レーナニアの過去①
第一章の改稿に伴い、この話の途中から第一章にあったレーナニアの過去話が入ります。
「ふう……」
屋敷に戻ってきたレーナニアは、自らの部屋に入り、ベッドに横になった。侍女たちには下がってもらって、部屋には一人だ。
あの後、大変と言えば大変だった。
国立の、沢山の貴族の子息令嬢が集まる学園に、Bランクという高位の魔物が三体も現れたこと。明らかに学園関係者ではない外部の人間が入り込んでいたこと。
知らせを聞いた兵士たちが駆け付けたときには、すでに魔物は倒され、怪我人もその治療が終わっていたこと。
これは別にいいのかもしれないが、それを成したのが一応まだ学園の生徒という身分である者たちであったことが、問題と言えば問題だった。
建前上、何か問題が起これば教師がその矢面に立ち、兵士たちが来るまでの時間稼ぎをするものだ。それが、教師すら駆け付けたときには事態はすでに解決済みなのだから、面目丸つぶれである。
『申し訳ありませんが、先生方が矢面に立っていたら、死人と怪我人が量産されていただけかと思われます』
遠慮のなさ過ぎるアークバルトの言葉だが、誰も反論はできなかった。
対処に当たったのは、おそらく今この世界で一番強いであろう、勇者一行の面々である。生徒ではあるが、対処に一番適した面々でもある。それでいいじゃないか、でその話は終わった。
捕らえられた男は、尋問のために城に連れて行かれた。マンティコアの死骸三体は、兵士たちが片付けた。
そして、目撃した生徒たちからの事情聴取が行われ、それ以降の授業は中止となり、レーナニアも戻ってきたのだ。
横になったレーナニアが思い出すのは、去っていくアレクとリィカの姿だ。その姿を見送りながら、レーナニアの脳裏に蘇ったものがある。
(久しぶりに、ゲームの記憶を思い出したわね)
そう思って、息を吐く。初めて思い出した十歳のときから、忘れた頃に唐突に脳裏に浮かぶ“ゲームの記憶”。その内容を思い返すと、レーナニアは沈鬱な気分になるのだった。
※ ※ ※
その記憶が突然レーナニアの頭に入り込んできた、十歳。それはアークバルトと初めて会った、その日の夜だった。
アークバルトと顔合わせをした理由は、婚約のためだ。よほどの問題が起きなければ、婚約者になるのは決定事項だと、父親に言われた。
それに対して、別に拒否感はなかった。十歳であってもレーナニアは自分の立場くらい分かっている。公爵という貴族最高位の娘であり、父親は国王の側近。そして同じ年に王子がいる。婚約という話が出ることくらい当然だ。
顔合わせもせずに、婚約者とすることもできたはず。それでも、一応会う機会を作ってからの婚約としてくれたのは、父親として娘を気遣ってくれた結果だろう。
そして会って会話をした。少なくとも嫌な人じゃない。このとき思ったのはその程度。婚約を拒否する理由は何もない。だから、父親にそう伝えた。
その日はそれ以外は何もなく就寝して……“記憶”が頭に突然入り込んできたのは、そのときだ。
正直なところ、その瞬間のことははっきりとは覚えていない。頭を押さえながら悲鳴を上げていて、誰が何を言っても反応せず、そのうち力尽きたように気を失った、とは後から聞いた話だ。
そこから丸一日以上レーナニアは眠り続けた。そして目を覚ましたとき、その記憶はすっかり定着していた。それが、「乙女ゲーム」と呼ばれるゲームの記憶だったのだ。
そのゲームのタイトルは『学園生活の三年間 ~真実を越えて~』というらしい。ヒロインと呼ばれる主人公の女の子と、攻略対象者と呼ばれる男性が複数いること。そのゲームを遊んでいる「自分」という存在があって、「自分」が最初に選んだ男性とヒロインとの恋愛が繰り広げられるゲームだということ。
分かるのはそれだけ。「自分」が何者なのかも分からないし、そのゲームの詳しい内容も分からない。
ただ引っかかったのは、そのゲームの中に顔合わせをしたばかりのアークバルトが登場している、ということだ。
アークバルトは第一王子だ。王太子、つまりは次期国王に一番近い位置にいるが、病弱なためその立場が安定しない。健康な弟王子であるアレクシスを次期国王に推す声も少なくない。
第一王子が王太子になる。それが国の基本ルールだ。事情があれば、そのときの国王判断でその順番を入れ替えることもできるが、それには貴族たちが納得のいく理由が必要だ。そうでなければ、争いが起きて国が混乱しかねない。
基本ルール通りにいくのが、一番国が安定するのだ。だからこそ、第一王子であるアークバルトの立場を安定させる必要があった。そのためのレーナニアとの婚約だ。国王の側近であるヴィート公爵家との繋がりを強くして、他の派閥への牽制の意味を込めたのだ。
