ミラベルの魔法
「だったら、なぜあなたはここにいるのかしら?」
「だって……ベル様の魔法を見るって約束しちゃったから」
放課後の女子寮で、今日からヴィート公爵家に泊まることになった話をミラベルにしたところ、非常に呆れた目を向けられた。
「あなたって結構度胸あるのね。王太子殿下に一緒に馬車に乗って良いと言われているのに、それを平然と反故にするのだから」
「ちゃんと言って、分かってもらえたから! それに、言われたとおりにしちゃったら、ベル様との約束破ることになっちゃうし」
そうなのだ。昨日は遅くなってできなかったから、今日練習をしようと話をしていた。先に約束した以上、それを優先させるのはリィカにとっては当然のことだ。
「王太子殿下の言葉を優先しなさい。私の方はそれこそセシリー伝いに説明でもあれば、それで納得したわよ」
「で、でも、ベル様との約束の方が先なのに……」
リィカは肩をすくめた。ヴィート公爵家に泊まることは了承した。断る余地などなかったが。
だが、ミラベルと約束したから、今日だけは一緒の馬車で帰ることは断ったのだ。別に不機嫌になった様子もなく、レーナニアに「絶対に来て下さいね」と念押しされただけだった。だが表情に出していなかっただけで、駄目だったのだろうか。
「……今日、レーナニア様に会ったら、謝ります」
「そうなさい。そして明日は王太子殿下にもね」
「……はい」
リィカが落ち込んでいると、セシリーが笑った。
「いやー、お貴族様の付き合いは面倒だねぇ」
「あなたもその貴族の一人なのよ。騎士団への入団希望なのでしょ? ちゃんとできた方が良いわよ」
「……分かってるけどさ」
他人事なセシリーに、ミラベルが容赦なく告げている。その内容に、リィカは首を傾げた。
「セシリー、騎士団に入るの?」
考えてみれば、卒業後の進路希望を聞いたことがなかった。だがまあ、順当と言えば順当なのだろうか。
「まだ希望って段階だけどね。試験はちゃんと受ける。けどさ、卒業と同時にレーナニア様が結婚されて王太子妃になるから、その護衛で女性軍人が必要になる。だからここ数年、女性の登用が増えてるから、受かりやすくなってるんだ」
騎士団長の息子であるバルムートが、同学年にいるというのも大きい。有望な生徒の情報が、息子から父親に流れるからだ。それだけで合格にするような騎士団長ではないが、最初から注目してもらえるという利点はある。だから後は、結果を残すだけ。
そう不敵に笑うセシリーだが、そのことよりもリィカにとって重大な情報が話に紛れていて、そっちの方が気になってしまった。
「……レーナニア様、結婚するんだ」
「そっち?」
やや呆れたセシリーに、リィカは「ごめん」と手を合わせる。でも、聞いたことがなかったし、驚いたのだ。
「まあ既定の事実のようなものだから、わざわざ話そうとも思わなかったのでしょうね。……卒業と同時に王太子殿下とレーナニア様はご結婚されるの。魔王誕生の影響で、一時はどうなるかと思われていたみたいだけど、予定通りに行われるみたいよ」
「へぇ……」
ミラベルの説明に、そっかと思う。何となく寂しい気がしてしまうのは、レーナニアに色々お世話になっているからだろうか。だが、セシリーの次の言葉に、リィカはそれどころではなくなった。
「リィカとアレクシス殿下の結婚はいつ?」
「……へ?」
「その翌年くらいになるのかしらね。いっそ同時に、という手もなくもないでしょうけど、今からじゃ準備も間に合わないでしょうし」
「………………」
「リィカが結婚したら、さらに女性軍人が必要になる?」
「どうなのかしら。リィカさんに護衛が必要?」
「それもそうか。護衛の方が逆に守られそう」
「……えっと、待って待って。まだそんな話、出てないから!」
二人のどんどん進んでいく会話に、リィカは慌ててストップをかける。その顔は真っ赤だ。
結婚。確かにそうだ。婚約したのだ。次は結婚だ。
理屈は分かる。というか、当たり前の流れだ。だが、正直そこまで想像できないというか、まだまだ先の話だと思っていたというか、具体的に考えたことなどなかったというか。
赤い顔でパニックになっているリィカを見て、ミラベルが呆れた顔になる。
「……まずはリィカさんがもうちょっと貴族社会に慣れるのが先ね。せめてもう少し表情を取り繕えるようにならないと」
「いや、多分やろうと思えばできるんじゃない? あたしらが相手だから、完全に気を抜いてるだけでさ」
「そうなのかしらね」
リィカは顔を手で扇いでいる。顔が熱い。二人の会話は聞いていたような聞いてなかったような。でも、まだまだ知らないことばかりなのは、確かだ。
「頑張るから、何か変なことしてたら、教えて下さい」
そう言って、二人に頭を下げる。セシリーの目がわずかに泳いで、ミラベルがクスリと笑う。
「……うんまあ多分、ベルが教えてくれるよ」
