話し合い
「リィカさん」
そう名前を呼んだのはレーナニアだ。その目が潤んでいるように見えて、リィカは内心で首を傾げる。その瞬間、リィカは抱きしめられていた。
「良かったです。本当に良かったです。守って下さってありがとうございます。あんなに傷だらけになって……助けて頂き、ありがとうございました」
「え、いえ。心配掛けてごめ……えと、すみません」
ごめんなさいは違うかと思って言い直すが、頭の中はパニックだ。貴族のご令嬢様に抱きしめられて感謝まで伝えられて、リィカはどうしていいか分からない。動けず、動いていいのかも分からず体を固くしていると、申し訳なさそうな声が届いた。
「義姉上、申し訳ありませんが、そろそろ話を先に進めたいので……」
アレクだ。公爵家という貴族トップのご令嬢に何かを言えるのはこの人しかいない。だが、ふとリィカは違和感を覚える。
(あねうえ……って?)
確か、レーナニアはアレクの兄であるアークバルトの婚約者。将来的には「義姉」になるのだろうが、今からそう呼ぶものなんだろうか。そんな疑問をもったところで、それを質問する勇気などないのだが。
レーナニアがリィカから離れた。それにホッとすると、今度はアレクが制服のブレザーを脱いで、リィカへと差し出した。
「リィカ、これを着てくれ」
「え?」
その意味が分からない。すると、代わりにレーナニアがそのブレザーを受け取った。
「リィカさん、ご自分のを脱いでこちらを着てください。服がボロボロです」
「え? あ……」
言われて思い出した。魔物の攻撃を何度も受けたのだから、当然制服だってボロボロになる。見ると、あちこち肌が見えてしまっていた。絶対見られては駄目なところが見えているわけではないが、アレクが後ろを向いて見ないようにしているのを見ると、リィカも恥ずかしくなる。
少しうつむきつつ、言われた通りに自分のブレザーを脱いで、アレクのを着る。だが、肩から落ちそうなほどブカブカで、少し考えて自分のブレザーの袖で腰の辺りを結わえると、少しはマシになった。長い袖は、レーナニアが捲ってくれた。
「えっと、その……」
背中を向けているアレクに、リィカが言葉を掛ける。さて何と呼べばいいのかと考えて、思い出したのはダスティンから教わったことだ。
「ありがとうございます、第二王子殿下」
貴族を呼ぶときは名前を呼ぶな、家名で呼ぶか爵位で呼べと言っていた。だからこれでいいはずと思ったのだが、アレクがやや不機嫌な表情になっていた。
「名前で呼んでくれ」
「え、でも……」
貴族どころか王族の言葉に反論するなど論外。だが、駄目と言われたことを言われてしまうと、どうしていいか分からない。
「ダスティン先生か誰かに、そう呼べと教わったんですか?」
そうリィカに聞いたのはユーリだ。それに黙って頷くと、ユーリはため息をついた。
「まあ横柄な貴族相手なら、その方がいいんでしょうね」
「あいつらと一緒にするなと言いたいけどな」
アレクもため息をつきそうな顔だ。そして、リィカを見て言った。
「ダスティン先生の言うことも間違っているわけではないんだが……。俺たちのことは名前で呼んでくれ」
言われて、リィカは迷う。悩んで、口にした。
「アレクシス殿下、でいいですか?」
「ああ、それでいい」
それでいいんだと思ったリィカだが、こんな例外を作られると、今後貴族と話す機会があったとき、どうしていいか分からなくなりそうだ。
「さてアレク、これからどうしますか?」
ユーリが話を切り出した。
「レーナニア様を校舎にお連れすること自体は賛成しますが、強行突破は難しいですよ」
「確かにな。おれらがここまで来んのもかなり苦労したんだぞ。難しいっつうか、無理じゃねぇ?」
バルもそれに同意する。リィカも周囲を見ると、魔物の数がさらに増えている気がする。
(この中を三人とも突破してきたんだよね? とんでもなく大変だったんじゃ……)
三人ともがとんでもなく強いことは分かったが、だからといってこの魔物の群れの中を進むのが簡単なはずがない。レーナニアを守りながら進むのは無理だと、リィカも思う。
「俺たちが通り抜ける間だけでいいから、ユーリの魔法で道を作れないか?」
アレクの質問に、ユーリの表情は芳しくない。
「仮に上級魔法で吹き飛ばしたとしても、これだけの数です。空いた空間はあっという間に埋まりますよ。その間に通り抜けるのは無理です」
「そうか。リィカはどうだ?」
