公爵家の一員になるとは
「遅かったね、コーニ」
クリフが声をかける。先ほどまでリィカと話をしていたときは"先生"をつけていたのに、今は見事に呼び捨てだ。すごいなぁと、リィカは素直に感心する。
「申し訳ありません、少し用がございまして」
頭を下げるコーニリアスにリィカは不思議に思う。コーニリアスは、明らかに家を出ていっていた。どこに向かったかまでは確認していないが、言わないのだろうか。
まあいいかと思う。言わないものを無理に暴くこともない。
「あの、すみません。呼び方なんですけど、コーニリアスさん、じゃだめですか?」
話題には出たが結論の出なかったそれを、リィカは直接聞いた。呼び捨ては絶対無理だ。どこかで妥協して欲しい。そんな気持ちも込めたリィカの言葉を、コーニリアスはしばし考えた上で、仕方ないと言わんばかりに笑った。
「かしこまりました、それで構いません。それから後々でもいいのですので、敬語を取り払って頂けると、有り難く存じます」
「……あ、はい」
解決したと思ったら、またも難題だ。けれど"後々でいい"とは、先ほどに比べてずいぶん緩やかになったなと思う。
「まだ聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「何でしょうか」
完全に敬語を無くすのは難しいが、それでも多少なりとも崩して問いかける。それに何を言うでもなく聞き返すコーニリアスは、本当に後でいいと思ってくれているのか。
「ベネット公爵家の一員になるって、具体的にどういうことですか?」
「……!」
コーニリアスが驚きを示し、クリフをみる。クリフは苦笑した。
「アルカトルの王子殿下から話を聞いてたみたい」
「……そうですか、アレクシス殿下から。事前情報としてあげてくれていたのですね」
コーニリアスも苦笑して、リィカを見る。
「アレクシス殿下からは、具体的な話はなかったのですか?」
「はい。そういう話があるかもしれないから、とりあえず覚えておけみたいな感じで」
「左様でございますか」
それだけ答えて、コーニリアスは考え込む。リィカもクリフも何も言わずに、次にコーニリアスが言う言葉を待った。さほど時間もおかず、再びコーニリアスが口を開く。
「リィカ様は、ベネット家の一員になっていいと、お考えですか?」
「いえ、まだ分かりません。どう判断していいのかが全く分からなくて。だからまず、話を聞きたいんです」
「かしこまりました、それではご説明させて頂きましょうか」
そう言って笑ったコーニリアスは、妙に楽しそうだと、リィカは思ったのだった。
※ ※ ※
「まず大前提と致しまして、間違いなくリィカ嬢が前ベネット公爵の娘であるだろう、という事実がなければなりません。あの男にそっくりなクリフ様と違い、リィカ様は母君によく似ておられますからな」
コーニリアスがチラッと母を見て、リィカも見る。見られた母は緊張しているようだ。
「ですが、それについては問題ございません。モントルビア・アルカトル両国の国王陛下がそれを事実として認めている。それに異を唱えられるものなどいないでしょう」
リィカはコクンと頷いた。自分が感じた魔力のことや母の話よりは、万人が納得しそうだと思う。
「それで、"ベネット公爵家の血を引いている"ということが事実であるならば、当然ながら"ベネット公爵家の人間である"と、大抵の貴族は判断します」
「……あ、はい」
それも何となく分かる。公爵家の人間の子どもならば公爵家の人間だ、というのは自然なことだろう。
「逆に、血を引いているのに公爵家の人間ではない、とする場合、それなりの理由があります。……貴族家で一番ある理由は、侍女などの下位の貴族や平民に手をつけて、その結果生まれてしまった子どもである場合、でしょうか。あまりいい事例ではありませんが」
リィカは眉をひそめた。思い出すのはミラベルだ。だが、彼女は一応であっても、レイズクルス公爵家の一員であることに違いないのだ。
「……わたしの知っている人で、そういう人がいますけど、でもその人はちゃんとその家の一員になっています」
「何かしら能力に秀でていたり、当主が利用価値があると思えば、一員として迎えられる場合もあるようです。ですが、そうでない場合は、血を引く事実を周知されていたとしても、子として認められない場合も多いのです」
そういえば、"それなりに魔力を持っていたおかげで、娘として認められた"、という話を、ミラベルがしていたことを思い出す。それはつまり、もし魔力が少なかったら、娘として認められなかった、ということだろうか。
「周知されていても、認められないなんてあるんですか?」
「ございますよ。"侍女の子として生まれた能なし"という事実があれば、認めないのも当然だと思う貴族は多いのですよ」
リィカは顔をしかめた。これまで見てきた傲慢な貴族であれば、そういう考えをしてもおかしくない、と思えてしまうのが嫌だ。
「ですがこの話は、あくまで子の立場が弱い場合の話です。リィカ様の場合は、違います」
「あ」
そういえばすっかり忘れてしまった。ベネット公爵家の一員になるとはどういうことなのか、それを聞いていたのだった。
「まだリィカ様がベネット公爵の娘であるという話が、知れ渡っているわけではありません。ですが、こういうものは隠してもいつかは露見します。そうなると、隠していたという事実から、痛くもない腹を探られてしまいます」
何となく分かる気はする。何か隠し事をされてしまえば、どうしたって気になる。平民ならそれは個人の感情に過ぎないが、貴族ともなると、それでは済まないということなのだろう。
