ベネット公爵との面会
「あちらになります」
ジェラードに連れられながら、リィカと母は歩く。今いる場所は、鉄格子がはまっている部屋がたくさんある、まさに牢屋だが、かつてリィカが入れられていた無骨な石畳の地下牢とは違う。下にはカーペットが引かれているし、置いてあるベッドなんかも立派そうに見える。
いわゆる、貴族用の牢屋なのだそうだ。贅沢な暮らしに慣れた貴族を、地下牢に入れてしまうと、あっという間に衰弱してしまって、捜査も何もはかどらなくなる。だから、こうした貴族用の牢が作られた、とそういえば習ったなとリィカは思う。
だが、ジェラードが示した場所は、鉄格子ではなく、頑丈そうな扉がある。中をのぞけるように扉の一部が四角くくり抜かれていて、そこに鉄格子がはまっている。
「あのような牢は、より重い犯罪を犯した者を入れる牢です。前国王や前王太子も、似たような牢に入れています」
「……………そうですか」
他にどう答えていいか分からず、リィカは一言そう返すしかできない。
前の国王に会うことはなかった。……話を聞いた限りじゃ、それで良かったと思う。
王太子とは、地下牢で会った。あの時はあれだけ威張り散らしていたのに、今は頑丈な扉の向こう側にいて、自由に出ることもできない。そう考えると、何とも複雑な気がした。
いい気味だ、ざまぁみろと思っていないわけではない。けれど、王太子という強い立場にいたはずの人が、自由を奪われる立場になってしまっていることが、気の毒というか怖いというか。今思っていることを、なんと表現していいか分からない。
ただ、これだけは思う。身分も権力も、絶対じゃない。それらを盾に好き勝手に振る舞えば振る舞うほど、失ったときの反動も大きいのだ。
「面会はあの牢ではなく、面会専用の場所で行います。――こちらへ」
案内に従って、歩く。その場所はすぐそこだった。
「中でお待ち下さい。元ベネット公爵を連れてきます」
その言葉に、リィカは大きく息を吐く。いよいよだ。
※ ※ ※
「面会とは、誰だ」
「誰でもいいでしょう。いいから歩いて下さい」
ジェラードの声と同時に、ドアが開いてリィカは息を呑んだ。二人の兵士に両脇を抱えられて入ってきた人物。……ベネット公爵だ。
以前に会ったときに比べて、やつれているように見える……気もしたが、違うかもしれない。そこまではっきり言えるほど、顔をじっくり見たわけでもない。
けれど、分かってしまった。ベネット公爵に流れる魔力。自分の魔力はこの人のを継いだのだと、リィカは確信してしまった。間違いなく、この人は自分の父親だ。
「……なんだ、勇者一行の小娘か。私が捕まったのをいいことに、恨み辛みでも言いにきたのか?」
だが、そんなリィカとは裏腹に、ベネット公爵の方はリィカを一瞥してつまらなそうに言い捨てた。母はチラリと見ただけで、話に触れようともしない。嘲るような笑みを浮かべて、話を振ったのはジェラードに対してだった。
「ご苦労だな。たかだか慰み者の女の対応で、わざわざ新しい王太子殿下が対応に当たらなければならないとはな」
「虚勢をはるのは構いませんけどね。リィカ嬢の放った混成魔法に、恐れおののいていたのは、誰でしたっけね」
「誰が……っ! あれは何かの間違いだろう! 平民ごときが、あんな魔法を使えるはずがないっ!」
「目の前で見ておいて、一体何をどうして間違いだと思えるのかが、不思議ですよ」
ジェラードは、やれやれとつぶやき、そして、顎をしゃくった。
「それより、今回の面会はあちらの女性二名だ。きちんと相手をしろ」
それまでの丁寧な口調から一転、命令口調に変わり、ベネット公爵が舌打ちをした。両脇を抱えた兵士たちは動かないから、この状態での面会になるのだろう。
ジェラードに目で促されたが、リィカは動けない。先に動いたのは、母の方だった。無言のまま、両脇を兵士たちによって抱えられて動けないベネット公爵の前に立つ。
「何だ、女。平民が、この私の前で頭が高いぞ」
「捕まって牢に入れられてる人が、そんなに偉いんですか?」
居丈高なベネット公爵に、母はしれっとした態度で言い返した。リィカはギョッとして、ベネット公爵の顔に怒りが浮かぶ。だが、ジェラードは「ぶっ」と噴き出した。両脇の兵士は、笑いたそうな顔を必死に堪えている。
「……無礼だぞ、平民が」
「無礼で結構です。言葉でしか偉そうな事を言えないというのが分かったので、十分です。では、聞きたくもないかもしれませんが、自己紹介させて下さい」
まるで怯んだ様子もなく、母は言葉を続けた。
「先ほど、あなたが"慰み者の女"と言ったリィカの母、マディナと言います。アルカトル王国の、フルードリアという街の出身です。街の名前、覚えているでしょうか」
「……フルー、ドリア?」
つまらなそうな顔をしていたベネット公爵だが、街の名前を聞いて訝しげにつぶやいた。そして、何かに気付いたように、ハッとして母を見返す。
「……まさか」
「覚えていてもらえて、喜べばいいのでしょうかね。ええ、夜の街中で、あなたに襲われた者ですよ。あなたの顔を見て、はっきり思い出しました。間違いありません」
母は、あくまでも冷静だった。内心でどう思っているのか分からないが、表情は無表情で、淡々と告げる。そんな母をベネット公爵は凝視して、そしてリィカを見ると、その口の端が上がった。
