マルティン伯爵の提案
「久しぶりだな、リィカ」
「昨日、出かける前にも会ったよね?」
アレクが言うと、リィカが不思議そうにした。確かにベネット邸に出かけるリィカを見送るために会いはした。だが、それきりなのだ。
「昨日の夜、会えなかったから、久しぶりでいいんだ」
「……もしかして、泊まっちゃだめだった?」
少し不安そうなリィカに、アレクは苦笑した。そういう意味ではないのだ。相変わらず、通じない。
「駄目なわけではないが、会えなくて寂しかった」
「……ごめんなさい」
はっきり言うと、リィカの顔がボンと赤くなって、うつむいて謝罪する言葉はゴニョゴニョと小さい。それにアレクは笑い、話を進めることにした。あまり長くなると、あのクリフという男が乗り込んできそうだ。
「それで、リィカは何を聞きたいんだ?」
「――あっ! そう! あのね、アレクの言ってたベネット家の一員にならないかって話をされたんだけど」
話を振ると、リィカが怒濤のように話し始めた。やはりその話かと思いながら、リィカの頭をポンポンと叩いた。
「落ち着け、リィカ。ゆっくり話せ。息が切れるぞ」
「……あ、うん、ごめんなさい」
首をすくめたリィカは、先ほどよりは落ち着いた口調で、でも普段よりはやや早めの口調で、クリフやコーニリアスから聞いたという話を話し始めた。
聞きながら、コーニリアスも何もそこまで言わなくてもと思ったが、それでもやはり知っておくべきかと思い直す。これから色々な貴族の思惑に触れていくことになるのだ。そうなってから翻弄されないよう、今から知っておくのは必要だろう。
「……それで、どうしたらいいのかなって思って」
「コーニリアスの言うように、お前が決めることだぞ?」
リィカに聞かれたら助言しようと思っていた、ベネット家の一員になるにあたってのメリットやデメリットは、話されてしまっていたようだ。であれば、アレクから言えることは何もなかった。あとはリィカが決めるしかない。
「……なんて言うのかな、ベネット家の一員になりたいとまでは思えないの。でも断っちゃうと大変そうだし、なった方がいいのかな、程度にしか思えなくて。だから、こうしろって言ってもらえた方がいいなって言うか……」
「なるほど。リィカの中で決定づけるための情報が足りないのか」
うーんと唸る。こうしろ、とは言えない。アレクが言えば、きっとリィカはその通りにしてしまうだろう。それでは駄目なのだ。今後のためにも、決めるのはリィカ自身でなければならない。
だが、正直な所、出すべき必要な情報は全て出し尽くされているように思う。それでも足りないとなれば、どうしたらいいのか。
(……あの人に、頼るか)
思い浮かんだ考えに眉をひそめた。リィカのことなのに自分ではどうすることもできず、人に頼るのが嫌なのだが、アレクには何も浮かばない。とすれば、あの人の年の功にでも頼るしかない気がする。
「……リィカ、あの人に……マルティン伯爵に会ってみるか?」
「え?」
「ずっとこの国にいて、第三者の視点から見た情報もあるだろうし、年食ってるから、その分何かアドバイスがあるかもしれない。絶対どうにかなるとは断言できないが、どうだ?」
マルティン伯爵とは、このモントルビア王国に滞在しているアルカトルの大使であり、アレクや兄のアークバルトが幼い頃に教育係をしていた人物でもある。
過去に散々説教されたせいで、アレクは苦手意識を持っているが、それでも信頼しているという人物でもある。
リィカも会って話をしたことがある人物だ。悪い印象は持っていないはず。そう思いながら顔を見てみると、パッと明るい顔をした。
「うん、会いたい」
嬉しそうに笑うリィカに、やっぱり止めようかなと思ったアレクは、自分自身の心の狭さを感じていた。
※ ※ ※
前触れを出してもらい、昼食後にマルティン伯爵の屋敷へと向かう。クリフが一緒に行きたそうにしていたが、コーニリアスに止められて、泣きそうな顔をしていた。
屋敷に到着すれば、その門前にはいつかの時と同じように、執事のチャドが出迎えており、そして中に通される。そして、マルティン伯爵の待つ部屋へと通された。
「お久しぶりです。昨年お会いした時には、色々とご迷惑をおかけいたしました。改めて感謝致します。ありがとうございました」
リィカがスカートの裾をつまんで挨拶してみせると、マルティン伯爵もチャドも少し目を見張り、次いで柔らかく笑う。
「丁寧にありがとう。しばらく見ぬ前に、立派な貴族のご令嬢になったね」
「見せかけだけでも、そうできてるといいなと思うんですけど」
