指輪
「アレク、お待たせ」
「リィカ。……やっぱり可愛い。似合ってる」
授業のない、学園が休みの日。
女子寮の前で待っていたアレクの言葉に、リィカの頬が赤く染まった。
「行こうか」
「……うん」
手を差し出されて、リィカは一瞬ためらった後に、自らも手を伸ばしたのだった。
※ ※ ※
「あれベル、今日も練習してると思ったのに」
女子寮で、食堂にいるミラベルを見つけたセシリーが声を掛ける。
数日前から、リィカに教えられながらミラベルが魔法の練習を始めた。それを知った時、セシリーは喜んだ。
このまま何もなければ、ミラベルは不幸にしかならない。それをセシリーはどうすることもできない。けれど、その未来が変わるかもしれない道ができたのだ。これを喜ばずにどうしろというのか。
魔法の練習の進み具合は、セシリーにはよく分からない。けれど、食事の時間も忘れて熱中してしまい、リィカから何とかして欲しいと泣きつかれたこともある。
学園が休みだろうと、関係なしに練習すると思ったのだが。
「残念ながら、今日はリィカさんお出かけなの」
「……お出かけ?」
「そう。アレクシス殿下とね。何だかすごく可愛い格好をして、出かけていったわ」
「……つまり、デートね」
セシリーは呆れたように言った。
リィカが初めて教室に入ってきたとき、アレクに抱えられて入ってきた。一体どういうことだと思ったが、その後の模擬戦で当たり前のように腰に手を回されているし、二人の教室での様子から、どんな関係なのかを想像するのは難しくもなかった。
そんなセシリーに対して、ミラベルは苦笑していた。
※ ※ ※
「うーん、特にこれといった魔力は感じないなぁ」
街中を歩きながら、だからといって周囲を見ることもなくリィカはつぶやいた。ダランの魔力も、それ以外に違和感があるような魔力も、特に感じない。
「後は、貧民街の方だけど……」
「流石にやめておこう。目立つし、貧民街にはそれなりのルールっぽいのがあるらしい。何かあっても力で制圧はできるだろうが、そこまでするほどの案件じゃない」
リィカに問われて、アレクはほぼ即答した。
魔族たちが何か仕掛けたとして、それがどこにされたか分からない。けれど、アレクは最初から貧民街は捜索の範囲外にしていた。
どんな場所なのか、何となく話を聞いてイメージしているのは、トルバゴ共和国の先の小国群だ。治安が悪く、人攫いやスリが横行していた場所。正直言って、行きたい場所ではない。
「貧民街の外から、探れる範囲でいいから探ってみよう」
「……うん、分かった」
リィカが気にする様子を見せたので、アレクが代替案を出せば、リィカは一瞬ためらったようだが、それでも素直に頷いた。それにホッとしつつ、アレクも周囲の気配を探る。
(相変わらずリィカが注目を集めているが、それだけか)
もしかしたら、ジェフ辺りが隠れてついてきているかもしれないと思ったが、そういうのはなさそうだ。知らない振りはしたが、もしかしたら何か勘付かれているのかもしれない。
リィカは相変わらず男どもの視線を集めているが、それはアレクがガンを飛ばして撃退しているから、リィカが気にしている様子はない。
近づける範囲で近づくと、リィカが目を瞑って集中している。アレクも探れる範囲で探るが、どちらかといえば貧民街ではなく、周囲の警戒である。
「うーん……」
やがて、リィカが目を開けて首を傾げた。
「……特に何もなさそう」
「だったら、本当に俺たち……というか、俺の情報を集めに来ただけか」
「……かもね。魔王、すごくアレクの事を意識してたもんね」
「嬉しくないけどな」
何が悲しくて、魔王に勇者である暁斗より自分の方が意識されないといけないのか。それも、理由が王子だという理由だけで。
魔国の事情は知った。しかし、だから何だと言うのか。何をどうしたところで、アレクは兄を蹴落として自分が王になるなど思えない。
そんなことは当たり前の事実だったから、そこに「なぜ」などと考えたことはなかった。あの時は魔王に呑まれてしまったが、今もしまたあの問答が繰り返されたなら、今度は臆することなく言い返せる自信はある。
まあ、もう魔王はいないし、そんな日は来ない。……と思いたいが、まだカストルがいる。果たしてどうなるか、まだ分からない。
「とりあえず、異常らしいものがないならいいだろう」
「……うん、そうだね」
アレクの言葉に、リィカの返答は歯切れが悪い。何となく、何を考えているか分かる。
「リィカ、俺たちはまだ未熟だ。今年一年、しっかり学園で学んで知識を身に付けて……、そして考えよう。魔族のこと、魔国のこと」
リィカの、繋いでいる手の力が、強くなる。
「この世界は俺たちの世界だ。俺たちが何とかするべきだ。勇者に頼らない道が……召喚しなくていい道があるなら、そこを目指すべきだ。もう二度と、誘拐だなんて言われないようにな」
「うん」
リィカがほんの少し、唇を綻ばせた。
アレクも似たような表情をしながら、思い出したのは暁斗と泰基が召喚されて、初めて謁見の間で顔を合わせたときのことだ。
あの時、泰基に「誘拐犯」と言われ、カッとなって「ふざけるな」と言い返した。あの初対面から考えたら、信じられないくらいに仲良くなれた。
そこまで思って、アレクは眉をひそめた。その泰基は、リィカの前の人生の結婚相手なのだ。不機嫌になっていく自分を感じる。
「リィカ、街に戻ろうか。そして、指輪を見よう」