「……なるほど、母親。つまりは、娘か」
つぶやく声に、わずかに愉悦が混ざっている。母とリィカはそれに疑問を抱き、ジェラードが目を細めた。
「クハハハハハハハハハハッ!」
突然、大声を上げて笑いだし、驚いた母が一歩後ろに下がる。
「なるほど、では小娘。いや、リィカと言ったか。貴様の勇者一行としての功績を出して、私を牢から出すように言え。貴様を私の娘として、ベネット公爵家の一員として迎えてやろう。有り難く思え」
「「は?」」
リィカと母の疑問の声が重なる。ジェラードが、やはりと言いたげに首を横に振る。ベネット公爵が、意味が分からないと言う顔をしている二人を、馬鹿にしたように笑った。
「やはり平民育ちか。私の言葉をすぐに理解できぬとは。よいかリィカ、いかに貴様が慰み者に過ぎぬとしても、勇者一行として魔王を倒した事実があるのだろう。その功績をもって、私を牢から出すよう、そこのジェラードに言えば良い」
「…………?」
やはりリィカは理解できず、呆然とジェラードに視線を持っていく。ジェラードは苦笑した。
「もしリィカ嬢がそう仰れば、確かに我々としても無碍にはできません。最終的に、あなたの希望を認めることになると思いますよ」
「……はぁ」
気のない返事をしたリィカだが、話がぶっ飛びすぎていて、思考が全く追いついてこないのだ。そんなリィカより先に、話を理解したのは母の方だった。ベネット公爵を見る目が、険しくなった。
だが、ベネット公爵は気付かず、リィカの反応にいらだちを隠せていないようだ。
「さっさと言え、小娘。貴様のような平民育ちを、私の娘として迎えてやると言っているのだ。身に余る光栄に打ち震えて、私に感謝しろ」
「ふざけないで」
ベネット公爵の言葉に反応したのは、リィカではなく母だった。その声は、リィカも聞いたことがないくらいに、低く怒った声だった。そして、その母の左手が動いた。
――パァンっ!
派手な音を立てて、その左手がベネット公爵の右頬を叩いた。
「これは、私の分の仕返し。そうでなくてもショックを受けてたのに、街まで追い出されたの。大変だったのよ」
「……貴様っ! この誇り高きベネット公爵に対して、何を……っ!」
「そして」
怒るベネット公爵を無視して、今度は母の右手が動く。それにビクッとしたベネット公爵の足が後ろに下がるが、両脇を兵士に抱えられているからそれ以上動けない。
――パァンっっ!
先ほどよりも強い音が響いた。
「これは、リィカの分。話を聞いた時から、腹が立って仕方なかったのよ。リィカのことを散々傷つけて。だというのに、何を言うの? 娘として迎えるから有り難く思え? 思えるわけないでしょう。ふざけないで」
両頬を赤く腫らしたベネット公爵は、呆然としているようだった。おそらくは頬を叩かれたのも、真っ向から自分の言葉を否定されるのも、初めてだったに違いない。
そして、低い声で怒っていた母は、そこまで言うと、大きく息を吐いた。
「……それでも、私がリィカに会えたのは、あなたのおかげです。その一点においてのみ、あなたには感謝しています」
打って変わって、冷静で静かな声でそう告げると、母は後ろに下がる。そして、リィカを見た。
「私はこれでお終い。やりたいことは済んだ。後は、リィカの番」
笑顔の母に言われて、リィカはベネット公爵を見た。まだ呆然としている、自分の父親だ。
「わたしは……」
ここに及んでも、リィカは自分がどうしたいのか、分からなかった。分からないままに、足を進めてベネット公爵の前に立つ。
ふと、アレクの顔を思い出した。この牢屋に向かう前、心配そうな顔をしながらも、「行ってこい。待ってるからな」と送り出してくれたのだ。
グッと、手を握った。
「あの時、初めてあなたに会ったとき、わたしは怖かった。今でも怖いと思っています。できれば、もう二度と会いたくないと思っていました」
二度と会いたくないからこそ、アレクとの結婚を受け入れることができなかった。でも、今また会った。そして、これが最後だろう。ここで言いたいことを全部言えなければ、もう会うこともない。
そうなればもう、自分が父親を乗り越えることも、叶わない。
「あなたは、わたしにとって、最低の父親です。どう間違っても、あなたのために何かをしたいとは思いません。でも……」
自分が言えば、目の前の男は牢から解放されるらしい。そんなことが可能であることが驚きだが、それを望むことは絶対にあり得ない。ただ、それでも一つ、母と同じく、この男への感謝もある。
「あなたの娘だったから、魔力を継いだから、今のわたしがあります。わたしは、魔法が大好きです。あなたから継いだ魔力を、嬉しく思っています。そして、それがあったから、泰基や暁斗に、バル、ユーリ、そしてアレクに出会うことができました」
この魔力がなかったら、リィカはまだクレールム村にいただろう。いや、魔物の大量発生が起こり村が襲われた時点で、リィカは死んでいたかもしれなかったのだ。
「――だから、ありがとうございました」
母は口にしなかった感謝の言葉をリィカは口にして、そして頭を下げる。
目の前の男は、何も言わなかった。ただ、信じられないことを聞いたような表情で、リィカを見つめるだけだ。
リィカはその顔を見て、少し笑うと、ジェラードを見た。
「わたしも、これで終わりです。会わせて下さって、ありがとうございました」




