川から上がって。そして、追憶―アレク①―
第一章で入れようとして断念した、アレクシスの過去編が入ってきます。
所々、本編に絡めながら、過去編を入れていく形になります。
崖から落ちたリィカは、そのまま川に落ちた。
(――……アレク!)
水面に叩き付けられて、背中が痛い。
川の流れが急で、息が苦しい。
でも、アレクが気がかりだった。
きちんと見えたわけではないが、致命傷とも言える傷を負ったように見えた。
急流の中、必死にアレクを抱え続けた。
※ ※ ※
「ゲホッ、ゲホッ!」
川の流れが緩やかになった所で、何とかリィカは川から上がることに成功した。
ほとんど力の入らない身体で、それでもアレクを離していなかった事に安堵したが……。
「………………!」
アレクの顔は、蒼白だった。
かろうじて、心臓は動いている。
でも、攻撃を受けた、腹の出血が止まっていない。
「『水よ。彼の者に癒す力を与えよ』――《回復》」
震える声で唱えるが、まったく発動しない。
(落ち着いて……! 泰基の、魔力の動きを見たじゃない……!)
そう思うが、全く思い出せない。
荒い呼吸が、震える身体が、リィカの思考の邪魔をする。
「……どう……したら……」
今、自分ができることは。
『魔力量が多いせいか、回復の力が外にも漏れ出しているから、あるいは体を密着すれば、多少の回復効果は見込めるかも知れませんが……』
ユーリの、その言葉が、ふと脳裏によぎった。
――そうだ。今の自分ができるのは、それしかない。
「アレク、借りるね」
一声かけて、左脇に指している短剣を抜き取る。
長剣は、父上にもらった、と嬉しそうに話をしていて、触るのも悪いくらいの気がするが、短剣ならいいだろう。
間違ってアレクを傷つけてしまわないよう、慎重に服を切って、上半身をはだけていく。
改めて、その傷の大きさに泣きたくなるが、歯を噛みしめてこらえる。
そして、自分の濡れた服も脱ぎ捨てる。
簡単に絞って、地面の上に広げておけば、そのうち乾くだろう。
「《防御》」
苦手な魔法を唱える。円柱状の《防御》が、自分たちの周りに出現した。
上手く発動したことに、こんな時なのに笑ってしまう。
《防御》は、どうしても任意のタイミングで消せない。一度発動させてしまうと、壊れるまでそのままだ。あるいは、ある程度時間が経つと自然消滅する。
だから、相手の攻撃と相打ちになるくらいの魔力を込めて、発動させる。ダスティン先生やクラスメイトたちには、その方が難しいだろ、とよく言われた。
自然消滅するまでの時間も、込めた魔力で変わる。大体今ので四~五時間程度は保つだろう。
下着姿になったリィカは、アレクに覆い被さった。
(治って。お願い!!)