「であれば、公表してしまった方が面倒がない。ですが公表すれば、当然ながらリィカ様は"ベネット公爵家の一員"と思われます。ならなかった場合、先ほどの説明とは逆で、勇者一行であるリィカ様の不興を買うような真似を、ベネット公爵家がしでかしたのか、と思われるわけですね」
「実際にしてるけどね。あの父親がリィカの不興を買うようなこと」
黙って話を聞いていたクリフが、口を挟む。疲れたような、呆れたような口調だ。コーニリアスはため息をついた。
「それは完全な事実ですが、それを理由にされるのは、クリフ様もあの父親と同罪であるとリィカ様が思っていると、貴族たちに思われますよ」
「なんでっ!?」
「父親の罪を理由にリィカ嬢が一員になることを拒むというのは、要するにそういうことですよ。そうなると、ベネット公爵の罪を追及して捕らえて、クリフ様を当主の座につけて支持している国王陛下にも、影響が及ぶ可能性があります」
「……うわぁ」
想像もしていなかった話をされて、クリフがポカンとしてつぶやく。リィカも同じような顔だ。
「……あの、じゃあわたし、ベネット家の一員になった方がいいですよね?」
「いえ、そうではありません」
改めて勇者一行の名前の大きさにリィカがビクつきつつ言った言葉に、コーニリアスははっきり否定する。リィカもクリフも、またもポカンとした。
「え、でも……」
「"ベネット公爵家の事情に配慮して、リィカ様が一員になった"という事実は、それもまた貴族たちからすると、勇者一行のお一人に対して無礼な真似をした、と攻撃するいい口実を与えることになりますから」
「……………」
「ですから、リィカ様はあくまでもご自分の意思で判断して頂いて良いのです。裏の事情など、気になさる必要はありません」
だったらそんな説明しなくても、と思ったリィカだが、そもそも聞かないと分からないと言ったのがリィカだから、説明してくれただけだろう。
眉を寄せて考え込むリィカに、コーニリアスは話を続けた。
「ベネット家の一員になる、リィカ様のメリットもございます。何と言っても一番は、堂々と貴族位第一位である"公爵"の人間だと、名乗れることでしょうか」
リィカは、ナイジェルを思い出す。ナイジェルは貴族位二位の"侯爵"の人間だ。リィカは三位の"伯爵"相当の地位で、彼より爵位が下だった。だが、ベネット家の一員になれば、ナイジェルより上に行くことになる。
「そして、貴族というのは血を尊ぶ者も多いですから。その体に貴族の血が流れているという事実があるだけで、見方が変わるものも多いと思われます」
「……どんな血だろうと、わたしはわたしです。何も変わりません」
「ええ、仰る通りです。ですが貴族というのは、そういう目でしか見られない者も多いのですよ」
釈然としなくても、理解するしかない。元平民という言葉には、平民の血しか流れていないという意味もある。ナイジェルがアレクに対して、"王家の品格を下げる"と言っていたこともあった。
「逆にデメリットとしましては、ベネット家が何かやらかしたり没落したりするようなことがあれば、それがリィカ様にも影響が及ぶということでしょうか。そうならぬよう、クリフ様が頑張って下さるとは思いますが」
「……いや。ちゃんとコーニも手伝ってよね」
クリフが困ったように突っ込み、コーニリアスが笑う。なんだかんだ言いつつ、クリフはコーニリアスを頼っているし甘えてもいるんだろうなと、リィカは思う。
「ですので、リィカ様はご自身のメリットとデメリットを考慮の上、ご検討をお願いできればと存じます。一員になるのは、ただ書類上にサインするだけのことですので、それらの準備は私が致しますから、お気になさらず」
そんなことを言われても、とますます眉を寄せるリィカの耳に届いたのは、ドアをノックする音だ。コーニリアスが応対し、「王宮から?」という声が聞こえた。
「クリフ様、王宮からの連絡で、明日アルカトル王国の王子殿下であるアレクシス殿下が、ぜひこちらに伺ってみたいと仰っているそうですが、どうなさいますか?」
「アレクがっ!?」
そう言ったのはもちろんリィカである。
驚いたその声の中に、嬉しさも混ざっていることに気付いたクリフが、ムッとした顔をした。
「それ、断れるの?」
「やめた方がよろしいかと存じます。付き合いの深い隣国の王子殿下ですし、勇者ご一行のお一人でもあります。断るのは心証が良くありません」
「……………ふーん」
つまらなそうにつぶやき、今度はリィカに話しかける。
「リィカは親しそうだけどさ、その王子殿下とどんな関係?」
「……え、どんなって」
一緒に旅をしたし、そりゃ親しいだろう。どんなって仲間だけど、という答えがリィカの頭を巡ったが、それが口から出ることはなく、少し顔を赤くしてうつむくだけで終わる。
うつむいてクリフから見えない目には、迷いの色があったのだが、もちろんそんなことはクリフには分からない。リィカが嬉しそうにしたことと、頬を赤くしていること。そしてこの国に滞在していた過去の、聞いた様子。
それらから、クリフはおおよそ正確な事情を把握する。
「分かった。……コーニリアス、招待するって伝えて。リィカの相手の男がどんな奴か、僕が見定めてやる!」
「かしこまりました」
命令口調になるときにはフルネームを呼ぶクリフに、コーニリアスはわずかに笑みを含ませながら頭を下げる。若いっていいものだ、と心の中でつぶやいていたのだった。




