挨拶
「ハリス先生、戻りました」
「おお、おかえり……どうした? どこか具合悪いのか?」
結局横抱きされたまま教室まで入ってきてしまったリィカは、教師であろう人の言葉に泣きたくなってしまった。抱えられている理由を、純粋に体調のせいだと思ってくれるとは……むしろそれが普通の考え方かもしれない。
「大丈夫です。単に、アレクのアホが暴走しただけなんで」
「アレク、いい加減リィカを下ろしたらどうですか?」
アレクはと言えば、バルの言葉に「アホとは何だ」とブツブツ言って、ユーリの言葉にひどく不満そうな顔をしたが、それでもリィカを下ろした。
リィカは、足が床についてホッとする。アレクに抱えられていて不安定なわけではない。ないのだが、横抱きにされているのをガン見されているのは、気分がよろしくない。
ほとんどが初対面の人たちが集まる場で、さらには貴族たちの集まっている場であるから、なおさらだ。
「……体調は問題ないのか?」
「は、はい。大丈夫です」
教師らしい人……というか、間違いなく教師だろう人に聞かれて、リィカはしっかり答えた。
ここで動揺してまともに答えることもできなかったら、間違いなく自分は体調不良の印を押される。そうしたら、初日から医務室行きだ。
そう考えると、この状況はアレクのせいだ。せめて教室に入る前に下ろしてくれれば良かったのに、そのまま中に入っていった。
横目でアレクを睨めば、なぜか笑顔だ。
「そうか。ならいいが。では自己紹介といこうか」
「……え?」
肩を押されて向いた方角は、多くの生徒が座っている。"自己紹介"の言葉に、リィカは一気に心臓がドキドキしだした。
視線が集中している。自分はどう思われているのだろうか。平民クラスの時よりも、それを考えると怖く感じる。
両手を握りしめる。少し下を向き、息を吐いて吸って、また吐いて、そして顔を上げた。
「わたしはリィカ……」
そこまで言って、講堂での国王の言葉を、名乗れと言われた名前を思い出す。実感などないが、名乗るのであればそれを言うべきなんだろう。
スカートを軽くつまみ、礼をした。
「リィカ・フォン・クレールムと申します。つい先ほど、国王陛下より名誉貴族の称号を頂きました。慣れない点が多く、ご迷惑をおかけしてしまうこともあるかと思いますが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
言えた。とりあえず噛まずに言えた。この挨拶で良いか悪いか分からないが、とりあえず言えた。
そんなことを思いつつ顔を上げると、リィカの耳に拍手が聞こえた。
「よろしく、リィカ嬢」
「ご一緒できて嬉しいわ、リィカさん」
アレクの兄の王太子アークバルトと、婚約者のレーナニアだ。
そして、拍手をしたのは教師もだ。
「うん、良い挨拶だった。生徒同士での挨拶はおいおいやってもらうとして、私はエルマー・フォン・ハリスだ。一学年の時からずっとAクラスの担任をしている。よろしくな」
「は、はい。よろしくお願い致します」
良い挨拶、の言葉に、ホッとしながら答える。とりあえずは合格点だったのだろう。
ハリスはリィカに頷いて、アレクたち三人を見てから、生徒たちの方へ向き直る。
「三年生が始まったばかりだが、この四名がAクラスに特別編入する形になる。クレールムだけではなく、他の三人も丸々一年空いているからな。分からない事があれば、教えてやるように」
クレールムって何、と一瞬リィカは考えて、それが自分のことだと気付く。はっきり言って違和感がひどいが、慣れるしかないのだろう。
「じゃあ四人とも、後ろの空いてる席に座ってくれ」
「お待ち下さい、ハリス先生」
動き始めたリィカたちだったが、王太子アークバルトの声がそれを止めた。
「一つ、リィカ嬢について伺わせて下さい。このクラスであれば問題ないとは思いますが、他の二クラスから、いきなりリィカ嬢がAクラス編入になったことについて、不満が出る可能性があると思います。それの対処を何かお考えですか?」
リィカは口の中で、え、と小さくつぶやく。
問われたハリスは、面倒そうな顔だ。
「教師の中にも不満を言う奴がいた。何が問題だ、と学園長が一喝していたがな。元々クレールムは、魔法の実技において一位だったのだから」
一クラスしかない平民クラスと違い、貴族はA・B・Cの三クラスある。そして、成績上位からAクラスに組み入れられていく。
この場合の"成績上位"とは総合での成績も入るが、それ以外の座学や魔法、剣、それぞれにおいて成績上位の者も考慮され、教師が判断する。
成績によってはその判断に悩む者も当然いるが、魔法の実技において上位一位を取ったリィカであれば、悩む必要もなくAクラス入りだ。
「とはいっても、元の身分を責めて、Aクラス入りを妬む者がいることも承知している。――四人とも、とりあえず席に座れ。お前たちだけ呼び出して話そうと思ったが、ここで伝える」
立ったままのリィカたちへ声をかける。
顔を見合わせ、アレクがリィカの手を引いて、席に座らせる。前の席の左側にリィカが座り、その隣にアレクが座る。
そして、リィカの後ろにユーリが、その隣がバルだ。
「クレールムだけではなく、アレクシス、ミラー、シュタインの三人とも、試験を受けていない。まあこの三人についてとやかく言う奴らはそうはいないだろうが、Aクラスにいる以上、それにふさわしい実力があることを、周囲が認めるに越したことはない」
ミラーはバルの家名、シュタインはユーリの家名である。
平民クラスでは当たり前のように名前で呼ばれていたが、貴族クラスでは家名で呼ばれるんだ、ということを、ここでリィカは初めて認識した。
アレクだけが名前なのは、兄のアークバルトもいるからか。
「今日の午後より、お前たち四人で模擬戦をやってもらう」
「「「「は?」」」」
四人の疑問が見事に揃った。
「組み分けはお前たちに任せる。一対一を二回してもいいし、二対二、もしくは四人が一度に戦うバトルロイヤル方式でも構わない。その戦いから実技の点数をつける。ついでに、他の生徒たちにも観戦させるから、そのつもりでな」
リィカとアレク、バルとユーリが無言のまま、お互いに何とも言えない顔で視線を交わす。
その様子を見つつ、ハリスは表情を変えないまま、さらに続けた。
「何か質問があれば、後から聞く。――アークバルト、そういうことだ。分かったか?」
「はい。ありがとうございます」
アークバルトへの確認は、最初の発言者だからだろう。納得した様子を見せたのを確認し、ハリスは頷いて、話を変えた。
「では、以前からも話していたが、二ヶ月後のキャンプについての話を行う」
「「「「キャンプ?」」」」
またも、四人の声が揃ったのだった。




