アークバルトとレーナニアと
「リィカさん、今日はわたくしたちといっしょに、お昼をしませんか?」
翌日の学園。
アレクは何もなかったかのようにリィカに挨拶をして、リィカも同じように挨拶をして言葉を交わす。
けれど、バルもユーリも、明らかにそこにあるぎこちなさに気付く。しかし、何もないように振る舞う二人に視線を交わしながらも、とりあえず様子を見ることにしたようだ。
そんな微妙な雰囲気の中で、昼休みにレーナニアがリィカに声をかけていた。
「え?」
「わたくしとアーク様と、リィカさんとで。たまにはいいでしょう? わたくしだって、もっとリィカさんと仲良くなりたいんです」
「…………あ……」
いつもだったら、パニックになっていたかもしれない。アークバルトに慣れたとは言えないから。でも、今はありがたいかもしれない。
そう思って、リィカは頷いた。
「ぜひ、お願いします」
そんなリィカを、アレクが緊張した様子で見ていた。
※ ※ ※
「わたくしのことも、レーナと呼んで下さると嬉しいのですが」
「……え、と」
ミラベルのことを聞かれて答えていると、リィカがミラベルを「ベル様」と呼んだことに、レーナニアが反応した。
いいのだろうかと、リィカが目を泳がせる。
「こらレーナ。まだリィカ嬢に公の場と私的な場での使い分けは、大変だと思うよ? 気持ちは分かるけど、もう少し今のままの方がいい」
アークバルトの注意が入り、リィカは首をすくめた。言うことは尤もだ。そうでなくても、アレクたちのことはそう呼び慣れてしまっているから、気をつけないといけないのだ。
ミラベルはいいのか、と聞かれると微妙ではあるのだが、レーナニアと違ってそうそう公の場には出てこないミラベルだから、まだ許容範囲だ。
「分かりますけど、後から会ったはずのミラベル様の方が、先にリィカさんと仲良くなってしまいそうなのが、悔しいのです」
「まあ、その辺はゆっくりでいいんじゃない? リィカ嬢はアレクと仲が良いんだから」
ごく普通の会話のように言ったアークバルトの言葉に、リィカの表情が強張った。
「昨日、アレクとデートだったんだって?」
「……あ……の」
笑顔で言われたアークバルトの言葉に、リィカはどう反応していいか分からない。何をどこまで知っているのか。
表情が硬いリィカに、アークバルトは少しバツが悪そうに笑った。
「ちょっと意地悪だったかな。昨日、帰ってからのアレクの様子がおかしかったから、一通りの話は聞いたんだ」
「……あ」
リィカは青ざめた。自分の最低な反応を、アークバルトにまで知られていた。つまりは、この食事の誘いはそれを責めるためだったのか。
「リィカ嬢に、これだけは聞いておきたくてね。アレクの事、嫌いかい?」
「ま、まさか、そんなことありません!」
思いも寄らない言葉に、リィカは驚いて否定する。
「そうか。だったら、結婚できないのは、アレクの何が悪い?」
「……ぇ」
今度は頭の中が真っ白になった。言葉を反芻する。
(アレクの、なにが、わるい……?)
反芻して、考えて、ようやくその意味を理解する。
「ち、違います……! アレクは、何も、悪くなくて……!」
「そうか、アレク側の理由じゃないのか」
考えるように頷くアークバルトに、リィカはますます自分が青ざめていく気がした。アークバルトは、当然アレクの味方なんだろう。何を言われるのか、怖い。
「では、リィカ嬢は相手がアレクだと……分かりやすく言えば、第二王子では不満? 王太子であり、次期国王でもある私と結婚したい?」
「……はい?」
身構えるリィカの耳に聞こえたのは、完全に予想外の言葉だった。というか、意味が理解できない。
「うん、まあやっぱり違うか。そうだろうとは思ったけど」
「……えーと?」
アークバルトは一人で納得したが、リィカは意味が分からないままである。
「第二王子との結婚を拒む理由。その理由として考えられるうちの一つとして、それでは不満だ、というのがあっておかしくない。女性の最高位である王妃になりたいと考えているのであれば、結婚相手は私でなければならないのだから」
「……………」
「もし君がそれを望むのであれば、我が王家はそれを受けることになると思うよ。ヴィート公爵家との話し合いは必要になるけれど、先方も了承するだろうね」
ヴィート公爵家とは、レーナニアの家の事である。
そこまで考えて、ようやくリィカは話を理解するが、それは更なる混乱を招いただけだった。
「……え、えぇっ!? そ、そんなこと、考えたこともありません! だ、だいたい、レーナニア様が、いらっしゃるのに……!」
「元々、私とレーナは政略による婚約だ。私の体が弱くて立場が不安定だったからね。それを強固なものにするための婚約」
パニックになっているリィカとは対照的に、アークバルトはあくまでも冷静だ。
「でも今となっては、ヴィート公爵家の後ろ盾がなくても、私の王太子としての立場は揺るがない。他に婚約者にした方がいい女性がいるなら、もちろん話し合いの上でだけど、婚約を解消したって、いいんだ」
「な……だ……」
アークバルトの言葉は、リィカの想像を超えていた。何を言いたいのか、言葉が出てこない。レーナニアをチラッと見ても、こちらも静かに笑っているだけで、動揺している様子は欠片もなかった。
「君は多分、自分の価値を分かっていない。学園入学前から、君の魔力量は現・魔法師団長を超えていた。果たして今はどうなった? 君の魔法も魔力も、貴族たちから見たら何が何でも手に入れたいと思えるものなんだ」
「……………」
