レーナニアの過去③
アークバルトが果物とはいえ食べることができた、というのは朗報だった。
しかし食べられたのはそれだけだ。王宮の料理人が作ったものは食べられない。試しに、レーナニアが目の前で食べてみた上で、アークバルトが食べようとしても駄目。ただの果物でも駄目。
レーナニアが持ってきたものしか、食べることができなかったのだ。
そのため、レーナニアには早急に料理を作れるようになれとの指示が下された。そのために勉強の時間が大幅に減り、料理の練習へと当てられるようになった。
「……正直に言って、勉強の方が楽だわ」
「左様でございますか。余所事を考えているとまた怪我をしますので、集中して下さい」
ぼやきはサラッと受け流された。
レーナニアに料理を教えているのは、侍女たちだ。調理長を始めとする調理人たちは本来の仕事で忙しい。そのため、侍女が教えることになった。
だが、レーナニアは苦戦していた。自分で選んだことだとはいえ、こんなに料理が難しいとは思わなかった。
そう口にすると、なぜか侍女たちは顔を背ける。「お嬢様が思った以上に不器用で……」などと小声で言っているのが聞こえてしまったときは、本気で泣きたくなった。
――そんなことがありつつも、練習を重ねていけば、何とか食べられるものが作れるようになるものだ。
「美味しい」
「嬉しいです」
仮にも王太子が食べるにはシンプルすぎる料理だが、アークバルトは笑顔で食べた。喜んだレーナニアは家族にも食べてもらったが、反応は微妙だった。
「こんなものをアークに食わせたのか」
兄のクラウスにはそう言われ、父親は複雑な顔をして無言のまま。そんな二人に、レーナニアは腹が立って、いつか美味しいと言わせてやると思ったものだ。
※ ※ ※
毒殺未遂事件は、レーナニアが料理と格闘している間に、実行犯の背後にいた人物が逮捕されたことで解決した。
とはいっても、その爪痕は大きかった。アークバルトを毒殺しようとした動機、それが弟であるアレクシスを王太子の地位に就けようとしたものだったからだ。そして、それを知ったアレクシスが、たびたび王宮から姿を消すようになった。
「アレクは何も悪くない」
アークバルトは悔しそうに言って、続くレーナニアへの言葉はこうだった。
「早く私が元気にならなければな。アレクに安心してもらえるように。――レーナ、協力頼むよ」
「……はい」
一瞬遅れたレーナニアの返事にも、不満そうな表情にも、アークバルトは気付かない。
周囲の思惑を余所に、王子二人の兄弟仲はとてもいい。喜ばしいことなのだろうが、それも過ぎれば問題になる。思えばきっと、レーナニアがアレクシスにヤキモチを焼いたのは、このときが初めてだった。
※ ※ ※
そしてこの夜、レーナニアの頭に“ゲームの記憶”が入ってきた。
今まで思い出していたのは、ゲームの最初にアークバルトを選んだルートだったが、今回の記憶はアレクシスを選んだときのルートだ。
いつも兄であるアークバルトを気遣っていたアレクシス。自分の存在が兄に害を与えないように、いつも兄が優先されるように、常に自分の言動に気をつけていた。
そんなアレクシスが、学園でヒロインに出会う。素振りをしているときに出会ったヒロインに、「キレイでびっくりした」と言われて驚き、そこから興味を持つようになる。
ヒロインの過去を知り、それでも笑う姿を見て、アレクシスも自分自身に向き合っていく。そのきっかけをくれたヒロインに恋をして、初めて兄以外に大切だと思える人を見つける。それが、アレクシスを選んだときのゲームの内容だ。
レーナニアは、そんなにアレクシスと交流しているわけではないので、今の状態がゲームと似通っているかどうかの判断は難しい。けれど、聞いた話から判断すると、そんなにかけ離れていない気がする。
「でも、普通は最初に誰か一人を選ぶなんて、できないわよね……」
