旅への誘い
校舎に戻るとすぐ、名前を呼ばれた。
「リィカさん、ご無事で!」
リィカがそれに何かを思うよりも先に、その本人であるレーナニアがリィカを抱きしめていた。
「……ぇ」
硬直して動けないリィカの耳に、バタバタと足音が聞こえた。
「リィカ、戻った……! か……?」
姿が見えるか見えないかの段階から叫んだダスティンの言葉は、最初は勢いよかったものの、最後は疑問形になる。ダスティンもレーナニアに抱きしめられているリィカを見て硬直した。――が、レーナニアがリィカから離れた。
「リィカさん、改めまして、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます」
レーナニアがスカートの裾をつまんで膝を曲げる。それを見て、リィカは心の中で歓声を上げた。
(うわぁキレイ。確かカーテシーっていうんだよね)
見たのは初めてだし、分かっているのは貴族の挨拶だということくらい。だが「所作が綺麗」と理屈じゃなく感じたのだった。
※ ※ ※
学園だけではなく街中にも魔物が出ていて、現在軍が総出で対応に当たっているので、それまでは校舎内で待機と言われた。
「なるほど。それで兵士が誰も学園に来ないのか」
アレクが納得したように言っている。街中での魔物退治も手伝うと言ったところ、学園長に却下されたので、大人しく校舎内で待っていた。
何もやることのない、空いた時間。アレクはヤキモキしていた。その原因は、ユーリがリィカに詰め寄っていることだ。
「リィカ、魔法はどのように勉強されたのでしょうか。僕に教えてほしいんですが」
「ええっと……」
リィカがタジタジになっているが、ユーリに遠慮する気はなさそうだ。話をしようとして全くできなかったのが、ここに来てチャンスが回ってきたのだ。これを逃すまいとするのは分からなくはない。
(だが、距離が近すぎるだろう)
グイグイ詰め寄るユーリに、アレクはそんなことを思う。羨ましい、と思って疑問に思う。一体何が羨ましいんだろうか。
何となく左手を見る。危機一髪のところでリィカを抱き寄せた左手。
疲労で動けなくなっていたリィカを助けるため。理由はただそれだけだったはずだ。だというのに、体が柔らかいと思った。自分の隣にまるで誂えたかのように収まった。その感覚が消えない。
(……ああもう、俺は一体何を考えてるんだ?)
ダンスの練習などで、女性の体に触れた経験くらいある。今さら何を気にすることがあるのか。だというのに。
「ではリィカ、後ほど僕の都合の付く日時をお知らせ致しますので、その中からリィカの都合のいい日を選んで下さい。もし都合が合わないようでしたら、言って下さい。できるだけ僕の方が都合を合わせますので」
「……あ、はい」
どうやらリィカに、魔法を教えてもらう約束を取り付けたらしいユーリを見ると、やはり羨ましいという気持ちが湧いてくる。一体この気持ちは何なんだと思うが、答えは見つからなかった。
※ ※ ※
その日の夕方遅く、街中の安全が確認され、自宅へ戻る許可が出た。
リィカも寮の自室へと戻ってきた。ベッドへ横になって思い出したのは、アレクやバル、ユーリと一緒に魔物と戦ったことだ。
今までにも平民クラスの皆と一緒に戦ったことはある。そのときとは比べものにならないくらい厳しい戦いだったのに、リィカが感じていたのは「楽しい」という感情だった。
アレクもバルもユーリも強かった。一緒に戦ったとき、何かが通じている気がして、とても心地よかったのだ。
「またいつか、一緒に戦ってみたいな」
相手の身分を考えれば、あり得ないとしても。それでもそう願うくらいには、今日の出来事はリィカにとって貴重な出来事だった。
※ ※ ※
その願いは、リィカの思いもよらない形で近寄ってきた。
それは、翌日の夕方だった。リィカの元に、アレクとバル、ユーリの三人が訪ねてきたのだ。まさかの王族と大物貴族の登場に寮母は慌てたものの、騒ぎになることなく寮の一室へと通された。
その第一声。
「勇者様が召喚されたんだ」
リィカは驚いた。だが、驚くことでもないかと思い直す。
このアルカトル王国には勇者を召喚するための魔法陣があり、勇者の持つ聖剣がある。魔王が誕生したとき、魔法陣を使って勇者を召喚する。それがずっと続いてきた世界の歴史だ。
