5.リィカ⑤―魔法の授業
こうして入学式の日からヒヤヒヤした学園生活だけれど、始まってしまえば、一部の例外を除いては、穏やかだった。
一部の例外その一は、初めての魔法の授業だった。
学園への入学を要請(というか強制)されてから、入学まで約一ヶ月。
軍人さんには、絶対に一人で魔法を使おうとするなと、何度も念を押された。
軍人さんからしたら、当然だろうとは思う。
一度魔力暴走を起こしたのだ。また起こす可能性がある以上、一人で魔法の練習して良い、と言うはずがない。
それは分かるけれど、魔法への興味を止められず、勝手に練習をしてしまったのだ。
一応の理性は働いて、凪沙の記憶にあるような、必殺技みたいな魔法はさすがに諦めた。
わたしが練習したのは、「生活魔法」と呼ばれる、小さな火種を出すだけの魔法だ。
わたしが、この世界で見た事がある二つの魔法の内の一つだ。
村には、魔石と呼ばれる、生活魔法を組み込まれた石があって、使いたいときに発動できるようになっている。
料理で使う小さな火種を生み出すものと、一握りの水を生み出すものの二種類。
とはいっても、水は近くの川から汲んでくることの方が多かったから、もっぱら使っていたのは、火種を生み出す方の魔石だ。
つまりは、一番見た事のある魔法の練習をしたわけだけど。
それが、あんな大騒ぎに繋がるなんて、想像もしていなかった。
※ ※ ※
「《火》」
これが、小さな火種を出す魔法だ。
指先に、小さな火が点る。
学園にある、魔法の練習場。
初めての魔法の授業だ。
使える魔法を使ってみせろ、と先生が言うので、みんなが順番で一つずつ使ったのだ。
けれど、先生は何も反応しない。ただ、わたしを凝視している。
先生は、ダスティン先生の他にもう一人。
魔法を教えるのを担当している、というザビニー先生だ。
貴族出身の先生で、あからさまに見下されているのが分かって、怖い。
その先生が、凝視したまま、動かない。
困ってダスティン先生を見れば、先生も凝視していた。
けれど、わたしと目が合うと、おほん、と咳をする。
「……リィカ、もう一回使ってみろ」
「……? はい」
他の人は一回だったのに何でだろう、と思いつつも、もう一回唱える。
「《火》」
唱えれば、指先に火が点る。
ざわついた。
わたしと同じ、平民クラスの生徒。
わたしの、クラスメイトだ。
「やっぱり?」
「え、ほんとに?」
「マジで?」
等々聞こえる会話に、視線を向ける。
目が合ったら、一人が話しかけてきた。
「リィカ、詠唱は?」
「えいしょう?」
「そうだよ。魔法は詠唱して使うものだろ? いつ詠唱したんだ?」
「……え?」
呆然としたわたしに、クラスのリーダー格になりかけているその男の子は、教えてくれた。
魔法は、「詠唱をして」「魔法名を唱えて」発動させるのが、当たり前の事らしい。
それなのに、今わたしは、詠唱をせず、魔法名を唱えただけで、魔法を発動させた。それで魔法が発動するなど、聞いた事もないらしい。
「え? でも、発動するよ?」
「だから、あり得ないんだって」
「でも発動するのに」
「だから、普通は発動しないんだよ」
確かに、他のみんなは詠唱してたし、わたしも詠唱して発動させた事はあるけど。
でも、わざわざ詠唱なんかしなくたって、発動させられるのに。
「あり得ません! いえ、そんな事があってはいけません!! リィカ・クレールム、あなたは何をしでかしたんですか!!」
突然、ヒステリックに叫んだのは、ザビニー先生だ。
形相が、怖い。
「来なさい! 断じて許容できることではありません! 何をしたのか、尋問します!」
「……え?」
腕を思い切り引っ張られた。
何がダメなのか、何も分からない。
そんなに、詠唱しないことが問題なの?
「ちょ……、ザビニー先生、お待ち下さい。尋問はないでしょう。確かに、驚きではありますが……」
「黙りなさい! 平民の教師ごときが!! これがどれだけ大事なのか、何も分かってない!!」
ダスティン先生が言いかけた言葉は、途中で遮られて、ぐっと言葉に詰まっている。
そのダスティン先生を横目に、わたしは腕を引っ張られた。
痛い。
助けを求めるようにダスティン先生を見ると、ハッとしたように口を開いてくれた。
「平民も貴族も関係ありません。リィカは俺の生徒ですよ。生徒が何も悪いことをしていないのに、尋問されると聞かされて、黙っていられる教師はいません」
ダスティン先生のその言葉に、泣きそうになったけれど、ザビニー先生の表情が、さらに怖く歪んだ。
「まったく、これだから平民の教師は。悪いことを、していないはずがないでしょう。そんなのも分からないんですか。――来なさい」
ダスティン先生をバカにするように言って、再びわたしは腕を引っ張られる。
痛くて、何も分からなくて、でもどうすることもできなくて、引かれるままに歩く。
そのまま練習場の外に出ようとしたとき、外から穏やかな声がした。
「おや、サビニー先生。どうされたんですか。――なぜ生徒の腕を引っ張っているんですか?」
「学園長!? なぜ、ここに……!」
そこにいたのは、入学式で見た学園長先生の姿だ。
ザビニー先生が驚いているけど、わたしも驚いた。
「今日、平民クラスの初めての魔法の授業でしょう? まさしく、あなたが腕を引いている彼女、リィカを見に来たんですよ」
「……は? いや、なぜ学園長ともあろう方が、たかが平民を」
ザビニー先生の言い方は腹立つけど、正直同感だ。なぜわたしを見に来るんだろう?
