名誉貴族
平民クラスが貴族校舎の講堂に入ったとき、ザワッとざわめき、視線がリィカに集まった。
貴族と一緒に場に入るにあたり、平民クラスの生徒は最後に入り一番後ろの席に座り、そして最初に退席する。貴族たちの注目を浴びないようにするための措置であり、普段は貴族たちも平民の生徒たちを気にすることはない。
しかし、今回に限っては例外だ。
主役の一人が、その平民クラスにいる。
視線の種類は色々だ。
勇者一行の一人に対しての感謝や尊敬、羨望もあるが、その逆に疑義や侮りや嘲りもある。男子生徒の中には、何かしらの下心がありそうな顔を見せた者もいる。
それらの視線を一身に受け、怯んだリィカが一歩下がろうとしたとき。
「リィカ!」
名前を呼び、駆け寄ったのはアレクだった。嬉しそうな笑顔は、まるで昨晩のリィカの別れがなかったかのようだ。
言葉を発せないリィカに構わず、アレクは手を取って前方へと向かう。振り払うこともできず、リィカはうつむいて引かれるままに歩く。
「よぉリィカ」
「おはようございます、リィカ」
壇の下で待っていたのは、バルとユーリだ。二人も何もなかったかのように、今まで通りに挨拶されて、リィカは動揺を隠せなかった。
「……おはよう、ございます」
挨拶された以上は返さないわけにはいかない。ほんの少し顔を上げ、しかし決して目を合わせることなく、挨拶を返す。
旅の間は決してなかった、丁寧な挨拶。そして目を合わさないリィカに、アレクもバルもユーリも寂しそうに笑うが、リィカは気付かず三人も口に出さなかった。
「四名とも、壇上へ」
「はい。行くぞリィカ」
その代わり、教師にかけられた声にアレクは繋いだままの手を引きつつ、リィカを促す。
リィカは何も言わずに、ただ従った。
※ ※ ※
「四名とも魔王討伐、誠にご苦労だった。そして、大変な役目を全うしてくれたことに感謝する」
壇上で国王から言われた言葉は、昨日のパーティー時と一緒だった。
リィカは息を詰めて、早く終わることを望んだ。
早くこの視線から逃れたい。早くこの緊張から解放されたい。……早く、アレクたちの姿が見えないところへ行きたい。気を抜くと、涙腺が緩みそうになる。
「さて、では改めて聞くとしよう。四名とも、魔王討伐の褒美をとらす。希望を言うが良い」
(――へっ?)
それを口に出さなかったことは、僥倖か。出していたら、マズいじゃ済まなかった。
けれど、まさか学園でそれを聞かれるとは思わなかった。正直言えば、リィカは何も考えていなかった。
(アレクは、どうしたんだろう? それにバルとユーリは……)
アレクは「後で言う」と言っていた。すでに伝えたのではないのだろうか。
バルとユーリは、答えを先延ばししていた。それはリィカも同じだが、もしもバルとユーリが答えたなら、自分も答えないわけにはいかない。
(ど、どうしよう……!?)
何と答えればいいのか、それがまるで検討がつかない。
混乱してしまって、ドックンドックン心臓の音がうるさい。それがさらに混乱に拍車をかける。
「――それでは、申し上げます」
アレクの声が、リィカの耳に届いた。
「俺の魔王討伐の功績をもって、旅の仲間の一人であるリィカ・クレールムを、貴族にして頂きたい」
「…………………ぇ……」
王子とか、平民とか、そういうものがリィカの頭から消えた。礼儀を忘れて、ただその言葉を発したアレクの横顔を眺める。
「北のルバドール帝国の地では、かつて魔族との戦いで功績を挙げた冒険者を、"名誉貴族"として遇した例があるそうです。領地もなく一代限りであったそうですが、貴族の伯爵に相当する地位であったとか」
それは帝都ルベニアの街の中を散策中に聞いた話だ。
街中の広場に立っていた石像、英雄カスバートにまつわる話。Aランクの冒険者だったカスバートは、魔族との一対一の戦いの末、それを破り、ルバドール帝国を救った。
その功績を称えられ、"名誉貴族"の称号を与えられたのだ。
「リィカ自身にもその価値があることは保証いたします。何よりも魔王との戦いの際、勇者が止めを刺す隙を作ったのが、リィカの魔法でした。あれがなければ、果たして勝利できていたか、分かりません」
「ふむ」
アレクの言葉に、国王が頷く。
リィカは混乱の極地だった。
確かに、リィカの放った凝縮魔法が魔王の右腕を吹き飛ばし、結果的に大きな隙を作った。それは確かだ。だがそれは結果論に過ぎない。あれがなかったら勝てなかった、なんてことはないはずだ。
「陛下。私からも、アレクシス殿下と同様のことを。私の功績をもって、リィカを貴族にして頂きたく存じます」
(バル!?)
国王に対するからか、旅の間とは違い、丁寧な言葉遣いだ。
「私も同じく。自身の功績をもって、リィカへ貴族位の授与を望みます」
(ユーリまでっ!?)
次々に同じ事を口にするバルとユーリに、リィカは叫び出さないことだけで精一杯だった。
「良いのか? せっかくの褒美を、他者のために使うと?」
国王の言葉は、あるいはこの場にいた者ほとんどの代弁であったかもしれない。
だが、アレクもバルもユーリも静かに笑った。声も出せず愕然としているリィカを見て、そして口を開いたのはアレクだった。
「自分への褒美です。旅の間に培った関係を、ここで終わりにしたくない。そのために望んだこと。紛れもなく、自分自身への褒美です」
「……良かろう」
アレクを、バルとユーリの顔を順に見てから、国王は重々しく頷いた。そして、決定的な言葉が、口にされた。
「リィカ・クレールム嬢に、貴族位を授与する。位は、ルバドールから名を借り"名誉貴族"とするとしよう。今後はリィカ・フォン・クレールムと名乗るが良い」
「………………ぇ……」
言われたところで、頭が追いつかない。言うべき返事など頭に浮かぶはずもない。
無礼と言われてもおかしくないが、国王はそれを問題にすることなく、視線をこの学園のトップである学園長に向けた。
「リィカ嬢の貴族クラスへの編入を」
「かしこまりました。実力は十分でございますので、Aクラスへの編入手続きを行います」
その会話が、遠くから聞こえる。
あまりの出来事に、アレクに手を引かれて壇上から降りてもリィカは呆然としたままで、我に返ったのは、この会が終了してからだった。




