本を読むリィカに
「おいリィカ」
「なに」
「――おい、リィカ」
「だからなに」
自らの自室で、アレクの呼びかけに対してリィカは気のない返事を繰り返す。視線は、図書館から借りてきた本に向いたままだ。
アレクがムッとした顔をした。それに気付かずリィカは本を読んでいて……後ろから回された腕と、首筋に感じた柔らかい感覚に「ひゃっ」と声をあげた。
「アレク!」
気付けばソファの後ろにいたアレクに、リィカは真っ赤な顔で怒るが、アレクは嬉しそうに笑っている。
「やっと俺を見たな」
「いつも見てるでしょ。――もうっ、せっかく勉強してるのに」
「知らなくたってどうにでもなる」
胸を張って言うことでもないことを堂々と言い張るアレクに、リィカは少しうつむいた。
「アークバルト殿下にも少し言ったけど……知らないのが怖い」
声が沈む。思った以上に深刻そうな声音になってしまったことに自分でも驚いて、それでも言葉を止めることはできなかった。
「わたしが何とかやっていけてるのは、ルシア皇女殿下が色々教えてくれたからだよ。貴族になってからも、みんなが必要なことを教えてくれたし。……知らないところを指摘されて、そこを掘り下げられたら、わたしは何も言えない。黙り込むことしかできない」
王族や貴族の、自分を蔑む目が怖い。根本のそれが、変わっていない。
それでも何とかやれているのは、以前と違って多くのことを学んだからだ。教えてくれる人がいるからだ。でも、まだまだだ。全く足りないと、ヴィート公爵家と王宮での滞在で、嫌というほど感じている。
「――悪い」
アレクは神妙な顔で頭を下げた。リィカの色々な過去を思い出したのか、表情が歪むが、すぐに真剣な顔でリィカを見た。
「ただ覚えておいてくれ。全部できる必要はないし、全部を覚える必要もない。兄上にも義姉上にもできないことはある」
「……うん」
国王の言っていた、軍の強化云々の話だろう。確かにそれには納得するしかない。
「平民だった頃は、耐えるしかなかったかもしれない。横暴な貴族が相手だと余計に。でも今はその必要はないんだ。俺の名前を出してもいいし、兄上や義姉上でもいい。……まあ一応クリフでも」
最後は嫌々という風に付け足した。
「その件は誰それに任せている。誰それがやっているから、そっちに話を通そうかと言えば、ほぼそれで話は終わる。それでも食い下がってくる奴は本当にその話をしたいか、ちょっと脅せば落ちると思われているか」
リィカは息を呑む。アレクは気付いているだろうが、それでも続ける。
「その違いは分かると思う。脅せば落ちると思われているときは、相手の態度にそれがにじみ出るから」
コクンと頷いた。自分を平民と侮る目、蔑む目。そんな風に見られるんだろう。
「それに怯む必要はない。怯まず、同じことを繰り返せばいい。そんなに話をしたいなら、もっと詳しい人と話をした方がいいと、堂々と言い切れ。可能なら、少し笑って"お前の企みは分かってるぞ"という雰囲気を出せると、なお良い」
「……無理」
"可能なら"以降の言葉にそう答えてしまったが、アレクの言いたいことは分かった。平民だった頃とは、色々な面で違うのだ。
顔を上げて、アレクの目をまっすぐに見た。
「わたしは、こうやって顔を上げてドンと構えてればいいんだね」
「ああ」
アレクは嬉しそうに破顔して、リィカも笑顔になった。ずっとあった不安というか焦燥感のようなものが、スッと軽くなった気がした。
「よしっ!」
義務感ではなく、純粋に「知りたい」という知識欲で再び本を手に取る。そしてまた読もうとしたら、アレクにヒョイと取られた。
「だから、読まなくていいと言っているんだ」
「ダメってことはないでしょ? 読んでて楽しいし、返してよ」
「せっかく俺と二人きりなんだぞ」
「じゃあ、アレクも本を読めばいいんじゃないの?」
リィカの言葉にアレクはムッとした顔で、やや乱暴に手に持った本をテーブルに置いた。
「少しは俺を構えと言っているんだ」
「……?」
首を傾げた。まるで小さい子どものような言い方だ。何となく思い出したのは、暁斗のこと。
「……頭でもなでる?」
思わずそう言ってしまったが、違うよなぁと思う。が、アレクの妙に据わった目に言葉を失った。
座っていた長ソファの端にリィカは追いやられて、アレクがそこにうつ伏せになるように横になる。そして頭をリィカの膝に預けた。
「ちょ、ちょっと、アレク……っ! その、じょうだんの、つもりで……」
「言ったことには責任持てよ、リィカ」
「……!」
発言をなかったことにはしてくれないらしい。
うーと唸りつつ、恐る恐るアレクの頭に手を伸ばす。髪質は暁斗より固めだろうか。感触が違う。
「……………」
似たような状況で暁斗の頭を撫でていたときは全く感じなかったが、今は何だかすごく恥ずかしい。
赤い顔をしているリィカとは別に、アレクは目を閉じる。
(思ったより、気持ちいいものだな)
リィカの意識を本から自分に移せれば、それで良かったのだが。膝枕も、頭に感じる手の感触も、想像以上に心地よくて、気持ちが安らぐ。
結局アレクはそのまま寝入ってしまい、それに気付いたリィカが困ってしまい、侍女が入ってくるまで動くに動けなかったのだった。




