コルバ郡都レダニエ
急な出立にも関わらず、長老は旅の荷物が入ったリュックサックに、馬を2頭も用意してくれた。エルフ達の盛大な見送りを受けながら、ベルカはまず村に戻った。畑と家は好きにしていいと言ったが、帰ってくるまでちゃんと残しといてやると言われて、ベルカは涙ぐんだ。リーヤの母親にレダニアに行くことを伝えたら、元気にやっているか、見てくるだけでいいからくれぐれもよろしく頼むと強くお願いされた。もちろんそのつもりだ。
そして小さな町を挟みながら、馬で3日間かけて、ついにレダニエにたどり着いた。
ヒューマンの王が統治するエイダーム王国の、行政区画の一つであるコルバ郡は、首都からの距離を考えると地方であると言わざるを得ない。それでも郡都レダニエは、他の町に比べれば間違いなく発展していた。それを支えている特産品の蒸留酒は、レダニエが発祥の地でもあることから、たくさんの人に愛されている。「人類の祖は神なり、文明の祖はレダニエなり」などという酒好きの冗談があるほどだ。
そこで、ベルカとエリエルはまず居酒屋を訪れた。酒が有名ということは、それ目当てに町だけでなく外から来る人間もいるということ、つまり情報が集まるとふんだのだ。案の定、平日の昼間だというのに、店は人でにぎわっていた。
大半の人が片手に持っているグラスに注がれているのは、ナツメヤシの実を原料とした伝統的な製法によってつくられた蒸留酒だ。実際味はたいしたことないのだが、町の人にとっては昔ながらの親しい味、観光客にとっては一度は飲んでおきたい味というわけだ。
周りの話を聞きに行くにしても、居酒屋で酒を頼まなければ追い出されてもしょうがないので、ベルカとエリエルは同じ酒を注文した。
「エリエルはお酒好きなのか?」
飲む前になんとなくベルカは聞いてみた。
「まだ、よくわかりません。最近になって初めて飲んだので」
「ん? でもエリエルはエルフだし、きっと俺より年上なんだろう」
「失礼ですが、ベルカ様のご年齢は?」
「14だけど」
「じゃあ私は2つ下ですね」
「……まじ?」
「まじです」
エイダーム王国の法律では飲酒は13歳未満禁止だった。ヒューマンの王が決めたことなので、エルフは関係ないのかもしれないけど。
「大丈夫か? これ結構度数高そうだけど」
「ご心配なく。強いので」
それならまあと、小さく乾杯して、ベルカはくいっと一口飲んだ。酒というより、アルコールをそのまま飲んでいるような感じの味だ。
「かはっ……喉があっついなあ。チェイサー頼もうかエリエル――」
エリエルはぐびぐびと水のように蒸留酒を飲んでいた。マスターが「おっ、姉ちゃんいい飲みっぷりだねえがはは」と嬉しそうにしている。
「おまえそれそうやって飲むもんじゃないぞきっと!」
ベルカの忠告空しく、エリエルは空になったグラスをだんっ! とテーブルにたたきつけた。そして少しの間顔を俯かせたまま硬直していたが、やがて人形使いに操られる人形のようにぐあっと顔を上げてベルカに向けた。
その顔の色は、まさにゆでたタコだ。全然強くないじゃないか。
「れるかしゃま」
名前もろくに言えなくなっている。
「お言葉ですがれるかしゃまは、天帝の末裔としてのお自覚がお足りないのでは?」
「いやだから俺は王様になりたいわけじゃ」
「そういうとこぉ!」
エリエルは豹変してテーブルを叩いた。周囲の人目が恥ずかしい。
「あなたがちょーっと万象珞の力を使えば、そこら辺の人間なんか恐悦至極でひれ伏し奉ること請け合いでしょうに」
「いやいや、天帝なんて過去の人なんだから、今時信奉者なんていないだろ」
「おや、ご存知ない?」
エリエルは腕を枕にしてカウンターに突っ伏しながら、顔だけをベルカに向けている。
「今の世界政府はあらゆる種族の代表が集まってできていますが、誰が一番ということはありません。トップがいないのです。これはわざとなんですよ」
「なんでさ」
「いつか天帝の末裔が現れたときに、トップに据えるためです」
ベルカは開いた口がふさがらなかった。