「え、いきなりなんでそっち!?」
あまりにも唐突な話題転換に、全くついていけていないリィカの手を、アレクは引っ張ったのだった。
※ ※ ※
「リィカは夕飯前に戻れれば問題ないのか?」
「うん。正確には、暗くなる前に帰って来いって」
リィカは、アレクの問いに寮長であるパウエル男爵夫人に言われたことを思い返す。
小さな子どもに言うような言葉ではあるが、この世界においては当たり前に言われることである。
治安が悪いわけではないのだが、絶対でもない。夜間の方がどうしても危険が増す以上、夜に動き回るべきではないのだ。
そこまで思って、リィカは顔をしかめた。
「……できれば、時間ギリギリまで帰るのやめようかなと思ってるけど」
「何かあるのか?」
「ベル様がね……」
ここ数日、ミラベルを教えているリィカは、本人に言われて呼び名が愛称の「ベル」に変わった。
呼び名はまあ別にいいのだが、問題はミラベルである。
「頑張りすぎちゃうっていうか……休憩しようって言ってもしてくれないし、早く帰ったら練習するって言うと思うんだ」
今日、自分が出かけるといった時も、一人で練習すると言っていたが、いいから今日は休んでとかなり念押しして言ってきた。隠れて練習しても分かるから、と言ってきたから、多分大丈夫だ……と思いたい。
「進捗状況はどうなんだ?」
「芳しくない……って言っていいか分かんないけど。暁斗とかテオ様が例外なだけな気もするけど」
アレクの問いに、リィカはデトナ王国で出会った王子の名前も出しつつ答える。
芳しくないのは確かだ。暁斗とテオ……本名テオドアは、イメージすることであっさり魔法を使えるようになった。ミラベルは何回イメージしても、使えるようになっていない。
というか、明らかに集中し切れていない。どうも、家族とのいざこざを思い出してしまって、集中の邪魔をしてしまっているらしい。
けれど、それでも少しずつ良くはなってきている。それをリィカが言うと、ミラベルに「もう少し」と言われてしまう。
「言わなきゃいいのかもしれないけど、でもベル様、落ち込んじゃうし……」
「言った方がいい。俺もそうだったが、出来ないと思っているときに出来てきていると言われると安心できるし、まだ頑張ろうと思える。やり過ぎには、注意が必要だけどな」
リィカの悩みに、アレクは明快に答える。だが、その内容にリィカは首を傾げた。
「……アレク、できないことなんかあったの?」
「あのな……。最初の頃に魔力付与が出来なかった頃、リィカが言ってくれたんだろう。少しずつできるようになってるって」
「……あ、そっか」
そういえば、アレクにもそんな時期があったのだ。すっかり忘れていた。途中までは出来ていたことにも気付いていなかったアレクに、リィカは確かにそう言った。
あれはいつのことだったっけ、と思い出して、リィカは顔が赤くなった。アレクと一緒の夜番の時で、ほとんどずっとアレクに抱きしめられていたときだ。
(思い出さなきゃ良かった)
ただひたすらに恥ずかしい。
赤い顔をしてうつむいたリィカを、アレクは嬉しそうに見ていたのだった。
※ ※ ※
「ここだ」
アレクに手を引かれたまま、入ったのは一軒の店。宝飾店だ。
「来たことあるの?」
「いや」
全く迷うことなくアレクはこの店に向かった。よく使う店なのかと思ったが、その想像は外れた。
「リィカとのデートが決まってから、侍女たちに聞いた。下見だけはしたけどな」
「き、きき、聞いたの!? なんて!?」
まさか、デートと言い触らしたのだろうか。もしそうだとしたら、恥ずかしすぎる。
慌てるリィカの様子に、アレクは不思議そうにする。
「普通に、指輪を買うのにどこの店がいいかと聞いただけだが」
「……あ、まあ、それなら」
いい、と思ってリィカはホッとして、次いで本当にいいのだろうかと疑問もかすめる。
指輪を買う、となれば、当然それは誰に買うのか、という話になるのではないのだろうか。
「入ろう。……さすがに、魔石化した宝石がついたものはないと思うが」
「…………」
リィカは何も言わず、アレクと繋ぐ手に力を込めた。
聖地でアレクが買ってくれ、ジャダーカとの戦いの間に壊れてしまった指輪。魔石化された宝石がついた指輪には、アレクが魔力を込めてくれた、特別なものだった。
それをきちんとアレクが覚えてくれていることが、何よりも嬉しかったのだ。
※ ※ ※
好きなのを選べ、と言われたが、そう言われても何がいいのか分からない。値札でもついていれば、安い物を選んだだろうが、それもないので基準が分からない。
そんなことを考えながら何となく見ていたリィカの目に入ったのは、翠色の宝石がついた指輪。アレクの目と、同じ色だ。
手を伸ばしてそれを取ると、後ろからアレクの声がかかった。
「嬉しいな。それを選んでくれるのか」
「……!! う、え、あ、あの……!」
思い切り動揺してしまった。なんでこれを選んだのか、それが完全に見透かされている。
というか、アレクは自分の目の色が分かっているのか。王宮に鏡があるという話ではあったけれど、それもろくに近づけなかった、と言ってのに。
リィカが作った鏡だって、使おうとはしなかったのに。
アレクは、動揺しているリィカの手から、あっさりその指輪を奪い取ると、店員を呼び寄せる。そして、さっさと支払いを済ませた。
「行こう、リィカ」
手を取って店を出る。
値段がいくらだったのか、リィカは完全に聞き損ねていた。