「そして、君は女性だ。結婚という形で簡単に家に取り込める。魔法師団たちみたいに変な逆恨みで目が曇っているんじゃない限り、一度は考えているだろうね。それが実行されていない理由は、ただ一つ。アレクが君を側に置いているからだ」
「アレク、が……」
リィカがポツリとつぶやく。それしか言えない。
「我ら王家も、考え方は変わらない。……実は色々事情があってね、君の結婚相手は限られる。私かアレクか、バルムートかユーリッヒ。この四人の中の、誰か一人だ」
「……………は?」
出てきた名前に、ただ呆然とするしかない。
「レーナの兄のクラウスでも駄目ではない……けれど、この四人の中の誰かであるのが、一番面倒がない。婚約者がいるとか、そういうのは気にしなくていい。君を確実にこの国に繋ぎ止めること。それが最優先だから」
「…………え、と」
そろそろ……というか、もうとっくにというべきか、リィカの理解が追いつかなくなった。それをアークバルトも察したのだろう。少し笑って、話を締めた。
「このアルカトルという国にとって、そのくらい君が重要人物なのだと、覚えておいてくれ。国の利益のためなら、個人の感情など何一つ意味は無い。そういうものだから」
そう言ってアークバルトは立ち上がって、あっさり背中を向けて手を振った。
「後は女性だけで話をして。私は立ち去るから。言うべきことは言った」
リィカは何も言えずに、去っていく後ろ姿をただ見送る。そんなリィカの手を、レーナニアが握った。
「リィカさん、大丈夫ですか?」
優しい声音に、リィカは訳も分からずに、涙が落ちそうになった。どうしていいか分からずに、ただうつむく。
「貴族は家のことを一番に考えますし、将来国王となるアーク様は国のことを一番に考えます。確かに、そこに個人の感情など、意味は無いのかもしれません」
その言葉に、リィカは唇を噛んだ。
けれど、レーナニアは「でも」と話を続けた。
「意味は無くても、それでも無視していいものでもありません。……ねぇリィカさん、アレクシス殿下との婚姻は、嫌ですか?」
リィカは、首を横に振った。そうでは、ないのだ。
「いや、じゃないんです。いやじゃないけど……わたしも、どうしていいか、分からない。なんで、なんで……」
涙が落ちた。
どうしても、頭をよぎるものが、ある。
「いやじゃない、うれしいのに……。分かってるんです、なんでそんなことでって。ほんのちょっと、ちょっとの間だけ、我慢すれば、済む話なのに。たったそれだけなのに……なんで、わたし……」
リィカは、自分でも分かっていた。"たったそれだけ"のことなのだと。でも、たったそれだけが、どうしてもリィカを縛る。
もしかしたら、アレクとの未来があるかもしれない、そう思った時によぎってしまったそれが、どうしてもリィカにアレクと一緒の未来を見させない。
「それが何か、わたくしには言えませんか?」
「……………」
リィカは少し躊躇い、結局無言のまま頷く。
「では、アレクシス殿下には?」
「…………………」
今度は、頷けなかった。
「いわなきゃ、いけないと思います。ぜったい、いっぱい、傷つけたから」
アレクは本気だった。そんなことはリィカが一番知っている。本気で、アレクは自分を望んでくれた。だからせめて、ちゃんと理由くらい、言わなければいけない。
「でも、こわい。言って、どうおもわれるか、こわいんです」
繋がれているレーナニアの手に、リィカはもう片方の手も添える。その手が震えた。
アレクなら大丈夫だと思う。それでも、自分がずっと秘密にしてきたことを、明かすのは怖い。
すると、レーナニアももう片方の手を、リィカの手に重ねた。
「リィカさんが何を思っているのか、わたくしには分かりません。でももし、それでアレクシス殿下が離れていくのなら、それだけの男だったということですよ。その時にはわたくしがリィカさんにふさわしい男を、見つけて差し上げます」
フフッといたずらっぽく笑うレーナニアに、リィカは目をパチパチさせて、そして釣られたように笑った。
「ありがとうございます、レーナニア様。でもわたしって重要人物っぽいですけど、いいんですか?」
「ぽいじゃなく、まさしくそうですよ。今現在のリィカさんも重要ですし、結婚して生まれる子も重要です。魔力は子から子に受け継がれる。仮に他国で、リィカさんの血を引いた子が沢山生まれたら、脅威じゃないですか」
リィカは、何となく疑問に感じて首を傾げた。
「……この国では、いいんですか?」
「他国よりは自国の方が、コントロールできますから」
「……なるほど?」
分かったような分からないような、そんな感じだが、そこでリィカは思い出した。ルバドール帝国で、ルシアに言われた言葉だ。
『あなたの膨大な魔力と強力な魔法。そして、鏡を作ってしまうような技術を欲しがる国は多いと思う』
技術をここで見せたことはない。けれど、アークバルトも……このアルカトルという国も、自分の"膨大な魔力と強力な魔法"を欲しがっているということなのだろうか。そのための手段が、"結婚"ということなのだろうか。
そう考えると、アークバルトの言いたいことが、何となく理解できるような気がした。でも、今はまだいい。その前にアレクと向き合わなければいけないから。
そこまで考えて、ふと、リィカは異質な魔力を感じた。
「………!!」
考えるより早く、リィカは駆け出した。
「リィカさん?」
「ここにいて下さいっ!」
不思議そうなレーナニアにリィカは足を止めることなく叫ぶ。
感じる魔力は、間違いない。――魔物の、魔力だ。