リィカの全身が《回復》で光った。
※ ※ ※
〔アレクシス〕
崖のすぐ側で戦うリィカを見て、危ないと思った。
だからすぐに駆け寄ろうとしたのに、あの女魔族の咆哮のような声に、足を止められてしまった。
それさえなければ、リィカを助けながら、あの女魔族の攻撃を躱すことができたはずだった。
けれど、間に合わないと思った、あの瞬間。
リィカの盾になるように身体を投げ出したのは、正直自分でも驚いた。
確かに、リィカのことは好きだ。
生まれて初めて好きになった、女の子。
それでも、自分は兄が一番だと思っていた。
自分が死んで助かるなら、いくらでも命を投げ出せる。
そう思っているのは、兄に対してだけだと思っていた。
※ ※ ※
俺には兄がいる。アークバルト・フォン・アルカトル。第一王子であり、王太子。一週間だけ年上の兄だ。
小さい頃は、その辺りを理解していなかった。
兄だという認識はあったけれど、双子、くらいに思っていたかもしれない。
昔は、アークと名前で呼んでいて、敬語も使っていなかった。
本当のことを知ったのは、大人の会話を聞いてしまった時だ。
城や庭をあちこち探検しまくっていた時に聞いた、大人の内緒話。
正妃の子がどう、側室の子がどう、という話をしていたのだが、当時の俺は、正妃も側室も意味が分かっていなかった。
その話を聞いて真っ先に思ったのが、もしかして、自分は父上や母上の子じゃないのか。アークは兄じゃないのか、ということだ。
……考えてみれば、このときはまだ王妃様ではなく、母上と呼んでいた。
その日、どうにも食欲がなくて食べられずにいると、馴染みの侍女に心配された。
何度も聞かれて、ついに理由を話してしまうと、気がつけば自分の部屋に父上と母上が来ていて、俺は事情を知ることになったのだ。
俺の本当の母は、フィオラと言って、父上の二番目の妻らしい。俺が生まれてすぐに亡くなったそうだ。
だから、母上がアークと一緒に育ててくれたんだとそう教えられた。
この時、父上も母上も優しくて、今までと何も変わらないんだとそう思えた。だから、本当の母のことを知ってからも、俺は今まで通りでいることができた。
周りにいるのは大人ばかりで一緒に遊べる人がいなかったから、俺はよくアークの所に行っていた。
アークは熱を出して寝ていることが多かった。
でも、熱がないときだったら外に誘っていい、と言われた。無理しない範囲で、とも言われたけど、嬉しかった。
だから、熱がないことを確認してからアークを誘った。
嫌そうな顔をされることも多かったけれど、付き合ってくれることも増えた。
アークの体調に合わせて、庭でひなたぼっこをしたり、いろんな花を見たり。
そのうち、アークに婚約者ができて、そっちと過ごす時間も増えたから、誘える機会は減ったけど。だからこそ、余計にアークと一緒に過ごす時間は楽しかった。
成長して、剣の稽古をするようになると、すぐ夢中になった。
そのうち、騎士団にも出入りするようになり、勝てることも増えてくると、はっきり増長し出したが、それもあいつに会うまでだった。
騎士団長の息子、バルムート。同じ年のそいつに負けた。
悔しくて、練習を重ねて、次は勝った。
そうしたら、その次は負けた。
そうやって、俺たちはお互いに競い合うようになった。
アークは、俺が誘いに行くと、嫌がらずに外に出るようになった。お前が誘いに来てくれるのが嬉しいんだ、と言われて、こっちが恥ずかしくなったけど。
それと同時に、アークに勉強を教わる時間も増えた。
勉強を嫌がる俺を何とかしようと、先生がアークに「人に教えるのも勉強になりますから」と提案して、それにアークが乗っかった。
それからというもの、アークと一緒に勉強をするようになった。
この頃はまだ、俺はこれからもずっとアークと一緒にいるんだろう、と思っていた。
俺にはアークしかいなくて、アークには俺しかいなかった。
アークに婚約者ができても、その関係は変わらなかった。
アークと一緒にいたかった。
だから、この関係が壊れることなど、想像すらしていなかった。
――それが起こったのは、12歳の時。
アークの毒殺未遂事件がきっかけだった。
アークの食事に、毒が盛られた。
その報告と同時に、俺の体調確認と食事が確認された。
そして、犯人がまだ分からないから、危ないから部屋から出るなと言い含められた。
言い分は分かる。
王子は二人。アークと俺だけだ。アークに万が一のことがあれば、その立場は俺に回ってくる。二人ともに、何かあっては困るのだ。
