母への挨拶
「あ、あの、失礼します」
アレクが緊張しながら部屋に入っていったのは、リィカの母マディナの部屋だった。
朝食の席で言おうと思ったら、来なかった。どうやら平民に過ぎない自分が出しゃばらないよう、気を遣っているみたいだ、とリィカが言っていた。
安心したのとガッカリしたのと、両方の気持ちになりながら、朝食後にアレクはマディナの部屋へ向かった。緊張しておかしくなりそうなので、リィカにも一緒に来てもらっている。
ガチガチに緊張しているアレクを、リィカは心配そうに見て、マディナは驚いたように目をパチパチさせている。その仕草がリィカにそっくりだと思いながら、アレクは口を開いた。
「その、色々順番が違う気もしますが……。俺はリィカと結婚します。絶対に幸せにすると約束します。だから、その、結婚の許可を頂きたく、こうして参りました!」
アレクはガバッと頭を下げた。視線を感じて心臓がバックンバックン言っている。
「頭を上げてくれませんか、王子様」
マディナの心底困った声がして、アレクは言われたとおり顔を上げる。声に違わず、マディナの困った顔が見えた。アレクと目が合うと、その顔が少し笑った。
「まさか、こんな丁寧なご挨拶を頂けると思っていなくて、驚いてしまいました。こちらこそ、本当に娘で良いのでしょうか」
「もちろんです。リィカがいいんです」
躊躇う必要も感じず、アレクは即答する。リィカが恥ずかしそうに笑いながら、アレクの手を握り、アレクも握り返す。そんな様子をマディナは見て、頭を下げた。
「どうか、リィカのことをよろしくお願いします」
「は……はいっ!」
少し上ずった声でアレクは返事をする。正直、一番の難関だと思っていたリィカの母への挨拶は、こうして無事終了したのだった。
※ ※ ※
「アレク、お母さんと話すのに、そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」
「……無理だ」
母の部屋に入る前から強張った顔をしていたアレクは、部屋から出てくると疲れ切った顔になった。正直、ここまで緊張して疲れ切った顔はあまり見た事がない気がするリィカだ。
リィカからしたら、貴族や王族と話をするときの方がよほど緊張すると思うのだが、そういう時のアレクは堂々としていて、緊張している様子を見せない。
「あのさ、マディナさん相手にはなんであんな丁寧な口調なの? 僕には偉そうなのに」
そう言ったのは、もちろんクリフである。部屋の中には入らなかったものの、中の話が聞こえる所までは来ていたのだ。理由は「妹の大切な母親に何かあったら大変だから」で、コーニリアスは笑うだけで止めることはなかった。
「リィカの母君だぞ。丁寧にもなるだろう」
「僕は、兄なんだけど?」
「たった数日で偉そうなことを言うな。リィカとの付き合いは俺の方が長い」
「……やっぱり腹立つ」
ぐぬぬ、とクリフが悔しそうにする。リィカはと言えば、この二人が仲良くないなとは思っているものの、その原因が自分にあるとは想像もせず、こういう言い合いが始まるとどうしたらいいんだろうと悩んで、結局悩むだけで終わっている。
そのままリビングに戻ると、そこにはコーニリアスも控えている。ソファに座り、アレクが話を切り出した。
「国王陛下にも話をするが、そろそろ俺たちは国へ帰る」
その言葉に、クリフが泣きそうな顔をした。それをサラッと無視して、アレクは話を続ける。
「帰ったらリィカとの婚約話を進めるから、そのつもりでいてくれ」
「…………ぅ……」
リィカが小さく呻いて顔を赤くする。分かってる。分かってはいる。けれど、改めて言われると、恥ずかしい。
そんなリィカを見て、さらにクリフの顔がさらに泣き顔になっている。
「……リィカぁ、帰らないでここにいようよー」
「ごめんね。向こうに友だちいるから、帰りたい」
「そうだよね。分かってるよ。でも寂しいんだよ」
そしてどさくさに紛れて、リィカに抱き付いたクリフを、アレクが問答無用で引き剥がした。
「ったく。一応でも当主はお前なんだから。――いいな?」
「嫌だって言ったら、どうする?」
「リィカが悲しむだけだな」
「――ああもうほんとにムカつくーっ!」
クリフが叫んでアレクが勝ち誇った顔をして、リィカは首を傾げた。それを、コーニリアスが面白そうな顔で眺めていたのだった。
※ ※ ※
それから、帰国は一週間後になった。
リィカも一度は王宮へ戻り、国王やジェラードに挨拶をしたり、帰り支度があったりで、バタバタした一週間を過ごした。
いざ帰るとなったときも、クリフがなかなかリィカを離そうとしなくて、周囲からの笑いと呆れを誘ったりしたが、それ以外は何事もなく出発となった。
――そして。
「戻ってきた」
アルカトルだ。