「あなたも教えられるようになりなさい。……リィカさんには魔法を教えてもらっているからね、気付いたことがあれば、私も教えるわ」
「うん、ありがとう、ベル様」
こうして話が一段落したところで、リィカが「さてと」と切り出す。ミラベルも頷いた。元々、ミラベルの魔法を見るという話だったのだ。いつまでもおしゃべりしているわけにはいかない。
「えっと、ベル様、魔法どこまで使えるようになった?」
「中級魔法をいくつか使えるようになったわ。支援魔法は全部覚えたわよ」
「うわぁ、すごい」
心の底からリィカはそう言った。支援魔法は苦手だ、未だに。それをちゃんと覚えたと聞いただけで、尊敬してしまう。
「間違いなく、父だったらすごいなんて言葉は出てこないわよ」
「……ちょっと聞いたことある。上級魔法の信奉者だって」
「その通りよ。上級魔法を使えない魔法使いに、価値はないと本気で思ってる人だからね」
ミラベルがそう言うと、少し考えるようにしながら、言葉を続ける。
「その、実際の所ってどうなのかしら。上級魔法はやはり使えた方がいい?」
「そりゃ、使えないよりは使えた方がいいけど」
リィカも、これまでの旅の間のことを思い出しつつ、答える。
「ただ、剣士が前にいて戦ってるときに上級魔法はいらないから。そういうときは、初級をメインに据えて、フォローしていった方がよほど効果的だと思う」
別に中級でもいいのだが、詠唱する必要があることを考えると、詠唱が短い初級の方がフォローするのにタイミングを取りやすい。
「別にそれで倒せなくても構わない。当たらなくても牽制できれば、それだけで剣士の人は助かるから。それができれば、お互いにダメージも少なくて済むし。だから実戦で必要なのは、一歩下がって味方と相手の動きを見て的確に判断すること、かなぁ?」
もちろん状況によっては、上級魔法の方が効果があることもある。選択の幅が広がるという意味で、色々な魔法を使えるにこしたことはない、とリィカは思う。
「ああ、分かる。魔法使いのフォローが的確だと、こっちも戦いやすい。レンデルは、ホントそこ上手だと思うし」
セシリーも分かる分かると、頷いている。リィカが一年生のときに、平民クラスの皆と一緒に魔物退治をしていたように、貴族クラスでも似たようなことをやっている生徒はいる、と聞いたことはある。
実戦のための特訓が理由であることがほとんどだが、下級貴族だと純粋にお金を稼ぐため、という人もいるそうだ。
一方、ミラベルは少し複雑そうな様子だ。
「あなたの話って、父の言う話と真逆ね」
「そうなの?」
リィカは首を傾げる。上級魔法の信奉者だという話はアレクたちから聞いた話だ。平然と他者を巻き込む考えに同意する日など来ないが、実際のところはどういう考えでいるのかなど、考えたこともなかった。
「そうよ。上級魔法はたくさんの魔物に、一度に攻撃できるでしょう? 剣ではそんなことはできない。だから上級魔法で攻撃するのが正しいのだと言ってるわ。例えそれで味方を巻き込んだとしても、魔物に攻撃して倒すことが大切だからと」
「……………うーん」
リィカは唸った。とりあえず分かったことは、今後一生わかり合えることなどなさそうだということだ。レイズクルス公爵を始めとする派閥の人たちに魔法を教えるなど、ますます無理だとしか思えなくなった。
「まあ……考え方は人それぞれだろうけど……。味方を巻き込むっていうのがなぁ……」
正面から否定するのは止めようと思うが、どうしても否定が出てしまう。味方を巻き込む必要のある場面というのが、全く思い浮かばない。その前に色々できることがあると思う。
「あたしは嫌だよ。上級魔法に巻き込まれるのは」
「そうだよね」
セシリーの言うことがもっともすぎる。誰だってそんなのは嫌だろう。ミラベルも神妙な顔をして頷いた。
「そうよね。……さて、ごめんなさいね。話ばかりになってしまって」
「あ、ううん。わたしもごめん。じゃあえっと、生活魔法を使ってもらっていい?」
「ええ」
今いる場所は、寮の中のミラベルの部屋である。こんな場所で唱えられる魔法は限られる。だが、場所に限らず、リィカはまず最初は生活魔法から使ってもらうようにしている。
「『水よ。我が指先に宿れ』――《水》」
ミラベルが魔法を唱える。指先にできた水の球は、ごく普通の《水》だ。一見、何も問題ない。
「――うん、すごくいいね」
動揺を押し隠して、リィカは笑顔を浮かべる。やはり、ミラベルは才能があると思う。許されるなら無詠唱も教えたい。というか、たぶんやろうと思えば、教えなくてもできるレベルになっている。
魔法名すら唱えずにできるようになるかは、まだ分からないが……。
教えるのはいいが、やはり早いところ魔封じの枷をどうにかしなければ、何かあっても拘束すらできなくなる。
そう内心で思いながらも、それを表には出さず、表情を取り繕ったのだった。




