ヴィート公爵邸
「申し訳ありませんでした、レーナニア様」
「リィカさん?」
約束通りにヴィート公爵家に来たリィカは、怖そうに見える門番に怯みながらも声をかけて、無事レーナニアと対面した。ちなみに、怯む必要などなかったくらいに、話はスムーズだった。
そして、レーナニアと顔を合わせてすぐ、リィカは謝罪を口にして頭を下げた。こういうことはさっさと言ってしまわないと、だんだん言いにくくなる。
何のことか分からないという表情のレーナニアは、本当にそう思っているのか、分かっていて素知らぬふりをしているのか、リィカには判断できない。
「その、一緒の馬車に乗って良いと言って下さったのに。王太子殿下も了承して下さったのに、お断りしてしまったので。その、改めて考えて、申し訳なかったと思いまして」
「……………」
レーナニアからの返答はない。頭を下げているから顔は見えない。すると、少し笑う気配がした。
「もしかして、ミラベル様から注意されましたか?」
「………」
大正解である。名前を出していないし、誰かに言われたとも言っていないはずなのに、さすがだ。とはいっても、素直に頷くこともできないのが、また難しい。
「リィカさん、頭を上げて下さいな」
穏やかな声だ。言われたとおりに顔を上げれば、声と違わず、穏やかな笑顔を浮かべている。
「本当に、アーク様もわたくしも、気にしていないのですよ。むしろ、わたくしたちに阿ることなく『約束したから』とはっきり告げて下さったことが、嬉しかったです」
「……え?」
「リィカさんは、権力を優先するのではなく、約束を優先されたんです。そういう人の方が、信頼できるんですよ。そういう人が妹になってくれること、とても嬉しいですし、心強く感じます。ですから気になさらないで下さい」
リィカの目が迷うように動いた。本当にそれで良かったのだろうか。問題なかったのだろうか。それがよく分からない。
それに気付いているのか、レーナニアは言葉を続ける。
「もちろん状況によっては、わたくしやアーク様の言葉を優先しなければならない時もありますが、今回はそんな状況ではありません。その判断については、これから学んでいけばいいだけですから」
「……………」
リィカはどう返していいか分からず、ただ無言でレーナニアの顔を見る。レーナニアはふふっと笑った。
「勉強の前に一緒にお茶しませんか? これはわたくしの我が儘なお願いですから、拒否して頂いても構いませんが」
「い、いえ、とんでもありません。その、ぜひ、お願い致します」
本当に拒否してしまったらどうなるんだろう、と思いつつ、わざわざそれをする理由もないので、リィカは受け入れたのだった。
※ ※ ※
「ところでリィカさん、ミラベル様の魔法はどうなのですか?」
お茶を飲みつつ、レーナニアから振られた話題に、リィカは表情を出さないようにしつつ、首を傾げる。レーナニアがどこまで話を知っているのかどうかが分からない。どちらにしても侍女たちが側にいるから、言うわけにはいかないが。
「すごくいいと思います。正直、驚くくらいには良かったです」
「そう」
レーナニアが嬉しそうに笑う。
「キャンプの時に魔法を使っているのを見ましたが、他の方々より威力が強かったように思いましたので。やはりそうなのですね」
「キャンプの時?」
リィカは聞き返した。魔物は通していないはずだが、魔法を使う機会が何かあったのだろうか。
「ええ。兵士たちの怪我を治すためにね、名乗りを上げて下さったのですよ」
「そうだったんですね」
なるほどと頷く。攻撃方面にしか意識がいかないことは良くないのだろうけど、苦手なものは苦手なのだ。
けれど、よくよく考えれば、ミラベルがちゃんと「魔法」の形で発動に成功したのは、キャンプの一ヶ月ほど前。けれど、授業でミラベルが魔法を使うことはなかった。それが、教師に見放された結果だったとしても。
つまりは、ナイジェルや教師のザビニーがミラベルが魔法を使えるようになったことを知る機会は、キャンプの時しかなかったのだ。
そこまで話をして、聞いたばかりの話を思い出した。
「そういえばレーナニア様、卒業と同時に結婚されるんですね」
「……ああ、そうですね。リィカさんはご存じなかったですか」
レーナニアはキョトンとして、すぐ合点がいったように頷く。
「駄目ですね。もう貴族たちの間ではそれは当たり前のことなので、当然知っているものと思ってしまうのは。……ええ、卒業したら結婚です。そうしたらわたくしは正式に王太子妃となって、王宮に住まいを移すことになりますね」
笑うでもなく緊張するでもなく、ただ事実を事実として告げるようにレーナニアは言った。その様子にリィカは思う。例え政略結婚であってもアークバルトとレーナニアは仲が良い。もっと嬉しそうにしてもいいのではないだろうか。
リィカがそれを口にしたら、レーナニアは不思議そうにして首を傾げた。
「そうですね……。嬉しいですし、逆に緊張もあります。ですが、もう既定のことですので、今さらという感じでしょうか」
考えるようにしつつ、言葉を続ける。
「十歳の頃に婚約した、というのも大きいかもしれませんね。何かと王宮へ行っていましたから。国王陛下とも王妃陛下とも、弟殿下のアレクシス殿下とも交流して、顔見知りの使用人も多いですし。もうすでに、わたくしにとってもう一つの家になっているのだと思います」
何かと王宮へ行く必要があったのは、アークバルトの毒殺未遂があったからでもあるのだろう。だが、レーナニアの表情に影はない。ふふ、と楽しそうに笑って、リィカの顔をのぞき込んだ。
「テストが終わったら長期休みですから、リィカさんも王宮へ行かれるといいですよ。元々歓迎ムードではありますけど、慣れておいた方がいいですから」
「うっ……はい……」
もちろん慣れるのは王宮の面々ではなく、リィカの方である。気後れしていることをバッチリ見抜かれている。
嫌だなどと言えるはずもなく、リィカは頷いたのだった。




