけは許していただけないでしょうか。あとで私がきつく叱っておきますので!」
「しませんよそんなこと」
「この兄ちゃん、おいらが兵士につかまってるところを助けてくれたのさ」
シスターは驚いて顔を上げ、瞳を涙でうるませた。
「ああっ、なんと慈悲深い! あなたが苦しんでいるとき、きっと神は救いの手を差し伸べてくださることでしょう」
大げさだなあと思いながら、ベルカは頭の後ろをぽりぽりかいた。
「お詫びにお茶でもいかがでしょう、おもてなしさせてください」