母とリィカとアレク
「はぁ……」
母の大きなため息に、リィカの方がため息をつきたかった。
「あんなこと言うから」
「王子様なんて方が、平民に対して一緒に行こうって言うとは思わなかったのよ」
旅費と滞在費だけむしり取れればそれで良かった。その母の気持ちも分かるが、今のリィカは、貴族といっても色んな人がいることを知っている。ジェラードがああ言ったことは、意外でも何でもなかった。
だから、リィカにとっての問題は、モントルビアへの道中ではなかった。
「……お母さん、直接会って、どうしたいの?」
問題は、到着してからのことだった。一体何を思って、直接会わせてくれという要望を出したのか。会ってどうするのか、仕返しとは何を考えているのか。それが分からなかった。
「だから、仕返し。私の分もあなたの分も。ねぇリィカ、会わなきゃ何にもならないでしょ?」
「…………っ……」
リィカが息を呑む。そんなリィカに、母がいたずらっぽく笑った。
「気付いてた? 第二王子様って方が、ずっとリィカのことを心配そうに見ていたわよ。あの方が、リィカの好きな人ね」
「っっっ!」
今度はリィカの顔が真っ赤に染まる。家を出るとき、アレクの「じゃあな」という軽い挨拶を思い出す。
話が終わった後、ジェラードとアークバルト、アレクは帰るといって、王宮へ戻っていった。残って母と話したいと言ったリィカを止めることなく、あっさり帰っていった。
(……あれ?)
帰ったはずだ。けれど、家のすぐ近くにアレクの魔力を感じる。ということは、もしかして、外にいるのだろうか。
「リィカ、あなた、そのベネット公爵って人が怖いんでしょう?」
意識が少し逸れていたリィカに、母の言葉が聞こえて、咄嗟に何も反応できない。
「王子様と一緒にいたいなら、そんなことを言ってられないでしょ? だから、会うしかないの。会って、全部ぶつけなさい。そして、先に進みなさい」
「……お母さん」
自分の気持ちを、全部分かっているような言葉だ。ただ母を見つめるリィカを、母は抱きしめた。
「大丈夫、リィカは強い子だから。ちゃんと言いたいこと言えるように、一緒にいてあげるから。……もう、忘れろなんて言わなくてもいいわよね。自分で乗り越えられるから」
その言葉に、リィカは目を瞑る。
十四の年。クレールム村の領主、エルモールンティン男爵に「来年は夜伽しろ」と言われたことを思い出す。
怖くて震えるリィカに、母は「忘れてしまいなさい」と言って、リィカは本当に忘れてしまった。デトナ王国での出来事があるまで、思い出すことはなかったのだ。
「うん」
静かに頷いた。もう、ただ震えるしかできなかった自分じゃない。アレクの側にいたいなら、それでは駄目だ。忘れるのではなく、克服しなければならない。
「大丈夫だよ、お母さん」
「よしっ」
リィカがはっきり言うと、母は嬉しそうに言って、手を離す。
「さて、今日はどうするの? 何だったら泊まってく?」
「それもいいね。……あ、でも」
母の言葉に頷きかけて、思い出す。家の近くから動いていない魔力。
「あの、アレクが外にいるみたいで……声かけてきてもいい?」
「ええっ!?」
あっさり出て行った割には心配しているのか、アレクは動く様子がない。泊まるのならそう言っておかないと、いつまでも待たせてしまいそうだ。
しかし、母的にはそういう問題ではなさそうだ。
「そういうことは早く言いなさい! 中に入ってもらって!」
「え、入ってもらうの?」
「当たり前でしょう! 外で待たせるなんて、ご近所からどう思われるか!」
「……ああ、そういうこと」
何となく理解して立ち上がる。確かにアレクみたいなイケメンが家の側にいて動かなければ、注目の的だろうし、噂もされるだろう。さすがに王子だとはバレないとは思うが、絶対とも言えない。
「アレク」
玄関から出て声をかけると、アレクはバツの悪そうな顔で笑ったのだった。
※ ※ ※
「ここにいるのか、アレク?」
「はい、その、まあ……」
家の外に出てから自分が「残る」と言ったら、アークバルトに聞き返されて、アレクは苦笑した。
