リィカと、その頃のアレクたち
「もういいです! わたくしのことなんか、放置していいですから! お願いですから逃げて下さい!」
レーナニアの今にも泣きそうな叫び声に、リィカはほんのり笑みを浮かべた。
勢いよく飛び込んだのは、リィカ自身。それなのに魔物にやられてばかりで、心配をかけてしまっていることが申し訳ないと思う。
もう一度気合いを入れる。身体中が痛い。けれど負けるわけにはいかなかった。
「《灼熱の業火》!」
火の上級魔法。その場に長く残り続ける炎だ。魔物が怯んだのを確認して、さらに唱えた。
「《爆発の轟火》!」
これも火の上級魔法だ。凄まじい爆発を引き起こす魔法。
音が大きく派手な魔法だが、その分威力も強い。その前に唱えた《灼熱の業火》の火によって、その爆発がさらに大きくなった。
「――よし」
二度の上級魔法の連発で、周辺にいた魔物は軒並み倒れた。ほんの僅かに時間が空く。何度か呼吸を繰り返すと、荒れた呼吸が落ち着いてくる。
「《砂嵐》!」
「《風の千本矢》!」
「《紅炎》!」
距離を詰められる前に、立て続けに中級魔法を唱えた。さらに魔物を倒して息をついたリィカの耳に、悲鳴が聞こえた。
「うしろっ!」
ハッとして振り向く。そこに、大きく口を開けた魔物がいた。鋭い牙が見える。反射的に右腕を前に出して……。
「うぐっ!」
噛まれた。二回も噛まれた傷の位置とは少しズレたのは良かったかもしれないが、それでも激痛が走る。
「《火炎光線》!」
顔をしかめつつも、何とか魔法を唱えた。火の中級魔法だ。細い貫通力のある魔法が、噛まれたままの右手から放たれて、そのまま魔物は絶命する。
右腕は解放されたが、それでも痛みがひどい。歯を食いしばる。
「《濁流》!」
再び水の上級魔法を発動させた。中級魔法は範囲が狭いから、その隙間から魔物がリィカのところへ到達してしまうのだ。だったら、魔力の残量が不安でも上級魔法を使うしかない。
「《水流瀑布》!」
続けて水の上級魔法を使う。滝のように落ちる水が、魔物を倒し押し流す。
リィカは唇を噛んだ。結構な数の魔物を倒しているはずなのに、減っている感じがしない。どんどん押し寄せてきているのだろうか。このまま上級魔法を使い続けているだけでは、魔物を倒しきる前にリィカが力尽きる。
(――どうしよう?)
一度は何とか整えた呼吸が、再び荒くなる。右腕が痛い。考えがまとまらない。回復魔法を使えるようになっておけば良かったと思う。後になって悔やむから後悔なんだと、益にもならないことが頭をよぎる。
「危ないっ!」
レーナニアの悲鳴が響いた。同時に、ドスンドスンと凄まじい勢いで魔物が突進してくるのが、リィカの目に映る。その頭にある尖った一本角、犀だ。
これまでリィカが倒した魔物は、低ランクの魔物だけだった。しかし、これはCランクの魔物。まともに攻撃を受けてしまえば、おそらく命はない。
「……ぁ」
魔法は間に合わない。そう判断し突進を躱そうとするが、体が想像以上に重かった。動こうとしても動いてくれない。
(――だめだ、かわせない)
スローモーションのように見える、犀の突進。その一本角に貫かれる光景が、見えた気がした。
「【隼一閃】!」
聞こえた声にハッとする。何かがリィカの脇を通り抜けた。同時に、誰かに腰をグイッと引き寄せられる。
――気付けば、犀が一刀両断にされていた。
「…………え?」
「【百舌衝鳴閃】!」
何が起こったのか分からない。しかし漏らした疑問と重なるように、隣から再び声がした。振るわれた剣から衝撃波が発生して、それが魔物を打ち倒している。
これは剣技と呼ばれるものだ。剣の使い手が使うものだからリィカは使えないが、クラスメイトたちが使っているのを見たことはある。だが、目を見張った。本当に同じ剣技なのかと思うくらいに、威力が段違いに強い。
ここでようやくリィカは気付いた。隣にいる誰かの手がリィカの腰に回っている。この手がリィカを引き寄せて、魔物から守ってくれたのだ。一体誰が、と顔を見ようとしたところで、別の声が聞こえた。
「「アレク!」」
二人の声が重なって聞こえる。走って近づいてきた二人の男性が見えて、リィカは目を見開いた。その二人は貴族クラスの有名人、バルムートとユーリッヒだ。すると、リィカの隣からも声がした。
「ユーリ! 結界を!」
ではこの人は……とリィカが恐る恐るその顔を見ると、そこにいたのはやはり有名人の一人、第二王子のアレクシス。
