リィカと母親
暁斗たちが王城で朝食を食べ終わっている頃、リィカは外出して街へと繰り出していた。
――カランカラン
扉を開けると、軽い音がした。
「いらっしゃいませ……リィカ!?」
中にいた女性が入ってきたリィカを見て、驚いた声をあげる。リィカは笑った。
「ただいま、お母さん。久しぶり」
リィカと一緒に王都へ来た母親は、食堂で働いている。そう、リィカの外出目的は、正しくは自宅への帰省だ。家へ行ったがいなかったため、仕事場まで来てみたのだ。
「どうしたの? ああ、そういえば長期休みだったっけ?」
「うん。お母さんは何時まで仕事?」
「……何時って、夜まで仕事だけど」
困った様子を見せる母親だったが、リィカとしても仕事の邪魔をする気はなかった。
「じゃあ家で待ってる」
「……それは構わないけど」
リィカの様子に何かを感じたのか、母親は訝しそうにして、何かを言いたげにしている。だが、ここでできる話でもないので、リィカが出て行こうとしたときだ。
「マディナさん、いいよ。今日は上がって!」
別の声が聞こえて、リィカは足を止める。マディナというのは、母親の名前だ。女性が一人そこにいて、リィカと母親を見ていた。
「しかし……」
「気にしなくていいよ。子どものことで母親の予定が狂うなんて当たり前。あんただってそうやって抜けた穴のフォロー、何度もしてきてくれたじゃないか。だからほら、さっさと帰り支度してきて」
その女性にそう言われた母親は、悩んだ様子を見せたものの、すぐ頭を下げて奥へと入っていく。それを見送る形になったリィカは、慌てて言った。
「あの、わたし、仕事の邪魔をするつもりはなくて」
「いいの、気にすることないって。家族あっての仕事だからね」
その女性はニカッと笑った。
「それに、マディナさん目当ての客が増えてね、売り上げも好調。ここを取り仕切ってるあたしとしては、ありがたいことこの上ない。ずっと働いてもらうためにも、できるサービスはしとかないとね」
「お母さんが目当て……?」
「そ。美人だから大人気。そうだ、えっとリィカちゃんだっけ? 今度遊びに来るときは、食事の時間帯に来て。マディナさんに似てるから、きっと人気出るよ。――ああ、変な真似は絶対させないから安心して」
「女将さん、リィカに変なこと吹き込まないでください」
何のことやら分からずにリィカが首を傾げていると、その後ろから母親が声をかけた。振り向くと、荷物を持っている。女将さんと呼ばれたその女性は笑うと、さっさと行けというように手を振る。
「ありがとうございます。失礼します。――リィカ、行くよ」
「う、うん」
頭を下げる母親に習い、リィカも頭を下げて食堂を後にした。
※ ※ ※
「それで、どうしたの? 今まで長期休みだって帰ってこなかったのに」
「あははは……」
帰り道、歩きながらリィカは乾いた笑いを見せた。
「その、つい、寮の食事は無料だし……。魔法の練習もしたいなぁって……」
帰ろうと思えば、今日のようにいつでも帰れた。だから余計に「また今度」と思って後回しにしてしまい、学園に入学してからの一年で帰ったのはほんの数日だ。何よりも魔法の練習をしたかったのだ。
そんなことを思いながら、周囲を見回した。
「ねぇ、一昨日は大丈夫だったの?」
そう問いかけた。一昨日、つまりは魔王誕生した日だ。王都の中心部は、そこそこ建物の被害もあったようだが、この辺りはそういった様子がない。
「もしかして、それを心配したの? この辺はたいしたことなかったわよ。数匹の魔物は出たらしいけれど、すぐ倒されたみたいだしね。食堂もさすがにあの日は閉めたけど、昨日からは普通にやってるし」
なるほどと思う。「魔力の強い場所へ、多くの魔物が集まる」という言葉は本当だったのだろう。この一般街は、魔力の少ない平民が多く住む場所だ。そのため、魔物の数も少なかったのだ。
「心配性ね。何もあるはずないでしょうに」
リィカのホッとした顔を見て、母親が笑う。
家に到着して、母親が玄関を開ける。ほとんど帰っていないせいで、まだまだリィカにとっては慣れない家だが、それでも母親が住むリィカの実家だ。
母親の方が何もなかったのは良かったが、リィカの方はそれでは済まなかった。さて、どうやって話を切り出そうかとリィカが悩んでいると、母親が何かに勘付いたようだ。
「もしかして、リィカの方はもっと魔物が多かったの? そうよね、貴族様ばかりなわけだし。大丈夫だった?」
「……うん」
一瞬悩み、頷いた。きっと「もっと多かった」のレベルは、母親の想像以上だろうと思う。
「すごく多かった。先が見えないくらいの魔物に囲まれたの」
「え?」
「わたし、たまたま外にいて、魔物と戦ったんだ。危なかったところもあったけど、王子殿下とか貴族様たちが助けてくれて、そのあとは一緒に戦ったの」
「……リィカ、危ない目にあったの?」
母親の目は、心配と怒りが半々くらいの顔をしていた。
「うん。あ、でも大丈夫だよ。怪我しちゃったところとか、全部治してもらったし」
「そういう問題じゃないでしょ! 学園に文句を言ってくるから!」
「ちょっ……そうじゃなくて。それは別にいいってば」
今すぐにでも殴り込みに行きそうな母親を、慌てて引き留める。あのタイミングで外にいたリィカが不運だっただけだろう。だが、そのおかげでレーナニアを助けられたわけだし、良かったと思っている。
