夕食の席で
「よく来てくれたね、リィカ嬢」
「お世話になります」
その日の夕方、リィカはレーナニアの父親と兄と顔を合わせて、挨拶をしていた。
二人とも知らないわけではない。レーナニアの父親は国王の側近でもあるヴィート公爵だから、国王と会うときに側にいるのを何度も見ている。レーナニアの兄であるクラウスとは、旅から帰ってきた日に会って以来だが。
「偉いねー、勉強を教えてもらおうなんて。俺なんて適当にすませちゃってたよ?」
「いえ、その……」
そのクラウスの言葉にリィカは口ごもる。適当にすませたら、多分結果は惨憺たるものになる。
一年目の最初のテストの時は、文字の勉強だけで精一杯だったから、筆記試験最下位でもしょうがないと諦めがついた。けれど、二度目の最下位はとりたくない。
それを果たしてそのまま説明していいものか悩んでいるリィカを余所に、レーナニアが冷たい目を兄に向けていた。
「アーク様の側近候補の言葉とは思えませんね」
「全くだ。クラウス、いつもお前はだな……」
「お客人の前で説教はやめてくださいよ、父上」
ヴィート公爵もジト目をしていたが、それをクラウスは飄々と受け流している。それを「すごい」と思ったリィカだが、口にしない方がいいということは分かる。
どちらにしても、仲の良い家族のようだ。となると、気になる。食事の席にもいないのだ。
「あの、お母様はいらっしゃらないのですか?」
この場所に母親がいない。質問して良いのか迷ったが、知らないままでいる方が良くない。駄目だったら謝ろうと思ったが、誰の顔にも悲しみといった表情は出なかった。
「ああ、妻は領地にいるよ。そっちの仕事をしてくれているんだ。領地を持つ貴族家は、そういう家が多いんだよ」
「そうなんですか」
どうやら亡くなっているとかいうわけではないようで、ホッとした。離れて暮らして寂しくないのかなとは思ったが、それが貴族家の常識なのであれば、"そんなもの"と思うのかもしれない。
そういえば、バルやユーリも父親に会ったことはあっても、母親にはない。……ということは、二人の母親も領地にいるのだろうか。どこが領地かなど聞いたこともないが。
「勉強の進み具合は、どうかな」
「あ、その、まだ初日で……レーナニア様にご迷惑をかけてばかりで」
「そんなことありません。人に教えるのは、わたくし自身の勉強にもなりますよ。それにリィカさん、飲み込み早いですし」
「そ、そうでしょうか……」
ヴィート公爵の問いに申し訳ない気持ちで答えれば、レーナニアが笑顔で口を出してきた。が、その目が不意に細くなる。
「きっと、アーク様がずっと一位を取っていたのは、アレクシス殿下に教えていたからですね。まったくズルいですよ。ですが、今度はわたくしにもリィカさんがいますから、絶対に負けません! リィカさん、わたくしに協力してくださいね!」
「え、えっと、はい……?」
逆じゃないだろうか。協力してもらってるのは、リィカだったはずなのだが。だが、据わっている目が妙に怖い。
兄のクラウスは笑い出す寸前で、ヴィート公爵は微笑ましいものを見る顔だ。
「頑張りなさい、レーナ。リィカ嬢、悪いが娘を頼んだよ」
あげくにこんなことまで言われてしまう始末だ。
「と、とんでもないです! わたしの方が一方的に頼ることになるので」
「まあ普通ならそうなんだろうけど。レーナの打倒アークは、入学当初からの悲願だからね。悪いけど付き合ってやって」
クラウスも笑いを堪えながら、こんなことを言ってきた。自分の考えとは真逆のことを何度も言われてしまって、リィカもそれ以上「そんなことは」とは言えない。
このお泊まり勉強会には、レーナニア側にも大きなメリットがあったのか、と納得するしかないようだ。
そんなことを思いながら、リィカは食事に手をつける。美味しい。驚いたのは、肉ではなく魚が出されたことだろうか。まあ肉であっても魚であっても、元魔物だろうが、陸と水では明らかに肉質が違うから分かる。
このアルカトル王国にも海はあるが、その手前に山だったり深い森だったりがあるせいで、海の資源はほぼ活用されていない。リィカが食べたことがあるのは、すべて旅の途中でバナスパティが獲ってきたものであって、アルカトルで食べたのは初めてだった。
そういえば、レーナニアも料理ができると言っていたけれど、どんなものを作るのだろうか。一度でいいから食べてみたい気もする。
それを言ってみようかと思ったら、その前にヴィート公爵が口を開いた。
「それよりも、レイズクルス公爵の娘に魔法を教えているんだったね? 彼女の進み具体はどうだい?」
「…………」
それは間違いなくミラベルの話だろう。リィカは少し考える。その話題を、なぜここで出してくるのだろうか。
当然、ヴィート公爵は無詠唱魔法に伴う危険を知っている。それを公表できないことも。レーナニアに聞かれた時と同様、周囲に侍女たちがいる以上、素直に口にしてはいけないはず。
そんなことはリィカ以上にヴィート公爵の方が分かっているだろうに、その意図が分からない。なので、結局レーナニアに答えたことと同じことを答えた。
「すごく良くなっていて、正直驚きました」
「そうか」
リィカの答えに、ヴィート公爵は満足そうに頷く。クラウスが話に加わる。
「ああ、彼女、副師団長の派閥での魔法師団入団希望なんだっけ? 話を聞いたとき、爆笑した」
「それ、ご存じなんですね」
リィカも昨日聞いたばかりの話をクラウスが持ち出したことに、少し驚く。
「そりゃあね。ライアン伯爵からいいんだろうかと相談があったみたいだし」
「陛下も笑ってたね。いい気味だとか言って」
「お父様も笑っていたじゃないですか」
「…………」
ミラベルが副師団長の派閥に入ることには、よほどのお笑い事情があるらしい。そういえば、アークバルトもレーナニアも、ナイジェルが何かやらかすと、とても嬉しそうにしていたなと思う。
「ベル様の入団って、もう決まりなんですか?」
「いや、ちゃんと試験は受けてもらうし、駄目なら落とすよ。ただ、その基準は甘くなるだろうね。何せレイズクルス公爵の鼻を明かせるわけだし。でも、リィカ嬢が保証してくれるのなら、安心できる」
「は、はぁ……」
いいんだろうか。それが理由で基準が甘くなるのはありなんだろうか。……ありなんだろうけど。改めて貴族社会って怖いと思う。
「それにね、私の質問にリィカ嬢は全く表情を変えず、無難な返事をしただろう? それにも安心したよ。王家に嫁いでも、何とかやっていってくれそうだ」
「あ……」
質問の本当の意図は、そこか。言ってはいけないことを問われたとき、リィカがどういう反応をするのかを見たかったということか。けれど、それをここで言ってしまって、良かったのだろうか。
「父上?」
「何かあるのですか?」
クラウスとレーナニアが胡乱げに問いを発している。周囲に侍女たちがいるのも変わらない。だが、ヴィート公爵は笑った。
「この屋敷の中なら、少々失言があっても問題ないから、安心したまえ。クラウス、レーナ、お前たちにもそのうち話す。もう少し待て」
リィカは安心して肩の力が抜けて、兄妹二人は問い詰めることなく引き下がる。隠し事をされていますとはっきり宣言されたも同然なのに、それを気にした様子もない。
言えないこともあるということを分かっていても、すごいなと思う。個人の感情ではどうすることもできないこともあると、それを当たり前のことだと分かっていないといけないんだな、と改めてリィカは思ったのだった。