そもそも、学園長先生に名前と顔を覚えられていたことが、驚きだ。
「確かに平民ですが、たかがはないでしょう。魔力を暴走させながら、それをコントロールした少女ですよ。気にして当然です」
「いや、学園長、それは……」
「それで、彼女がどうかしたのですか?」
ザビニー先生が何か言いかけたのを、学園長先生は遮る。
向けた視線の先は、ダスティン先生だった。
「それがその、リィカの使った魔法が、常識外れで。それでザビニー先生がリィカに怒り、尋問すると……」
学園長先生が眉をひそめた。
「ザビニー先生、腕を離しなさい。リィカ、その魔法を使って見せてくれますか?」
「あ……はい……」
腕は離してもらえた。でも、魔法を使うのは怖かった。
何がダメなのか、何で怒ったのか、分からないままなのだ。
魔法を使おうとして、手が震えた。
怖くて、集中できない。
これじゃ、魔法が使えない、と思ったら、誰かの手が優しくわたしの頭に乗せられた。
「怖がらないで。落ち着いて。ゆっくり深呼吸しなさい」
学園長先生だった。
頭を撫でられた。
「怒りませんから、安心して」
学園長先生の優しい手と笑顔に、怖さが薄れた。
震えが治まる。
言われたとおりにゆっくり深呼吸して、人差し指を立てる。
「《火》」
魔法が発動した。
立てた指先に、小さな火が点る。
「………………………………なるほど、そういうことですか」
長い沈黙の後に、学園長先生がつぶやいた。
「学園長、これで分かって頂けましたよね? 今すぐにでも尋問して……!」
「必要ありませんよ、ザビニー先生。あなたの言い分は理解できましたが、私の考えは、あなたとは違います。全員が同じ考えだと、思わない方がよろしいですよ」
「はあ!? どういうことですか!!」
「それに、問題はそこではありません」
ヒートアップするザビニー先生に、学園長先生はあくまで冷静だ。
「リィカ。普通、魔法というのは詠唱をして、魔法名を唱えて、発動させるものです。ですので、詠唱せずに魔法が発動できる、というのは、常識外れです」
学園長先生の言葉に、体が震えた。
何を言われるんだろうか。
わたしは、何も訳が分かっていないのだ。
「ですが、いいと思いますよ。詠唱せずに魔法を使えたらどんなにいいか、と私も思った事がありますしね。素晴らしい才能だと思いますよ。これからも頑張りなさい」
驚いて、目を見開いた。
「この学園にいる間は守ってあげられますが、卒業してしまえば、あなたを守るのはあなた自身です。三年間、懸命に学びなさい。魔法も、知識も、守るための武器になりますから」
言っていることは分かるけれど、なぜ守るという話になるんだろうか。
きっとその疑問が顔に出ていたんだろう。
学園長先生は、さらに話を続けた。
「なぜザビニー先生が怒ったのか、その理由も学びなさい。程度の差こそあれ、ザビニー先生のような考えを持つ人は、それなりにいますからね」
怒られた理由は教えてくれないのか。
ちょっと、不満だ。
「そして、ザビニー先生と逆の考え方をする者たちもいます。そういう者からしたら、あなたという存在は、垂涎の的でしょうね。案外、こちらの方が厄介かもしれません」
何のことやら、さっぱりだ。
ザビニー先生の考えも分からないのに、その逆と言われて、分かるはずもない。
「学びなさい。自分で学んでこそ、価値がある。大丈夫。まだ始まったばかりです。一人で行き詰まったときは言いなさい。ダスティン先生も、私も、力を貸しますよ」
「――はい!」
分からない事だらけだ。
学園長先生の話だって、どこまできちんと理解できたか怪しい。
でも、せっかく魔力があることが分かって、一つだけど魔法が使えるようになった。
小さな村の田舎娘が、国立の学園に入って学ぶ、なんて機会が飛び込んできたのだ。この機会に、学べるだけ学ぼう、と素直にそう思ったのだ。
「ですが、リィカ。なぜあなたは魔法を使えるのですか?」
「え?」
決意を新たにしたところで、言われた学園長先生の言葉に、疑問が浮かぶ。
「魔力暴走を起こす前から、魔法を使えていたのでしょうか?」
「え、いえ、その前はまったく…………」
言いかけて、気付いた。
しまった。そうだった。わたしが、魔法を使えちゃダメだったのだ。
「あなたを対応した軍人からの報告では、あなたに決して一人では魔法を練習するなと念押しして、あなた自身も頷いた、とありましたが、なぜ使えるのでしょう?」
「………………………」
そんなの、勝手に練習したからに決まってる。――とは、口が裂けても言えないけど。
問題は、言わなくてもバレてそうだ、と言うことだ。
顔を逸らす。
さっきまでは、安心できる笑顔だった学園長先生が、今は同じ笑顔なのに、ちっとも安心できない。
「来なさい。少し説教です」
「怒らないって、言った……!」
「それとこれとは、話が別です。――ザビニー先生、ダスティン先生。授業を続けて下さい」
ザビニー先生は、わたしを睨んでいて、咄嗟に視線を逸らす。
ダスティン先生と目が合ったら、諦めたように笑われて、手をヒラヒラ振られた。
「行って怒られてこい」
ひどい。
さっきは、俺の生徒だ、とか言ってくれたのに、あっさり手の平を返された。
結局、学園長室に連れて行かれて、説教された。
けれど、説教だけで終わらないのは、さすがなのか。
落ち込んだわたしに、美味しいお菓子をごちそうしてくれた。
「素晴らしい才能だから、これから頑張りなさい」と言われ、学園長室を出たわたしは、すっかりやる気一杯だった。
そして、それは、年に二回ある学園のテスト。その一回目である中間期テストの、魔法の実技で、一位を取ってしまうほどにまで、なっていたのだった。