ちなみに、ボロボロになった制服は回収され、すぐ新品の制服が届いた。特例で学園に入学したリィカは、いわゆる「特待生」のような扱いで、すべての費用が免除されている。当然、制服も無料だ。
「……じゃあなんなの」
いまいち納得しかねる様子ながらも話を聞こうとする母親に、リィカは本題を切り出した。
「一緒に戦った王子殿下たちがね、召喚された勇者様と一緒に旅に出るんだって。――それで、わたしも一緒に来てくれないかって話があったの」
「そんなの断りなさい!」
リィカの語尾に重なるように、母親が叫んだ。それはまるで悲鳴のようだ。
「リィカが断れないなら、お母さんから断ってあげるから!」
「……そうじゃないの」
ごめんなさい、と思いながらリィカは言った。
「わたし、一緒に行きたいの」
そう告げた。
昨日話があってから、悩まなかったといったら嘘だ。たくさん考えて、出た結論がそれだった。
またアレクやバル、ユーリと一緒に戦ってみたいという、リィカ自身の気持ち。
そして、召喚された勇者の名前を聞いた瞬間に、リィカの中で混じり合った渚沙の感情。会いたい。今どうしているんだろう。力になれるならなりたい。
前世っぽい他人程度の認識しかなかった渚沙の記憶と感情を、今はどうしようもないほどに自分のことのように感じてしまう。
命の危険はあるだろう。数え切れないほどの魔物に取り囲まれたことなど、児戯に感じるほどの事態に陥るかもしれない。怖いとも思う。それら全部をひっくるめて考えて、出た答えが「一緒に行きたい」だったのだ。
「何言ってるの!」
だが、母親の反応は予想以上だった。反対されるだろうとは思っていた。それでも、何も言わずに勝手に行くことはできないから、こうして話をしに来た。
完全にリィカの見通しが甘かったのだろう。母親はリィカの魔法の力など知らない。仮に知ったとしても、危険な旅に喜んで娘を送り出すなど、できるはずもないのだから。「渚沙」も同じ立場だったなら、きっと強硬に反対した。
そこまで考えて、リィカは母親をまっすぐに見た。前世の記憶のことは話せない。それに、リィカの気持ちを全部話したとしても、それを理解してはもらえないだろうと思う。だから、こう言った。
「わたし、一緒に行きたいの」
ただ望むことを告げる。それをどう思ったか、母親はしばし凝視した後にため息をついた。
「あんたねぇ……。その王子様やら貴族様やらって男だけ? 女の人はいるの?」
「え? ううん、男の人だけだけど」
母親がまたもやため息をついた。
「いい? 王子様やら貴族様やらしかいない中で、平民の女一人。旅の間に何かあったって、どうにでもされちゃうでしょ」
「……え?」
何のことか分からないリィカに、母親がズバッと言った。
「つまり、あんたを襲うなんて簡単だし、それをもみ消すのも簡単だってこと。被害に遭っても何も言えずに泣き寝入りってこと」
「え……って、違う違う!」
リィカは慌てて言った。
「そんなことなんないよ! みんな、誠実な人たちばかりだよ!」
「……本当にそうならいいんだけどねぇ」
母親の諦めたような笑みに、リィカは何も言えない。その過去を知っているからなおさらだ。
「……まぁしょうがないか。あんたは行きたいんだもんね」
やがて、母親がそう言って、リィカが驚く。
「いいの?」
「心からの賛成はしないけど、自分がやるって決めたならやった方がいい。……ま、旅の間に処女をなくしちゃったらそう言いなさい。慰めてあげるから」
「――お母さん!」
なんてことを言うのかと、リィカは真っ赤になる。そんなリィカを見た母親は少し考える様子を見せてから、席を立った。
「お母さん?」
「ちょっと待ってて」
何やら私物がある辺りを、ゴソゴソと探し始めた。一体何がと思って見ていると、そう時間もたたずに何か小さい袋を持って戻ってきた。
「これ、あんたにあげる」
「……?」
差し出されて受け取る。中に何か固い物が入っているのが分かって取り出すと、それはただの小石だった。
「なにこれ……あ、何か印がある」
「それ、あんたの父親が身につけていた腕輪に書かれていたもの」
「え……」
思わず母親の顔を凝視すると、少し笑った。
「あのとき、それだけは見えてね。お母さんのへぼ魔法が役に立った唯一の代物だよ。別に探せというつもりはないけど、王子やら貴族やらと一緒にいるなら、もしかしたら会うこともあるかもしれない」
「……お母さん」
「知らないよりは知っていた方がいい。だから持っていって」
改めてリィカはその小石の印を見る。これはただの印じゃない。貴族の家の紋章だ。
「分かった、もらっとく」
リィカは父親を知らない。母親だって、誰が父親なのか分からない。暗い街中で誰かに襲われて、その結果リィカを身ごもってしまったから。これは、唯一の父親の手がかりだ。
「でもね、お母さん。わたし、父親なんてどうでもいいんだよ」
「知ってるよ」
母親は笑った。
その日は母親と一緒に過ごした。夜は家に泊まって、クレールム村にいたときのように母親と一緒に眠った。
そして、翌日。
「お母さん、行ってきます」
「いってらっしゃい。ちゃんと帰ってきて、顔を見せるんだからね」
リィカはハッとした母親を見る。
無事でとも言わず、怪我に気をつけてとも言わない。ただまた会えることを望んでくれた言葉。
「――うん」
リィカはしっかり頷いた。
それだけは絶対に守ると、そう誓った。
改稿はここまでです。この後も徐々に改稿を行っていきます。