「天帝時代の繁栄は、当時からの生き残りで、今偉いポストについている人はみーんな知ってますから。だから建前として、この政府はあくまで仮のものであり、天帝の末裔が現れたら譲り渡すって公言して、そいつらを納得させたんですよ。つまりあなたは既に世界を掌握する権力を有してるってわけですね。こんな田舎の郡主はおろか、王様よりも偉いんですよ。すごいでしょ?」
ベルカはへらへらしているエリエルの額に向けてでこぴんを一発放った。ぺっちーんと乾いたいい音がする。
「いったあーいじゃないですかあ!」
「だったらなおさら力を使えないだろ! 世界政府のトップなんかになったら自由に旅ができなくなるじゃないか!」
「やればいいでしょうよお。その権力があれば、悪い郡主なんて牢屋にぶち込めるし、貧民街にお金をばらまくことだってできます。あなたの目指す理不尽に苦しむ弱い人を救うには、それが一番手っ取り早いのでは?」
酔っぱらっていても、エリエルの指摘は、一つの正解であるようには思えた。だけどベルカには、自分が誰かの上に立っている姿を、どうしてもイメージすることができなかった。
「高いところから見る景色は気持ちいいけど、細かいところは見えないだろ? 俺は下から見て、物の良し悪しを判断したいんだよ」
エリエルはそれを聞いてしばらく黙っていたが、やがてふっと笑った。
「好きですよ、そういうところ」
ベルカは、不意打ちのデレを食らい、赤くなった顔をエリエルからそらした。
何と返すべきか考えあぐね、エリエルから口火を切るのを待ったが、何も言ってこないので気まずい時間が続き、耐えきれなくなってベルカは口を開こうとしてエリエルの方に向き直って
「んご……」
エリエルは寝ていた。
頭にげんこつを落としたくなる衝動を抑えて、ベルカは寝てるエリエルを放っておいて一人で聞き込みにまわった。だが古代宝具の場所を知っている者はおろか、古代宝具が何かすら皆わかっていないようだった。
確かに、古代宝具の存在はベルカもエリエルが村にやってきたとき初めて知った。なぜなら古代宝具のことは、教科書にも天帝伝説の中にも書かれていないからだ。いったいどうして。
(いや、そんなことより今は、何か少しでも手掛かりを見つけないと……)
そう思って手当たり次第に声をかけたところ、冒険者風の格好をした中年の男性が――ベロンベロンになってはいたが――気になることを教えてくれた。
「あーちはくとだか何だか知らんけどよお、普通じゃ見つかりっこないものを探すってんならダンジョンに潜るのがいいぜ」
「ダンジョン?」
ベルカが聞き返すと、「かーっ、あんたダンジョンも知らねえのかい!?」と大げさに驚かれた。大分髪が後退している額をぴかっと光らせて、男は親切に説明してくれた。
「ダンジョンってのはよ、一言で言や魔物の巣だな。どんな魔物がいるかはダンジョンごとに違うが、まあやばいところなのは間違いねえ。こんなとこに潜るのはそりゃよほどの命知らずなんだろうが、危険を冒すだけの価値はあるのさ。金銀財宝だけじゃなく、若返りの薬や、伝説の魔道武具なんかもあるって噂だぜ」
「おっちゃんは行ったことあるのかい?」
「ぶはは、まさか! 言っただろ、よほどの命知らずしか行かんと。ダンジョンが見つかった当初はそりゃ一攫千金を求めてたくさんの冒険者が挑戦したって話だが、途中で逃げたか魔物の餌になったか、攻略できたやつはほとんどいねえ。今時分ダンジョンに挑む奴に、単独で行くのはまずない。腕自慢だけで集めたパーティーか、あるいは軍団規模の人数がいねえと」
だからおまえみたいな若造には無理だながははと締めくくられた。
ベルカは考え込んだ。あるかどうかもわからないのに、危険を冒すにわけにはいかない。かといって、他に手がかりがなければどうしようも無い。そもそも俺はアーティファクトを集める気なんて元々無かったのだから、無視するのもありか……?
「あ、お客さん荷物! 荷物取られてるよ!」
店主に声をかけられて、ベルカは現実に引き戻された。
さっきまで座っていた席を見ると、椅子の足元に置いてあったリュックサックがない。続いて居酒屋の入口へ向くと、少年がベルカのリュックサックを肩にかけながら慌てて出ていくところだった。
「待て、返せ!」
寝ているエリエルを取り残して、ベルカは居酒屋を飛び出した。