特に落ち込んだ様子もなく、アレクの質問はリィカへと向けられた。それに、リィカはグッと息が詰まる。出来ないからではない。出来る自信はあった。だが、ユーリが出来ないと言ったのを、出来ると言っていいのかを悩んだのだ。
「どうした? 出来ないなら出来ないでいいぞ」
「出来るなら出来ると言って下さいね。変な遠慮は無用ですよ」
アレクの、純粋にリィカを気遣った言葉とは裏腹に、ユーリの言葉はリィカの心情を読んだ上でのものに聞こえる。
リィカは大きく息を吐いた。貴族は怖い。王族はなおさら。だが、リィカを平民と知りながら普通に話をしてくれている人たちを、必要以上に怖がってしまうのは悪いとも思う。
「できる、と思います。自信はあります」
「出来るのか!」
驚くアレクに、リィカは頷く。
「お待ち下さい。リィカさん、上級魔法を連発なさっていたでしょう? 魔力は大丈夫なのですか?」
レーナニアに聞かれ、リィカは「そういえば」と思い出す。正確な数字はないので、ざっくりとした感覚でしか判断はできないが。
「……何とか三割くらいはありそうです。道を作るくらいなら大丈夫です」
「三割もあるのですか!?」
レーナニアが驚いているのを見て、リィカも驚いた。「少ない」と言われるのではないかと思ったのだ。
(あ、でも、そっか。わたしって、魔力量多いんだっけ)
元々、魔力暴走を起こす人の魔力量は多い。
だがリィカの魔力量は国のレベルで見ても、トップレベルに多いらしい。クレールム村で測定したとき、兵士が頭を抱えて『とんでもない人見つけちゃったよ』と言っていたのを思い出す。
あの時は意味が分からなかったし、今でもきちんと分かっているわけではないが、とりあえずかなりの量だということは覚えておくようにしている。
「さすが、というべきですね」
レーナニアが何かを思い出したかのように、感心したようにつぶやいた。見ると、アレクやバル、ユーリも似たような表情をしていて、リィカは首を傾げる。
そんなリィカにアレクは苦笑した。
「ではリィカ、道を作るのを頼む。それと突破した後、俺と一緒にこの場に残って、魔物の足止めもして欲しい。出来るか?」
「はい、分かりました」
迷わず頷く。すると、それに異を唱える声が上がった。
「お待ち下さい。リィカさんはわたくしを守ってくれて大変だったのです。魔力の残量のこともありますし、一緒に校舎に入った方がよろしくないですか?」
レーナニアだ。リィカは何をどう言ったらいいか悩むが、アレクが先に口を開いた。
「義姉上、この状況で魔物と戦えるリィカを後方には下げられません。そして、義姉上を守りながら進むのに、防御に長けたユーリに義姉上の側にいて欲しい」
レーナニアにそう返し、今度はリィカを見た。
「だが確かに魔力残量は心配だ。戦えるのか?」
「はい。けれど、上級魔法はできるだけ控えたいです。初級か中級の魔法をメインにしたいです」
「分かった、それで十分だ。――義姉上も、そういうことでよろしいですか?」
レーナニアはすぐ返事をしなかった。悔しそうな表情を浮かべてリィカを見る。
「……申し訳ありません、リィカさん。よろしくお願い致します」
「い、いえ、とんでもありません。えと、その、大丈夫ですので」
丁寧に頭を下げるレーナニアに、リィカがアタフタと返す。その様子を見て、アレクが今度は友人たちをふり返った。
「バルとユーリは、義姉上を守って校舎まで送り届けてくれ。その後は戻ってきて、一緒に魔物退治だ」
その言葉にすぐ頷く。かと思われたバルとユーリは頷かず、その反応はリィカには意外すぎなものだった。
「ほお、成長したな、アレク。ちゃんと戻ってこいと言えるとは」
「そのまま校舎に残ってろ、とか言われたら、どうしようかと思いました」
アレクをからかうような言い様に、リィカは「え」とつぶやいて目を白黒させた。
「あーもう、うるさいな! 残りたかったら残ってろ!」
「ごめんだな。嫌だと言っても、戻ってくんぞ」
「戻ってこなかったら、アレク、寂しくて泣いちゃうでしょう?」
「誰が泣くか!」
目の前のそのやり取りを、リィカはすぐに飲み込めない。王族や貴族といったものに抱いていたイメージからはかけ離れすぎていて、むしろ平民クラスの男子たちのやり取りだとすら思ってしまう。
「仲良いでしょう? いつもこんな感じなんですよ」
レーナニアが笑って言った。言い合いをやめて、バツの悪そうな顔をした三人を、リィカは呆然と見つめたのだった。