「俺たち三人は、勇者様とともに魔王討伐の旅に出ることになった」
今度は本当に驚いた。
召喚された勇者がこの国の強き者とともに旅立つのもまた、この世界で続く歴史だ。勇者の仲間として三人が選ばれたのだ。「すごい」と思ってから、その話を自分にされている理由に、リィカが気付いた。
「リィカ。勇者様の供として、俺たちと一緒に来てもらえないだろうか」
その言葉は、リィカが予想した通りの言葉だった。
「本来であれば、国を守る義務は王族や貴族が担うことであり、平民のリィカを巻き込むべきではないんだ。それが分かっていても、リィカがいいと思った」
アレクの真剣な目が、リィカを捉えた。
「昨日一緒に戦ったとき、こんなに通じ合えるのかと思った。初めてなのに、こんなにも心が通うものなのかと思った。不謹慎かもしれないが、楽しかった」
その言葉は、リィカが感じたものとそっくりだった。そしてそれに、バルとユーリも頷いている。皆が同じことを感じていたという事実に、なぜか全く驚かない。
「リィカに一緒に来て欲しい。……けれど、無茶なことを言っているとも思う。無理強いはしない。嫌なら嫌だと言ってほしい。だが、真剣に考えてくれないだろうか」
これが普通なら、王族に言われたことを嫌だと言えるはずがないと思うのだろうが、このときのリィカはそれを思わなかった。アレクがリィカと対等の立場で話をしてくれていると、なぜかそう信じられた。
リィカは口を開いて、すぐまた閉じる。急な話ですぐに答えは出ない。そんな旅になんか行きたくない。そう思うのと同時に、この話に頷けばまた一緒に戦ってみたいという願いが叶うのだ。
「…………少し考える時間を頂けませんか?」
悩んで、そう告げる。時間をかけてゆっくり考えたい。その思いをアレクは読み取ったのか、少し笑顔を見せて頷いた。
「分かった。この場で断られなかっただけでも十分だ。悪いが、時間は二日だ。明後日の今頃に返事を聞きに来る。それでいいか?」
「はい。それまでに必ず答えを出しておきます。すぐお返事できず、すみません」
二日という時間が長いのか短いのかは分からない。けれど、その時間が譲歩できる最大限の時間なのだろうと思う。
「気にしなくていい。アキトの訓練もあるから、すぐに出発はしないからな」
「アキト……?」
出た名前にリィカはドキッとした。名前の響きが日本人っぽく感じる。前回も前々回も、召喚された勇者の名前が日本人風の名前だったのだ。だから、もしかしてと思う。
「……ああ、勇者様のお名前だ。悪い、つい言ってしまったが、まだ秘密にしてくれ」
「は、はい」
頷いた。そのうち公表されるのだろうから、別にいいんじゃないかと思ってしまうが、秘密と言われた以上は従うしかない。それでも興味を抑えられずに、聞いてしまった。
「あの、家名なんかはあるんですか……?」
こんなことを聞けるのも、多少なりともアレクたちに慣れた結果か。一緒に戦う前だったら、絶対に聞けなかったと思う。
「あー……」
聞かれたアレクは少し目を泳がせたが、「まぁいいか」と言って口を開いた。
「教えるが、まだ誰にも言わないでくれよ?」
「は、はい」
その前置きにリィカは失敗したかと思ったが、聞いてしまった以上は取り消せない。
「今回、勇者様は二人召喚されたんだ。アキトは息子。もう一人はタイキさんと言って、アキトの父親だ。スズキという家名を名乗っていた」
「――!」
リィカの心臓が、ドクンと大きく鼓動した。動揺したのが分かる。けれど、動揺しているのはリィカではない。
「リィカ、どうかしたか?」
「あ、いえ……」
アレクに不審そうに問われて、リィカは慌てて言葉を探した。
「その、変わった名前だなって……」
「まぁそうだな。異世界だし、色々違って当たり前だろう」
不思議そうにしているものの、アレクは一応それで納得したらしい。
「では、二日後にまた来るから」
最後にそう言って、三人は帰っていった。
それを見送りながら、リィカは必死に混乱と戦っていた。この一年で慣れたはずの記憶と感情。だがそれはあくまでも「前世らしい他人のもの」でしかなかった。だというのに、今それを、リィカはまるで自分のことのように感じている。
「泰基、暁斗……」
小さくつぶやく。その名前をリィカは知っていた。
鈴木泰基、そして鈴木暁斗。それはリィカの前世、鈴木渚沙の、夫と息子の名前だった。




