侍女の思い
「ごめんなさい~」
リィカの放った大きな水の固まりはアレクだけで留まらず、部屋は水でびしょ濡れになった。
駄目だと言われたのを忘れきったリィカが、侍女に盛大に頭を下げた。それを困った顔で見た侍女が、アレクに「何をやったんだ」とジト目を向けるが、そのアレクは視線を逸らせた。
それを見て、はぁとため息をついて、部屋を見回す。床の絨毯もソファも、見事にずぶ濡れだ。
「これは交換した方が早いですかね……」
「ごめんなさいっ!」
侍女のつぶやきに、リィカがさらに深く頭を下げた。だが、やったのは確かにリィカだろうが、原因は間違いなくアレクだろう。もう一度侍女がアレクを睨み付けた時、リィカが顔を上げた。
「そうだ、これだっ!」
その顔がパッと輝いている。それに侍女が疑問に思ったときだ。
「《熱風》!」
リィカが聞いたことのない魔法を唱えた。その途端、部屋の中に熱風が沸き起こる。それは、的確にずぶ濡れになった場所に集中的に吹いていた。
「え?」
「おいリィカ……」
その不思議な現象に侍女は疑問を漏らし、アレクが何かを言いたそうにする。が、リィカは熱風が吹いている場所をジッと見ている。
「すぐ乾くのは難しいかなぁ。時間はかかりそうだけど、何とかなるかな。――うん、大丈夫」
濡れた場所を乾かすためという情けない理由で、新しい火と風の混成魔法を編み出したリィカは、一人満足そうに頷く。侍女にもう一度頭を下げようとして……そこでようやくそれが駄目であったことを思いだした。
「えっと、その、ごめんなさい。ちょっと時間はかかるけど、責任持ってちゃんと乾かします。だからその、交換しなくて平気です」
「……はい、かしこまりました」
侍女は頷きながら、未だに熱風が吹き続けているのを呆然と見ている。
(すごい、ですねぇ)
分かっていなかったわけではないが、目の前でこんなものを見せられると、本当に勇者一行の一人なのだと、実感できる。本来なら、リィカに責任を取ってもらうことでも何でもないのだが、そのすごさに何も言えない。
とりあえず乾くまでは暑いので別室に移動しよう、という話になって、アレクがそのまま隣の自室にリィカを引っ張る。
「行かないってば! 誰のせいだと思って……!」
「今度は何もしないから」
「信用できないっ!」
「……分かった。侍女に部屋にいてもらおう」
「それなら、まぁ……」
二人のその会話に、侍女も意識がそちらに向かう。
(それなら良いのですか、リィカ様?)
結局アレクの私室に向かっているリィカに、内心でつぶやく。
おおよそ何があったかの想像はつく。先ほどリィカが頭を下げたときに、服の隙間から赤い痕が見えてしまったので。つまりは、アレクがリィカに手を出して、それにリィカが耐えきれなくなった結果だろう。
だが、侍女の目を気にするであろうリィカに対して、アレクはきっと気にしない。侍女がいたところで、抑止力にはならない。
……ということを、説明するべきなのだろうが、侍女はクスッと笑って後をついて行くのみに留める。これもリィカにとっては勉強だ。これから侍女が側にいる生活になるのだから、それに慣れるためにも。
そして、アレクが笑顔でいることが、嬉しいから。
(ねぇフィオラ、見てる?)
かつて、自分とともに王妃に仕えていたフィオラ。王の側室となり、息子のアレクを産んだ後に亡くなってしまった。少なくとも自分は友人だと思っていたのに、熱が出ていることを一言も言うことなく、死んでしまった。それに気付けなかったことを、悔やんだ。
だから、代わりにアレクを見守ろうと決めた。そして今、その子が最愛の女性を見つけて、幸せになろうとしている。
これが嬉しくないはずがない。
一時期は、兄であるアークバルトのためなら、自分を犠牲にすることさえ厭わなそうな、破滅的な目をしていたこともあった。だからこそ、今こうして、自分の幸せを見つけてくれたことが、嬉しかった。
だから、アレクの幸せのためにも、リィカが第二王子妃として王宮での生活に慣れること。そのための支援が自分の最後の仕事だと、侍女は改めて気合いを入れたのだった。




