兄との邂逅
「り、リィカです。よろしくお願いします」
青年の挨拶に呆気にとられてしまったリィカだが、慌てて挨拶を返す。青年につられて、貴族風の挨拶を忘れて、普通に頭を下げてしまった。
「よろしくね」
ニコニコの青年に、リィカも顔に笑顔が浮かぶ。何か話しかけようと、リィカが口を開きかけたが、その前に老人の地を這いずるような低い声が、それを止めた。
「……クリフ様、なんですかその挨拶は。きちんとお教えしましたよね? できるようになっていたはずですが、もしかしてもうお忘れですか」
「ちょっと、コーニ先生、怖いんですけど」
「先生をつけて呼ぶなとも申し上げていたはずです。この数ヶ月、あなた様に教えたことが全部無駄だったのかと、言いたくなってしまうのですが」
「む、むだじゃないって。大丈夫、ちゃんと覚えてるよ。でもさほら、リィカもずっと平民育ちだったわけだし、別にいいかなって」
「良くありません! リィカ様はきちんと貴族としての挨拶や言葉遣いをされておりましたよ! だというのに、クリフ様は何をされておられるのですか!」
「今のリィカの挨拶、すごく普通だったけど」
「クリフ様に合わせて下さっただけですよ! しっかりされて下さい! 会うなり妹君に気を遣わせるとか、兄君として情けないでしょう!」
「そうかなぁ? 大丈夫だよ、僕もやんなきゃなんない場所ではちゃんとやるよ」
「今がやらなければならない場所ですよ!」
目の前でされるやり取りに、リィカは微妙に視線を逸らせたくなった。少なくとも気を遣ってあのような挨拶を返したわけではない。青年の挨拶を見て、自分も慣れた挨拶が出てしまっただけである。
というか、もう彼らの間では、自分が妹なのは決定なのか。いや、血筋的にはそうなのだろうけど、リィカにはまだ青年が"兄"との認識はない。
(それにしても、似てるのに似てないんだなぁ)
一目見て怖くなるくらいに、あの父親に似ている。似ているのに、今コーニリアスとやり取りしている青年の表情は、全くと言っていいほど似ていない。顔って不思議だなぁと眺めていると、ジェラードに話しかけられた。
「あの男によく似ているでしょう? 我々も皆そろって驚いたものです。それでいて、話していると全く似ていないものだから、違和感があってしょうがなかったんですよ」
笑いながらの台詞に、リィカも頷くしかない。心から納得できる話である。"兄"かどうかはともかくとして、仲良くなれる気がしたリィカだった。
※ ※ ※
「それでルイス公爵……えっと、じゃなくて、国王陛下に会ったんだ」
「そうなんだよ。いきなり公爵閣下なんてすごい人が来るからさ。そりゃあ盗みなんて駄目だろうけど、そこまでのことなのかって、内心すごくヒヤヒヤした」
コーニリアスの説教が延々続くかと思われたが、そこで侍女の入れたお茶が届き、いったん座って話をすることになった。
リィカがクリフに敬語で話しかけたら、しかめっ面で「敬語はナシ!」と言われてしまった。いいのかな、とチラリとコーニリアスを見たら、笑って頷いたので普通に話をさせてもらっている。
そして、今の状況になるまでの話を聞いているのだが、話し方に壁がないせいか、リィカもすでにクリフに気を許して、楽しく会話をしている。
「大変だったね」
「うんでも、結果的には良かったと思ってるよ。まあ、まさか僕が公爵の当主なんてものになるとは思わなかったけど。でもそれでリィカに会えたし」
「……そうだね」
とはいっても、あちらが全面的に"妹"と思ってくれているのに対して、リィカはまだそこまで思うことはできていないのだが。
「リィカはさ、その、平気? あの父親に大変な目に合わされたって聞いたけど。それに、昨日面会したって……」
それでも、純粋に心配して気遣ってくれるのが、嬉しいと思う。
「あの時のことは怖くないわけじゃないけど、でももう平気。昨日会って、全部整理つけたから」
「それならいいけど」