(どうせ毒を盛るなら、身体の弱いアークじゃなくて、俺に盛ればいいのに)
本気でそう思った。
次の日、アークの意識が戻ったと連絡があって、アークに会いたいと言った。
その次の日、兄上の婚約者であるヴィート公爵令嬢がアークに面会に訪れた話を聞いた。
でも、俺には面会の許可は下りなかった。
アークとの面会どころか、部屋から出る許可さえ下りないまま、一週間。
アークが順調に回復しているという話だけは聞くことはできたものの、それ以上の話は何もない。
しかし、やっと事態が動いたのか、俺は呼ばれて父上の執務室へ向かっていた。
「一週間も閉じ込めて悪かったな」
ちっとも悪いと思ってなさそうな口調で笑ったあと、「さて」と真剣な顔に変わった。
そして、説明された、アークの毒殺未遂事件の顛末を聞き終えた俺は、体から力が抜けて床に座り込んでしまった。
アークに毒を盛ったのは毒味役だった。
そして、その背後にいたのが、ウィルソン侯爵、テイラー伯爵、モール伯爵。
三名とも、戦争急進派と呼ばれる、俺を王太子にと押している人物だ。
彼らは、俺を王太子にするために、アークを殺そうとした。
それが、今回の事件だった。
「……俺の……せい……? ……アークが、ひどい目に……あった、のは……」
そうつぶやいた俺に、父上がしっかり目を合わせてきた。
「そうではない。――良いか。確かに三人は捕らえた。だが、まだ戦争急進派はいる。
だから、その者たちと関わるな。お前自身が隙を見せるような事は決してするな。儂が言いたかったのは、そういうことだ。分かったか!?」
「……でも……だって……」
心の思うままに、声に出してしまった。
「……俺の、せい……で……。……俺が、いなければ……アークは……こんな目に、合わなかった……」
「アレク!!! そうではないと言っただろう!!!
――いや、すまない。儂の話し方が悪かったな。お前にそんな事を言わす気はなかった。――アレク。アークがお前と会いたいと言っている」
「……え……」
「お前がずっと部屋に閉じ込められていると聞いて、ちゃんと大人しくしているのか、と笑いながら言っていたよ。……今回の件についても知っている。だから……」
俺の頭をなでて、
「もう少し落ち着いたら、あいつにちゃんと顔を見せに行くんだぞ?」
父上の、俺をなでる手はとても優しかったけれど。
「…………無理……です……。できません……。……どうしていいか、分かりません……」
とてもじゃないが、アークに合わせる顔は、なかった。
それからの俺は、徹底してアークを避け始めた。
そして、この時からだ。
アークを兄上と呼んで、敬語を使うと。
母上も本当の母ではないのだから、王妃様と呼ぼうと決めたのは。
※ ※ ※
コンコン
ドアがノックされた。
「アレク、入るよ」
そう言って入ってきたのは、
「――アー……っ」
アーク、と呼びそうになり、咄嗟に口をつぐむ。
「お前が顔を見せに来ないから、私から来たよ」
そういって笑う顔を見ることができず、下を向く。
「一週間、ちゃんと大人しくしてたんだって? 偉いじゃないか」
「……もう子供じゃありませんから。そのくらいはできます」
「……? そうか……?」
俺の話し方が疑問だったのか、不思議そうな感じだ。
……今まで、敬語で話したことなんかなかったもんな。
「……それよりも、あ……」
兄上、と言おうとしたが、一瞬言葉に詰まった。
けれど、一呼吸入れて、一気に言い切る。
「兄上は、体調は大丈夫ですか?」
「……アレク……?」
声が低くなった気がする。
「アレク。こっちを向け」
「…………」
そう言われても、俺は顔を上げることができなかった。
「…………」
兄は、何も言わなかった。
何も言わないまま、俺を抱きしめた。
兄の腕の中で、俺は身体を固くして、されるがままになっていた。
「……私は大丈夫だ」
ポツリと兄がつぶやいた。
「大丈夫だよ。体調も戻ってる。――だから、気にするな」
そう言うと、もう一度しっかり俺を抱きしめてから、兄は部屋を出て行った。
それを見て、ようやく俺は身体に入っていた力を抜いた。
「……ごめん……アーク……」
辛い目にあったのは、アークのはずなのに。
俺が兄上と呼んだとき、どんな表情をしていたんだろうか。
俺にはアークしかいなくても、アークには婚約者がいる。婚約者が、アークを支えてくれるんだろう。
アークにはもう自分がいなくても、大丈夫だ。
だから……俺は……。
もうこれで、アークと呼ぶのは終わりだ。