父親の問題は、今のリィカにとって最大の問題だ。母親と話をしているのだろうが、それでも心配してしまう。外に残ったところで何ができるわけでもないのだが、それでも近くにいたかった。
「そうか。じゃあ、暗くなる前には帰って来ること。いいね?」
「分かりました」
食い下がることもなく、アークバルトはそれだけ言って、ジェラードと共に王宮へと戻っていった。それを見送り、それからは何もすることなくボーッと突っ立っていた。
だが、リィカは魔力で周囲を察するので、自分がいることにも気付かれてしまうのでは、という事に思い当たって間もなく、玄関が開いてリィカに声をかけられたのだった。
※ ※ ※
「申し訳ない……」
招かれた家の中で、アレクはリィカの母に向かって謝罪していた。何となく居心地が悪いのだが、逃げるわけにもいかない。目の前にいるのは、自分が結婚したいと思っている人の、母親なのだ。
「そんな、謝って頂くことではありません。こちらこそ、娘のために外でお待たせしてしまうなんて、すいませんでした」
「い、いえ……」
アレクが外にいたのはリィカのためで間違いないが、それを母親に言われたことが何となく悔しい。
「そろそろお昼時なのですけど……食事はどうしましょうか。王子様に平民の食事をお出しするのは失礼ですよね……」
「アレクは気にしないよ。わたし、お母さんの料理食べたい」
「そう? でもねぇ……」
さて、これはどう返すのが正解なのか。リィカの言う通り、アレクは何も気にしないし、食べたい。だからといって素直にそう言っていいものなのか、遠慮するべきなのか。
悩むアレクは、視線を感じた。リィカと目があって、その目が笑っていることに気付く。それを見て、アレクも答えを決めた。
「旅の間に、リィカが作ってくれた食事を何度も頂きました。母から習ったのだとよく言っていたので、もし良ければ食べてみたいのですが」
「あら」
心臓をバクバクさせながら言ったアレクの言葉に、母親は少し驚いて笑顔を見せる。
「娘の食事は、いかがでしたか」
「とても美味しかったです」
これに関しては取り繕う必要も何もなく、素直に答える。すると、母親はクスッと笑った。
「それは良かったです。では、娘に負けないように作りますので、待っていて下さい」
嬉しそうな反応に、どうやら自分の対応は間違っていなかったようだと判断して、アレクはホッと胸をなで下ろす。
「お母さん、手伝う?」
「いらないわよ。リィカは王子様の相手をしていなさい。放置するんじゃないの」
「はーい」
そんな母娘のやり取りをして、母親はすぐ隣のキッチンへと向かう。それを確認して、フーッと息を吐いたアレクに、リィカが首を傾げた。
「もしかして、アレク、緊張してる?」
「そりゃあ、するだろう」
「そうなの? 別に何も怖いことないよ?」
「お前の母親だぞ。良く思われたいじゃないか」
「普通にしてればいいだけだと思うけど」
普通になんてしていられるか、と思ったアレクだが、つまりはリィカから見たら、自分は母親に嫌われるような人間ではない、ということだろうか。そう考えると、少し力を抜ける気がする。
「あ、そうだ。アレク」
リィカが何かを思い出したように、少しその顔から表情が抜ける。
「わたし、モントルビアに行って、あの人に会ってきます。まだどうなるか分からないけど、ちゃんと乗り越えたいから、待ってて下さい」
「……そうか」
フッと笑った。心配しなくても支えてやらなくても、リィカは自分で立って歩いていく。そこに寂しさもあるけれど、頼もしくも思う。自分はただ、父親の問題を乗り越えたリィカが帰ってくるのを待てばいい。
(――待てば、いいんだが)
考え込んだアレクを、リィカが不思議そうに見つめていた。
これで第十七章が終了です。次からは十八章……ではなく、間章が入ります。第四章とその後の間章『モントルビア王国~ルイス公爵の決意~』の続きっぽい感じから十八章に繋がる話、のはず(笑)。
本当は書くつもりなかったんですが、書いてみないと分からないっ、となって、結局書いてしまいました。
全五話です。主人公たちは名前が出てくることはありますが、登場はありません。