「『光よ。我らと彼の者らを隔てる障壁を築け』! ――《結界》!」
ユーリッヒが詠唱し、周囲に結界が張られた。そこに魔物が体当たりするが、結界はビクともしない。
「たす、かった……?」
リィカは呆然とつぶやいた。自分でそう言ったことで、それを事実として悟る。その途端に力が抜けて、足が崩れた。
「おい、大丈夫か!?」
地面に倒れ込む前に、腰に回されたままだったアレクシスの手が、リィカを支えたのだった。
※ ※ ※
アレクが、その宣言を聞いていたのは修了式のパーティー会場だった。
『ニンゲンたち諸君、聞こえるか。我は魔王である。これより、我と我が軍勢はニンゲンの国へ侵略を開始する。これは宣戦布告である。挨拶代わりに魔物を放った。より魔力の強い場所へ、多くの魔物が集まるようになっている。では健闘を祈る』
その宣言を、ただ呆然と聞いた。
黒かった空が元の色に戻ったとき、背中がゾクッとした。大量の魔物が見えて、無意識に右手が動いた。剣を握ろうとしたが、空振りする。今がパーティーの最中で剣を持ってきていなかったことを思い出して、アレクは駆け出した。向かうのは、剣が置いてある教室だ。
「「アレク!」」
教室に到着して剣を身につけたところで名前を呼ばれた。教室の入り口にいたのは、バルとユーリだった。
「何でお前は一人で動こうとすんだよ」
「声くらい掛けてくれたっていいじゃないですか」
当たり前のように言う二人に、アレクは笑った。バルが動いて、アレクと同じく剣を身につけるのを見ながら、アレクの口から出たのは憎まれ口だった。
「どうなっても俺は知らないからな」
「それはこっちの台詞だな。一人で突っ走っても良いことないぞ」
「そうですよ。怪我したとき、どうするつもりですか?」
お互いがお互いを挑発するように言いながらも、そこにあるのは確かな信頼関係だ。アレクは頷いた。
「よし、行くぞ」
言って走り出そうとして、すぐアレクは立ち止まった。そこに、見知った気配がある。
「――フィリップか?」
「はい、アレクシス殿下」
これまで全く何の姿も見えなかったところに突然人が現れたが、アレクは驚かない。父である国王子飼いの組織『影』の長だ。この程度は簡単にやってのける相手だ。だがアレクが気になるのは、なぜここに現れたのかだ。
「どうした?」
「アークバルト殿下の婚約者、レーナニア様が魔王誕生の宣言直前に外へ出ています。探してみたのですが、校舎内にいる様子がありません」
顔から血の気がひいた気がした。
「……まさか、外にいると?」
「その可能性が高いかと」
アレクは唇を噛んだ。レーナニアは“魔力病”のためまともに魔法を使えず、剣も使えない。それなのに、魔物が闊歩する外にいるというのだ。
「分かった、義姉上は俺たちが探す。フィリップは兄上を頼んだぞ」
焦りを抑えることもできず、フィリップが頭を下げるのを横目に走り出した。出入り口まで行くのも時間の無駄に思えて、強引に窓から外へ出る。
「おいこらアレクっ!」
「変なところから出ないで下さいよ!」
バルとユーリが文句を言ったが、それに返す余裕はアレクにはなかった。外へ出た途端に魔物が襲ってきたからだ。だからといって特に危機に陥ることもなく、あっさりと倒す。ザッと周囲を見回し、ランクの高そうな魔物はいないことを確認して、アレクは走り出した。
「おいアレク! どうするつもりだ!」
追いついたバルが怒鳴ってきたのを、アレクも同じように怒鳴り返した。
「虱潰しに探すしかないだろう! 手がかりも何もないんだ!」
「落ち着いて下さい! 無茶苦茶に動いたら、僕たちだって危ないですよ!」
「……っ!」
ユーリの言葉に、というよりはそのタイミングで襲ってきた魔物に足を止める。剣を振るって一撃で仕留めるが、気付けば囲まれそうになっていた。
「……マズいっ」
「【鯨波鬨声破】!」
アレクが慌てるのと同時に、バルが剣技を放つ。複数の衝撃が魔物を打ち倒し、その隙間を抜けて、魔物の包囲から脱出する。
「気をつけろよ、アレク」
「……悪かった」
アレクは素直に謝った。さすがに不用心だった。魔物の数がとんでもなく多いのだ。気をつけて進まないと、あっという間に魔物に囲まれる。ランクの低い魔物でも、包囲されれば命取りになる。
「行きましょう、アレク。焦らないで気をつけつつ、前に進みましょう」
ユーリに慰めるように言われて、アレクは気を取り直す。今は落ち込んでいる場合ではない。レーナニアを探すため、さらに進んだのだった。