少し心配そうにしながら、それでも笑ったクリフは、何かを思い出したように「あっ」と声を出した。
「そうだ、聞いてみたかったんだけどさ。リィカは前に会ったときから、あの人が父親だって分かってたの? 何か、それを匂わせるっぽいことを質問してたって聞いたんだけど」
「……ああ」
そういえばそうだったな、と思う。名前を聞くだけならともかく、「十七年前にアルカトル王国にいたか」なんて聞けば、不思議にも思われるだろう。
「お母さん……?」
「話して良いわよ」
アレクには勝手に話してしまったが、今度は一応母にも確認をとる。というか、母から話をするかと思ったが、話はリィカがしなくてはならないらしい。
リィカはアイテムボックスに手を触れて、小石の入った袋を取り出した。これを人の目の前でやるのがいいのかどうかを悩むのだが、大抵の人は「まあ勇者一行だし」で納得してくれるようなので、リィカもあまり気にしないようにしている。
突然現れた小袋を不思議そうに見ているクリフに、その中の小石を渡す。
「あの人の腕輪に、その紋様のついた宝石がついてるのが見えたんだって。それでお母さん、半ば無意識に魔法を発動させたみたいで、それができたんだって」
あまりその時の状況を具体的には言葉にしたくなくて、ザックリ端折る。首を傾げたクリフに、通じなかったかなと心配になったリィカだが、疑問は別のところだった。
「魔法……?」
「ユニーク魔法だよ。見たものをそのまま別のものにコピーする魔法。でも、魔力量が少なすぎて使い物にならないんだけどね」
「使い物にならなくて、悪かったね」
リィカの話の途中で、ジェラードやコーニリアスが驚いたように腰を浮かせたのが見えたが、すぐまた座り直した。
アレクが「すごい魔法だ」と称したように二人もそう思い、それが活用されていない理由も理解したんだろう。
笑いながらのリィカの説明に母が突っ込んで、それをクリフがほんの少し羨ましそうに見る。
「それでその家紋と、あの人の乗ってきた馬車にあった家紋が同じだったから、もしかしてって思って」
「そっか、それでアルカトルに来てたのかって聞いたんだ」
「うん」
リィカは頷きつつ、あの時のことを思い出す。馬車でその家紋を見てから質問するまでの間、色々本当に大変で辛かった。忘れることはないだろうけれど、もうその記憶に囚われて足を止めることはないし、止めてはいけないと改めて思う。
クリフが、リィカに言った。
「もしもさ、また何かあったら言ってよね。僕にもまだ家族がいるんだって聞いて、本当に嬉しいんだ。頼りないかもしれないけど、お兄ちゃんぽいこと、してみたいから」
リィカはクリフを見る。その顔は少し切なそうで、でも優しくリィカを見ている。本当に喜んでくれているんだろうな、というのが分かる。
だから、リィカは吹っ切ることにした。
「うん、ありがとう。――あの、お兄様って呼んでいいですか?」
ここまでの会話の中で、クリフのことを名前も呼ばなかった。何と呼んでいいのかが分からなかった。けれどここでやっと、呼び方について聞くことができた。
勇気のいったリィカの質問に、クリフはパァッと笑顔になったが、すぐ顔をしかめた。
「お兄ちゃんの方が良い」
「クリフ様」
答えようとしたリィカが何か言うより先に、ずっと黙っていたコーニリアスが低い声で言う方が早かった。
「貴族家において、その呼び方はふさわしいとは言えません。お二方とも平民として育ちましたが、だからこそ貴族としてふさわしい振る舞いができるということを、周囲に知らしめるためにも」
「分かりました、ごめんなさい、僕が悪かった」
説教モードに入りかけたコーニリアスに、クリフが白旗を揚げた。それを見て、リィカがクスクス笑う。
「あの、コーニリアス……様? 個人的な場所なら、お兄ちゃんでもいいですか?」
「公の場と分けて頂けるのであれば構いません。ですがリィカ様、私に様をつける必要はございませんので、どうか呼び捨てになさって下さい」