ゲームの場合、最初にアレクシスを選んでしまえば、アークバルトが救われるエピソードは入ってこない。
では現実であればどうなるのだろうか。ヒロインは、苦しんでいるアークバルトとアレクシスを二人とも救ってくれるのだろうか。
「そもそも、この記憶は何なのかしら……」
この記憶が役に立ってないとは思わない。毒を盛られた直後、すぐに行動に移せたのはこの記憶のおかげだ。そのおかげで、質素ではあってもアークバルトは食事ができるのだ。
(だったら、それでいいわよね)
少なくともアークバルトはゲームとは違う道を進んでいる。苦しんではいても、多少なりとも和らげることができている。アレクシスのことは分からないが、誰も彼もに手は伸ばせない。
だからレーナニアは、自分のできることをやっていこうと、改めて決心したのだ。
※ ※ ※
それから数ヶ月後のこと。ある日、レーナニアは倒れた。
アークバルトや父親を始め、周囲の人々は真っ青になった。だが、「魔力病」と診断されたときは、皆がとりあえず胸をなで下ろした。
魔力病は治らない。だが、神官の作る魔道具を身につけていれば、問題なく日常生活を送ることができる。その魔道具が出来上がるまでの一週間だけ、何とか耐えればいい。
だが一週間とはいっても、アークバルトはレーナニアの食事しか食べられない。だから何とか起きて動こうとしたのだが、止めたのもアークバルトだった。
「レーナ、一週間大人しく寝てること。これは命令だからね」
「……食事はどうされるつもりですか」
明らかにレーナニアを気遣っての「命令」に、素直に引き下がることはできなかった。だが、アークバルトは笑顔を見せた。
「心配しないで。頑張ってきちんと食べるから。良くなったら、また作ってほしい」
「……はい」
躊躇いながらのレーナニアの返答に、アークバルトは「絶対だからね」と言って、王宮へ戻っていった。
そして一週間後、無事に魔道具は出来上がり、レーナニアの体調も戻った。その翌日には、アークバルトが屋敷へと来ていた。
「何か作ってくれ」
「はい」
疲れた様子のアークバルトに、レーナニアは苦笑しながらも簡単にできるものを作った。そしてさっそく食べ始めるアークバルトに、レーナニアは聞いた。
「一週間、どうされていたんですか?」
「……ああ、王宮の料理人が悪いわけではないんだけどね。吐き気と戦いながら、何とかスープだけ飲んでいたよ」
そう答えるアークバルトは、本当に申し訳なさそうにしていた。理屈では大丈夫だと分かっていても、いざ食べようとすると体が受け付けない。それを悔しく思っているのだ。
だから、レーナニアは応援したいと思う。自分の食事を「美味しい」と食べてくれることは嬉しい。けれど早く心が癒えて、他の人の食事も食べられる日が来てほしいとも思うのだ。
※ ※ ※
それからさらに一年近く。
アークバルトは王宮の料理人が作った料理を食べられるようになってきた。挑戦を始めた頃は、無理矢理流し込むように食べていたが、今ではそれもなくなった。
まだまだレーナニアの食事を食べていることの方が多いが、それもそのうち逆転していくだろう。とはいっても、アークバルトに「これからもレーナの食事を食べたい」と言われて嬉しかったから、完全に作らなくなることもないだろうが。
そんなアークバルトの姿を見て思うのは、「ゲームとは違う」とはっきり言えることだ。そしてそれは、弟のアレクシスも同様だった。
毒殺未遂事件の実行犯と指示役、さらにはその背後にいた貴族も捕まり、本当の意味で事件が解決した。そのおかげか、アレクシスもアークバルトに遠慮している様子もなく、普通に仲の良い兄弟に戻っている。
というか、仲が良すぎる二人にレーナニアは時々嫉妬しつつ、アレクシスから「義姉上」と呼ばれて顔が赤くなりつつ、平和になった日々を過ごす。
そうして二年が過ぎて、いよいよ学園へ入学する日が……つまりは「乙女ゲーム」が開始となる日が近づいたのだった。




