鏡の話
それからアレクが来たのは、リィカの赤く火照った顔色が落ち着いて、入れてもらったお茶を飲んでいるときだった。
「リィカ、疲れているところ悪いが、一緒に来てくれないか」
「うん、もうだいじょう……って、大丈夫だからっ!」
来てくれないかと言いつつも、アレクはリィカを横抱きに抱え上げる。暴れたところで無意味なのは、いい加減学習した。けれど、本当にもう問題なく歩けるのだ。抱えてもらう必要などない。
ご機嫌な笑顔のアレクに少しムカッときて、リィカは手に水の球を生み出して、アレクの顔に叩き付けた。
「ぶっ」
「下ろして。歩くから」
「……分かった」
躱すこともできずに正面から魔法を受けたアレクは、リィカの厳しめの声に素直に下ろす。顔から水をポタポタ垂れさせているアレクは、慌てたように侍女が差し出したハンカチで水を拭き取る。そして、フイッとそっぽを向いているリィカに、視線を向けた。
「……悪かった。少し浮かれてた」
「あっそ」
「……ちなみに、今の魔法、何だ?」
「《水》だよ。なんで分かんないの」
「……そう言われてもな。《水》にしちゃ、水の球が大きいし」
どちらかと言えば、初級魔法の《水球》くらいの大きさがあった、とアレクは思う。けれどそれを言ったら、さらにリィカの声が不機嫌さを増した。
「アレク相手に、攻撃魔法は使わないよ」
「……そうか」
生活魔法も一応攻撃魔法に分類されているが、と思ったアレクだが、それを言ったらますますリィカが不機嫌になりそうな気がして、言葉を飲み込んだ。前は魔法を使ってくることなんてなかったのにな、と心の中だけでつぶやいたのだった。
※ ※ ※
「それで、どこ行くの?」
しばらく無言で歩いていたが、行く方向に疑問を持ってリィカは質問する。国王かアークバルトか、どちらかに呼ばれているのかと思ったが、歩いている先が違う気がする。
「あーうんそのな……商人が来ているんだが」
「商人? って、サルマさんたちのこと?」
リィカの知り合いの商人は、サルマとオリー、フェイの三人組しかいない。だが、アレクは首を横に振った。
「違う。以前から、時々この王宮を出入りしている商人だ」
「そう、なんだ?」
リィカは首を傾げる。つまりは、アレクと婚約したから、顔を合わせておけということだろうか。だが、それだけではなさそうな、妙に困った顔をしている。
「とりあえず、行けば分かる」
「……うん」
ここでは説明できないということか。何だか分からないが、とりあえずリィカは頷いたのだった。
※ ※ ※
「おおー、あなたがリィカ様ですかな! いやいや、お噂通り、お可愛い!」
「は、はぁ……」
そこにいたのは、一人の中年男性。人の良さそうな顔でニコニコ笑って、先ほどの言葉を言われたのだが、リィカは戸惑うしかない。
「チャールトン、リィカが驚いている。少し控えろ」
「何を仰いますか、アレクシス殿下。可愛い方に可愛いと言っているだけでございますよ! それにしても、このような方と結婚できるとは、殿下は幸せ者ですな!」
アレクが言っても恐れ入った様子もなく、ニコニコ笑顔が崩れない。はぁ、とため息をついて、指し示した。
「リィカ、こいつはチャールトン。先ほども言ったが、以前から王宮を出入りしている商人だ。珍しいものが手に入ると、やってくることが多いんだがな……」
「お初にお目にかかります、リィカ様。私はチャールトンと申しまして、今は滅びた"北の三国"と呼ばれていた地の出身です。とは申しましても、故郷を飛び出して数十年、帰ることもしないまま、国が滅びてしまいましたがね」
その内容にリィカは息を呑むが、チャールトンに悲愴な様子はなく、ニコニコな笑顔のままである。
北の三国とは、ルバドール帝国の北にあった国々を総称して、そう呼ばれている。魔王が誕生して魔族が攻めてきた時、真っ先に迎え撃たなければならない国々でもあり、大体魔王誕生のたびに、滅ぼされてしまう国だ。
「珍しいものと言いますか、他の者がやっていない商売をすることが、私の楽しみでして。今回、訪れたことの目的の一つとして、魔国の話を伺いたいというのもあるのですが」
「初耳だぞ」
「初めて言いましたからな。ですが、その前に当初の目的を果たしてしまいましょうか」
アレクのツッコミにもまるで動揺した様子もなく、サラリと返すと、側に置いてあったバッグを何やらゴソゴソやり出す。そして、取り出した物に、リィカは目を見張った。
「鏡だ……」
