リィカとクリフ
「お兄ちゃん、どうしたの?」
大きく伸びをしたクリフに、リィカは問いかける。呼び慣れなくて恥ずかしいが、そのうち慣れると信じたい。
「ん、いや。もちろん、ちゃんとしなきゃいけないのは分かってるんだけど。でも、コーニ先生とかジェラード様がいると緊張するなぁって思って」
リィカが、プッと笑った。
「また先生って呼んでるよ、お兄ちゃん」
「いないからいいの。ああ、でも」
クリフが、手を合わせて恍惚とした表情になった。
「お兄ちゃんって、なんかいいなぁ」
リィカが楽しそうに笑い、母も少し複雑そうではあるが、笑顔を見せたのだった。
※ ※ ※
「……クリフのところに戻らなくていいの、コーニリアス?」
「戻らなければ駄目ですけど、どうしたものかと思いまして」
ジェラードが王宮へ戻ろうとするとコーニリアスが来て、一緒の馬車に乗っている。自分は執事だと言いながらも、結局こうしてクリフを通り越して行動してしまっているのは、果たしてどうなのか。そう思うジェラードだが、何も口にはしなかった。
そして、王宮。フェルドランド国王も息子のジェラードとすぐに会うが、そこにコーニリアスも当たり前のようについてきた。
「ああ、なるほど。リィカ嬢に公爵家の一員になってほしいという話ができなかったのか」
国王は話を聞いて苦笑する。なかなか苦戦しているようだとは思うが、それは言わない。
「ジェラードから見て、どうだった? クリフとリィカ嬢の関係は」
「仲良くなっていると思いますよ。クリフは最初から"妹"を迎え入れるつもり満々で、リィカ嬢もずいぶん気を許して、"兄"と呼んでいましたからね」
「なんだ、だったらいいじゃないか。何を焦ることがあるんだ、コーニリアス?」
国王が拍子抜けしたように言った。関係が上手くいっていないようなら、何かしら考えなければいけないだろうが、良好であるなら様子を見ればいいと思う。
「……あせっているんですかね、私は」
コーニリアスが国王の言葉に、何かに気付いたかのように項垂れて、大きなため息と共に言葉を出した。
「早く、何とかしたいと。国王陛下の強い支持があるから何とかなっていますが、貴族からは平民育ちの当主と言われ、民からは国を危機に陥れた家だと言われて。リィカ様の、勇者一行の肩書きを、できるだけ早く欲しかった」
悔恨をにじませるコーニリアスの言葉に、国王は苦笑した。
「最初はそんな肩書きが得られるとすら、思っていなかったじゃないか。心配するな。そんなものがなくても、クリフは立派に当主を務めているよ」
「……そうですね」
コーニリアスは再度大きく息を吐いて、そして頭を下げた。
「申し訳ありません、陛下。何事にもタイミングというものがあるのに、それを失念していたようです。……それから、なるべくこうして会いに来るのは止めようと思います。今の私は、クリフ様の部下ですから」
それだけ言って頭を上げると、その場を去った。それを、国王はほんの少し寂しさをにじませながら、見送ったのであった。
※ ※ ※
「コーニリアス様、遅いね」
「様なんてつけてると、また怒られるよ、リィカ」
「だって……」
リィカが唇を尖らせる。それがリィカにとって自然な呼び方に感じてしまって、しょうがないのだ。
「さん付けなら、いいんじゃないの?」
「あ、どうなんだろ?」
母の提案に、リィカは首を傾げる。呼び捨てよりはまだ良い気がする。クリフを見てみるが、こちらも"分からない"という顔をしている。
まあ、本人に直接聞いてみるしかないか、とリィカは思う。新人の貴族である自分たちでは判断できない。
そして、先ほどのコーニリアスとクリフの話を思い出した。リィカは躊躇ったが、この場にクリフしかいない時に聞いてみようかと思って、それを口にした。
「……ねぇ、お兄ちゃんはわたしにこのベネット公爵家の一員になって欲しい?」
その質問にクリフが大きく目を見開いた。母が何のことだと言いたそうな顔をしているが、説明は後だ。
「その話、知ってるの? 誰から聞いた?」
「アレクから。多分、そういう話をされるだろうって」
リィカがサラリと口にした"アレク"の名前に、ほんの少しクリフが面白くなさそうな顔をしたが、リィカは気付かず話を続けた。
「勇者一行の一人が、一員になったことを喧伝するんじゃないかって。でもわたし、一員になるってどういうことなのかも、よく分かってなくて」
「…………そっかぁ」
少し長めの沈黙の後に、クリフがため息と共につぶやいた。考えるようにしつつ、リィカに答える。
「僕はさ、顔がそっくりだし、あの父親の子どもだっていうのは周囲があっさり認めた。国王陛下の支持もあったから、こうして公爵家の当主なんてものになったけど、それでも所詮は"平民育ちの当主"でしかない」
それはリィカ自身も言われていることだ。いくら貴族になったところで、自分はいつまでも"元平民"だ。
「コーニ先生が来たことで大っぴらに言う奴はいなくなったけど、やっぱりどうしてもそういう偏見は残る。それにさ、街にいる人たちからしたら、このベネット家って"王都を危険に晒した家"なんだよね」
「それは……。だって、あの人は捕まったのに」
「捕まってもさ。結局家を継いでいるのは、それをやらかした人の子どもなワケだし。僕を直接知っている人は、そんなことは思ってない……といいなとは思うけど」
クリフが少しだけ寂しそうに笑う。クリフは王都にずっと暮らしていたから、知り合いだってたくさんいる。だが今こうして貴族の当主となった今、それらの人たちに会うことはできていない。
「それで、リィカもあの父親の子どもかもしれないって話になったとき、コーニ先生が言ったんだ。あの人たちがやらかしたことを止めたのは、勇者様ご一行だ。つまり、父親のやらかしたことを娘が全力で止めた、とも言える」
そういえば、アレクも似たような事を言っていた、とリィカは思う。あの話に勇者一行なんて関係ないと思ったが、なるほど無関係ではなかったようだ。
「その話が街に伝われば、家の評価もまた変わってくる。そして、勇者一行の一人がベネット家に入ったとなれば、貴族連中もますます何も言えなくなる。つまり、いいことだらけだってわけ」
クリフが、フゥッと息を吐いた。
「話は分かったけどさ、でもだからって妹を利用するような真似はしたくないし、一員になるにしても、ちゃんとリィカと仲良くなって、気持ちを確認してからじゃないとって、僕は思ってる。押しつけたくはないから」
「そっか。……うん、ありがとう」
いいことだらけなのを分かった上で、それでもまずは仲良くなることを優先してくれた。仲良くなって、リィカが言いたいことを遠慮せずに言えるようになってから、話をするつもりだったのだろう。
それは素直に有り難い。アレクに事前に聞いていたとはいっても、最初にこんな話をされていたら、間違いなく萎縮していた。
「……でも、いいことだけしかないのかな? そんなうまい話ってある?」
「ああ……。そうだね、そう言われてみれば確かに。コーニ先生はそれしか言ってなかったけど、うーん……」
二人で考え込んでも答えは出ない。そして、貴族家の一員になるとはどういうことなのかも、結局よく分かっていない。
「遅くなりました、申し訳ありません」
ノックと共に帰ってきたコーニリアスに、聞くだけ聞こうと、リィカは決めたのだった。