それはレーナニアも分かっている。だから、婚約することに不満はなかった。……この記憶がいきなり入り込んでくるまでは。
ゲームの中で、アークバルトは攻略対象者の一人だった。それでいて、“公爵令嬢”というレーナニアと同じ立場の婚約者がいた。つまりは、婚約者がいるのに“ヒロイン”という他の女性と恋愛するのだ。
そんな人と婚約しなければならないのか、と思った。本当にゲームのようになるのかも分からないが、それでもそんな人と婚約するのは嫌だと思ってしまう。
それでも、決まってしまった婚約をどうすることもできなかった。本当に「嫌だ」と言えば、あるいは父親が動いてくれたかもしれない。けれど、理由を説明することはできず、説明できない以上、一度受け入れた婚約をなかったことにはしてくれないだろう。
それが分かっていたから、婚約を受け入れるしかなかった。だが、そうして始まったアークバルトとの交流は、思った以上に穏やかな時間だった。
アークバルトは誠実だった。倒れたレーナニアを見舞い、あるいは手紙を送ってきた。その後も、こまめに面会に来たり王宮へと招いたりして、会う時間を作った。
ゲームの記憶という曖昧なものを理由に、婚約を認めたくないと思ってしまったことが申し訳ないと思う程度には、アークバルトは優しかった。
そうして続けられた交流の中で、レーナニアがアークバルトに抱いた気持ちは、男女間の恋愛ではなく、親しい友人に対しての親愛だった。そしてそれはおそらくアークバルトも同じだった。
このときの二人の関係は、お互いに一人の人間として尊敬し合う、そんな関係だったのだ。
※ ※ ※
それが変わっていく出来事が起こったのが、二年後の十二歳のとき。
その日、レーナニアは朝から頭がズキズキしていた。嫌な予感があったが、それがなんなのか分からず、連絡が来たのは昼過ぎだった。
「王太子殿下が、毒を盛られた!?」
その連絡に、急いで王宮へ駆け付けた。治療に当たっている神官から、何とか一命を取り留めたものの、まだまだ油断はできないと説明を受ける。意識も戻らず面会も不可ということで帰宅した、その後。
レーナニアの頭に、再び"ゲームの記憶"が入り込んだ。最初のときのような痛みも何もなく、ただ静かに記憶は入り込んできた。
信頼していた毒味役から毒を盛られたアークバルトは、何とか生き延びる。しかし、周囲の人たちを信じることができなくなり、まともに食事が取れなくなってしまう。元々病弱で体の弱いところに、さらに拍車がかかってしまった。食事も取れないせいで、成長もほとんどしなくなってしまう。
それでも何とか十五歳になったアークバルトが、国立アルカライズ学園に入学する。これがゲームの始まりで、そこで出会うのがヒロインなのだ。
平民出身のヒロインは膨大な魔力の持ち主で、その魔力を暴走させて自分の母親ごと住んでいた村を滅ぼしてしまう。魔力をコントロールできるようにと入学したヒロインが、アークバルトに出会うのが入学式の前。校舎内で迷っていたヒロインを、アークバルトが見つけるのだ。
そのときにゲーム上では選択肢が示され、その選択を間違わなければ、迷っているヒロインをアークバルトが教室まで送り届けてくれる。それがゲームでの初めての出会いイベントと呼ばれるものだ。
二度目は入学後少し時間がたってからの、昼休みの中庭。ヒロインが泣きながら食事をしているところに、偶然アークバルトが通りかかる。母親や村の人たちを殺してしまったことを嘆くヒロインが、それでも前を向いている姿に心を惹かれる。
そんなヒロインに恥じない自分になりたいと、アークバルトも前を向く。そうすると、周囲にいる人たちが自分を心配して気遣ってくれていることに気付けるようになり、そして食事も取れるようにもなっていく。
お互いがお互いを励まし合い支え合って、やがてヒロインとアークバルトは想い合うようになっていく。
一方、婚約者である公爵令嬢は、アークバルトに対して何の力にもなれなかったことを悔やんでいた。だからだろうか、アークバルトが頭を下げて婚約解消を申し出たとき、黙ってその申し出を受けたのだ。
※ ※ ※
ここまで思い出したレーナニアは、泣いていた。もっと早く思い出していたら、毒を盛られること自体を阻止できたかもしれないと、思わないではいられなかった。
「――いえ、それを悔やんでも仕方ありません」
アークバルトは生き延びるのだ。ここはゲームと同じだと信じるしかない。であれば、レーナニアが考えるべきは、この後のことだ。
何もしなければ、アークバルトはゲームと同じ道を辿る。三年後にヒロインと出会って救われるかもしれないが、逆に言えば三年は苦しまなければならないということ。
そして、レーナニア自身も三年後に「何もできなかった」と後悔するようなことはしたくなかった。できることはやりたいと、そう思ったのだ。