「ええっ!?」
リィカは悲鳴をあげてしまった。どこからどう考えても、コーニリアスの方が"上"な気がするのだ。
「あの、先々代の国王陛下の側近をされていたと、アレク、シス殿下から伺ったんですけど」
いつものようにアレクと言いかけて、慌てて付け足す。変な間はあっただろうが、何とかごまかせたと思う。コーニリアスは、気付かなかったわけではないだろうが、そこは何も言わずに、リィカの話に淡々と答えた。
「確かに以前の私はそうでしたが、今の私はこのベネット公爵家に仕える執事です。私にとってリィカ様は、仕える主君の妹君です。その方に様付けされるなど、とんでもないことでございます」
「ええっと……」
リィカの脳裏に、アレクの話していたベネット公爵家の一員になるとかならないとかの話が浮かぶ。もしかしてもう、一員になったことになっているのだろうか。
会うだけはあった。クリフを"兄"と呼んでもいいとも思った。けれど、それはあくまでもリィカの個人的な感情の結果に過ぎない。公爵家の一員になるかどうかは別の問題だ。そもそも、一員になるということがどういうことなのかも、リィカはよく分かっていない。
どうしたらいいのだろうか。とりあえずは、その通りに呼び捨てにするのが一番いいのかもしれないが、正直自分には無理だと、リィカは思ってしまう。
「コーニリアス、リィカをいじめるな」
その時、そう言ったのはクリフだった。つい先ほど、コーニリアスの説教モードに白旗を揚げたとは思えないくらいに、その口調ははっきり"命令"だった。
そんなクリフに、コーニリアスはわずかに目を見張る。一瞬悩むように目が泳いだが、すぐに言った。
「……何もいじめておりません、クリフ様。執事を様付けで呼ぶ主君があってはなりません」
「僕の妹ではあっても、コーニリアスの主君じゃないんだ。勘違いしちゃダメだ」
「クリフ様、何度も説明しましたが、それは」
「言いたいことは分かってるよ。それでも、まだ早いと思う」
クリフに譲る様子がないことを、コーニリアスも理解したのだろう。口を噤んで、黙って一礼して後ろに下がる。クリフは、リィカを見て苦笑した。
「ごめんね、リィカ。先生……あ、じゃなかった、コーニの言うことは気にしなくていいから」
リィカは小さく息を吐いた。今のやり取りで、クリフも自分を公爵家の一員にするとかという話を知っているというのが分かる。その上で、はね除けてくれたのだ。
それにしても、先ほどはコーニリアスと呼んでいたのに、また"先生"に戻っている。小さい頃からそう呼んでいたというから、どうしてもそれが出てしまうのだろう。慣れた呼び方を変えるというのは、難しいものだ。
リィカも果たして"兄"呼びを、きちんと使い分けできるかどうか。自分で言ったのはいいが、自信がない。
「ねぇリィカ、もっと話をしたいな。今日、こっちに泊まらない?」
「え……」
クリフの提案に、リィカはジェラードに視線を持っていく。リィカが勝手に返事をしていいのかどうかが分からない。
「こちらは構いませんよ。アレクシス殿には僕から伝えておきますから」
「お願いします」
ジェラードの言葉に、リィカは頷く。風の手紙でも言うことはできるが、ここは正式な手段を使うところだろう。
「やった! えっと、マディナさんも一緒でいいですよね?」
「ええ、はい」
直接クリフに話しかけられて、母は迷うようにしながらも頷く。
「よし! ……あ、えーと、コーニ、こういう場合、どうすればいいの?」
嬉しそうに言ったはいいが、その後悩むようにクリフに問われたコーニリアスは、苦笑するしかない。
「一言、お客様二人の部屋を用意しろ、とご命令なさればいいのですよ。私から侍女に言いますので、クリフ様はそのままで」
「うん、お願い」
コーニリアスはそのまま部屋を出て行き、ジェラードもそろそろ戻ると部屋を出て行った。二人が出て行くと、クリフは「んー」と大きく伸びをしたのだった。