「はい。北のルバドール帝国で売られていたものですが、鏡にしては驚くくらいの安値でしてね。購入ついでに、売っていた商人たちに話を聞いたのですよ」
「……なるほど」
何となく、話が読めたような気がする。
どうやら、無事に鏡の作り方がサルマたちに伝わったらしい。そして、それを作って売り始めたということか。気になっていたことの一つが解消された。
「その鏡、見せてもらっていいですか? ……あ、じゃなかった、見せてもらえる?」
「ええ、どうぞどうぞ」
リィカの、どうにも慣れない言葉遣いをツッコんでくることもなく、鏡をリィカに手渡す。手の平サイズの大きさ。Dランクの魔石から作った鏡か。
リィカが魔力を探ると、明らかにその鏡は自分じゃない誰かが作ったものだ。おそらく、サルマとオリーか。"おそらく"としか言えないのは、あの三人に出会ったときは、まだまだ魔力を読むことに不慣れだったから、はっきり断言できるほどの自信がないのだ。
「話を聞いて、わたしの名前が出てきたんだね」
「はい。それで調べるうちに、どうも勇者様ご一行の一人と同一人物ではないかと思いまして。それでこうして伺った次第です」
リィカは鏡を返しつつ、首を傾げる。
「……アルカトルに来てから、知ったわけじゃなくて?」
サルマたちには、自分たちが勇者一行とは言わなかったのだ。だから、単にたまたまアルカトルに来て知っただけなのかと思ったのだ。調べて簡単に分かるものなのだろうか。
「少し本気で情報を集める気になれば、勇者様ご一行が鏡をルバドール帝国に献上した話を聞くのは、難しくありませんでしたから。街中には広まっていないようですし、あの商人たちは全く知らなかったと思われますが」
「……………」
安心していいのかどうなのか。いっそのこと知ってもらえた方が、今後もし再会したときに怒られる可能性が低くなる気がする。じゃないと、危ない北へと向かったこととか、鏡のこととか、色々言われそうだ。
という少々ズルい打算はさておいて、リィカはさらに質問をぶつけた。
「なぜ調べようと? それにアルカトルに来ようと思ったんですか……ええと、来ようと思ったの?」
言葉遣いが難しい、と思いつつリィカは質問する。ヴィート公爵家にいたときから思っていたけれど、これに慣れるって大変だ。相手が年上だというのもあって、自然に敬語が出てきてしまう。
幸いなのが、相手が気にしている様子を見せていないところか。
「どのように作っているのか、それを教えて頂きたいと思ったのです。それか、私めに直接鏡を売って頂けないかと」
「教えたところであなたが作るのは無理だし、売る気もありません。欲しかったら、サルマさんたちから買って下さい」
キッパリ断ると、チャールトンは「ふむ」と小さくつぶやく。
「あの商人たちにも同じことを言われましたな。教えたところで作れないと。……もっとも、こんなとんでもない超高級品の作り方を教えられて、こっちも大変だと苦々しい顔をしておりましたが」
「……それは、ごめんなさい」
チャールトンに謝ることではないのだが、つい口に出た。ルバドール帝国で売って欲しいと何度も言われても無理だと言い続けて、最終的にサルマたちに押しつけたのだ。文句の一つや二つ、言われるのもしょうがない。
「まあ、構いませんが。すでに他の者が行っている商売です。儲けることはできそうですが、真似は面白くありませんからな」
「……………はぁ」
リィカはそうとしか言えない。商売のことは、よく分からない。
「だから言っただろう。どうしてもと言うから会わせたが、諦めろ」
「最初からそこまで期待はしておりませんでしたから、素直に諦めますよ、アレクシス殿下。殿下のご婚約者様と顔つなぎできただけでも、十分というものです」
顔つなぎ。つまりは、覚えてもらうということか、とリィカは頭の隅で思う。何で自分に、とつい思ってしまうが、勇者一行の一人であり、第二王子の婚約者が相手なら、確かに覚えてもらう価値はあるんだろうな、というのは分かる。
「だったらもういいな。全く、お前のせいで、鏡のことが父上や兄上に知られてしまった」
「……え?」
「おや、そうだったのですか。申し訳ありませんでした」
チャールトンはわずかに驚いたのみだが、リィカはそれだけでは済まなかった。鏡一枚で大騒ぎになったことを、思い出してしまう。
「あの、アレク……」
「……ああうん、この後おそらく話があると思う」
「………………」
嫌だとは言えない。作ってあげればいいかなぁと、遠い目をしたのだった。