「心配いらないよ。ここまで綺麗なカーテシーは、なかなかお目にかかれない」
マルティン伯爵の言葉に、リィカは照れくさそうに笑う。アレクはムッときた。自分が似たような事を言っても、リィカは不安そうにして頷くだけなのに、なぜマルティン伯爵が言うと、素直に嬉しそうにするのか。これが年の功なのだろうか。
そんなアレクをチラッと見たマルティン伯爵が、いたずらっぽく笑う。アレクの心の動きなど、お見通しといったところだろうか。
思わず背筋を伸ばして居住まいを正すアレクだが、その時にはすでにマルティン伯爵の視線は、リィカに戻っていた。
「それで、相談したいことがあるという話だったね?」
「は、はい、そうなんです。どうしていいのか分からなくて、そうしたらアレクが伯爵閣下に相談してみたらって言ってくれて」
「おやおや、それは嬉しいね。この老いぼれがどれだけ力になれるかは分からないが、聞かせてくれるかな」
マルティン伯爵の穏やかな笑顔と言葉に、リィカは頭を下げて、話し始めたのだった。
※ ※ ※
「なるほど」
話を聞き終えたマルティン伯爵は、やはり穏やかな笑顔のまま頷いた。自身も考えるようしながら、リィカにゆっくり語る。
「アレク様の仰るように、その答えはリィカ嬢が出さなければならないよ。他の誰かが出した答えでは、近い未来にリィカ嬢自身が後悔することになる。何といっても、リィカ嬢自身の将来のことだから」
「……はい」
リィカは小さく頷いた。分かっていないわけではないのだが、それでもどう答えを出せばいいのかが分からない。
「おそらく今の時点で、リィカ嬢の心情を一言で言ってしまえば、"どちらでもいい"ということになるのかな。ベネットの一員になるメリットデメリットは、リィカ嬢にとってはたいした問題ではない」
一瞬ためらって、リィカは頷いた。確かに、どちらでもいい。公爵を名乗れるからどうなのか。それでナイジェルの態度がコロッと変わっても、それはそれで嫌だ。どちらでもいいからこそ、相手に悪いから話を受けてもいいかなぁ、程度にしか思えない。
「そうだね、こう考えてみてはどうかな。今は個人的な繋がりだ。もし相手が嫌になれば、いつでも簡単に縁を切ることができる。けれど、正式にベネット家に一員になれば、それはつまり家族になるということだ。そうなれば、これからずっと縁が続いていく」
「家族……」
「そう。君が違う場所に住んでいても、誰かと結婚しても。今後仮にクリフという新しい当主が、権力に溺れて横柄な貴族になったとしても。それでも、君との縁は続いていく。そうなったとしても、家族として彼を支えたいと思えるかどうか」
リィカは眉をひそめた。どうなのだろうか。今までの話とは全然違う話の切り口だ。だが、リィカにとってはすごく考えやすく、想像しやすい。
どうなのだろうか。クリフに好意は持っている。兄と呼んでもいいと思って、そう呼んだ。仲良くなったと思う。家族としての縁を続けていきたいのだろうか。
「……まだ、よく分かりません」
結局リィカはそうとしか言えなかった。今までリィカにとっての家族は母だけだった。当然、母が今後どうなったとしても縁を切るなど浮かびもしない。だがクリフに対してそこまで思える自信はなかった。
「ふむ、そうか。時間があるならゆっくり関係を築いていけばいいのだろうけど、早めに答えを出せた方がいい問題ではあるからね。――そうだ」
リィカの答えにマルティン伯爵は少し考えて、面白い事を思いついたとばかりに、ニヤッと笑った。
「デートしてみたらどうだろうか」
「え?」
「待て、なぜいきなりデートなんだ!」
疑問を浮かべるリィカに、それまで黙っていたアレクがマルティン伯爵に噛み付いた。だが、マルティン伯爵は面白そうな表情を崩さない。
「つまり、リィカ嬢が新しい当主のことをまだ分かっていないことが原因だからね。彼のことを知るために一緒に出かけてみたら、また違う発見も見方もできるだろう。彼が育った場所に行って、彼を知っている人と交流してみるのもいいかもしれない」
リィカの顔に理解の色が浮かぶ。そして、それを自分が希望すれば、クリフが会えていない知り合いに、クリフ自身も会えるのだ。
「はいっ、ありがとうございます! 話をしてみます!」
喜ぶリィカと裏腹に、アレクの機嫌が急降下していく。リィカは気付かないが、当然マルティン伯爵は気付く。
「アレク様、まさかとは思いますが、自分も一緒に行くとか言い出しませんよね?」
「…………」
まさに言おうとしていたことを言われてしまい、アレクは無言のまま口を結んだのだった。




