魔王誕生
レーナニア以外の有名人四人に遭遇してしまったリィカだが、それ以降は遭遇してしまうことはなかった。心配していた呼び出しなどというものもなく、穏やかに過ごす。
魔法の授業では、ザビニーが来たのは最初の一回だけだった。だから、リィカに魔法を教えたのはダスティンだ。
ザビニーが平民クラスの授業に来たのは、リィカがいたからだった。ダスティンの専門は剣だ。魔法も使えないわけではないが、教えるなら魔法専門の教師がいいと、学園側が判断した。
しかし、結局は相性が悪かったということなのだろう。ダスティンに教わるようになり、それでも中間期、そして期末期でも一位を取ったのだから、結果的にはそれで問題なかった。
そして、今日は一年生の最後の日、修了式だ。
入学式と同じく、貴族・平民合同の修了式。それが終わると、終了パーティーがある。何そのパーティーと思ったリィカだが、いずれの学年でもそれが行われるのが恒例らしい。
昔はドレスアップをしていたパーティーらしいが、今は平民もいるため、皆が制服着用を義務付けられている。
だが、平民が貴族だらけのパーティーに紛れ込むには勇気がいる。さらには、紛れ込んだことで何かしらの情報漏洩が起こったら問題だということで、平民には別室が設けられている。別にパーティーなんかしなくていいとリィカなんかは思うが、出ている食事は豪勢だから、クラスメイトたちは楽しんでいるようだ。
それを横目に、リィカは外へ出て何となく空を眺めていた。
村にいたときには考えられないくらい、充実した一年だった。正直に言えば、渚沙の記憶のおかげで助かったと思っている。そのおかげで問題なく学園での生活を送り、クラスメイトたちとも仲良くできた。もし小さな田舎の村だけの記憶しかなかったら、王都や学園に馴染めない、相当な問題児だっただろうと思う。
「……渚沙」
小さく、その名前をつぶやいてみた。
なぜこんな記憶があるんだろうかと思う。渚沙に心残りがあるからだろうか。二十四歳で殺されてしまった渚沙は、それ以降の夫と子どもがどうなっているのかを気にしている。
だから、こんな記憶が残っているんだろうか。でもだったら、せめて日本で生まれ変われば良かったのに、こんな異世界ではどうすることもできない。
リィカは首を横に振った。渚沙のことを考えたところでどうしようもない。だから、今度考え出したのは、自分自身のことだ。
リィカには父親がいない。母親一人に育てられた。父親がいないことで、周囲からの偏見などもあったのではないかとも思うが、それを母親が見せたことはなかった。
卒業まであと二年。学園卒業の平民は、その後の就職が有利になると聞いた。だからそのときには、母親に恩返しをしたいとリィカは思っている。
「がんばろう!」
自分自身にそう誓い、そしてパーティー会場に戻ろうかと思ったとき。穏やかだったはずの学園生活は、ここで終わりを迎えた。
――突如、空が黒く染まった。
※ ※ ※
「え?」
ヴィート公爵家の令嬢、そして王太子アークバルトの婚約者であるレーナニアはそうつぶやいていた。
一年目の修了パーティーに参加していたが、考え事をしたくなって会場から外へ出ていた。そこで突如起きた、空が黒く染まるという異変。今は昼間だ。夜じゃない。そもそも、この黒い空は夜の闇とはまた違うように見える。
ズキン、と頭に痛みが走った。思い出した“記憶”に目を見張る。
「まさか、これ……」
そうつぶやいたとき、声が空から降ってきた。ゲームの通りに。
『ニンゲンたち諸君、聞こえるか。我は魔王である』
「ま、おう……」
レーナニアの声が震える。
『これより、我と我が軍勢はニンゲンの国へ侵略を開始する。これは宣戦布告である。挨拶代わりに魔物を放った。より魔力の強い場所へ、多くの魔物が集まるようになっている。では健闘を祈る』
声が途切れ、空が元に戻る。だが、レーナニアは見えた光景に目を見開いた。自らが、魔物に取り囲まれている。
「……あ」
胸元のペンダントを握りしめて小さくつぶやく。それ以上、何もできない。
魔物がゆっくり近づいてくるのが分かっても、全く体が動かない。仮に動けたところで、逃げることなど不可能だ。
喰われる。
その単語がレーナニアの脳裏をよぎった瞬間……、恐怖が弾けた。
「いやああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁっ!」
悲鳴を上げた。まるでそれが合図だったかのように、魔物達が一斉にレーナニアに飛びかかった。それを、ただ見るだけ。――そして、次の瞬間にはもう魔物の餌になっている、はずだった。
「《防御》!」
その声と同時に、レーナニアの目の前に透明の壁ができて、魔物の攻撃を防ぐ。すぐに崩れてしまったが、魔物が警戒するように少し後ろに下がった。
「え?」
何が起こったのか分からないレーナニアの耳に、もう一度声が聞こえた。
「《防御》」
先ほどは前面だけだった透明の壁が、今度はレーナニアを包むような円柱形の形を取る。そこに駆け寄ってきたのは、一人の少女だった。
「この中にいてください。魔物はわたしが何とかします」
そう言って、その少女は大量の魔物と向かい合う。明るい栗色の髪色をした、小柄な女の子。その姿にレーナニアは目を見開いた。
聞いていた特徴と一致している。この女の子は、魔法の実技試験で一位を取った、リィカ・クレールムだ。
(やはり、あなたがヒロイン……?)
心の中で、そうつぶやいていた。
※ ※ ※
「まおう……」
リィカは、空から降ってきた声につぶやいた。
知っている。この世界の有名すぎる歴史。クレールム村にさえ、「魔王誕生」の話があったくらいだ。
この世界のはるか北の地の魔国にて、およそ二百年に一度「魔王」と呼ばれるものが誕生する。
魔王が誕生すると魔物の動きが活発になる。そして、魔王の手下である魔族たちが南下して、人の住む土地を攻めてくる。その対抗手段として、リィカたちの住むこのアルカトル王国には魔王を倒すための聖剣と、それを扱う勇者を召喚する魔法陣が存在する。
召喚された勇者は仲間たちとともに北上して、魔族を倒して魔王を討伐して人の地を救うのだ、というのが話の内容だ。
正直、こうして渚沙の記憶がある状態だと、何のゲームだと言いたくなる内容なのだが、これは歴然としたこの世界の事実だ。
魔王とやらの声が途切れ、空の色が元に戻る。けれど、リィカはゾクッとした。周囲は大量の魔物に溢れていた。
「…………っ……」
息を呑み、顔をしかめる。だが、すぐに魔物の意識がリィカにないことに気付いた。魔物が見ているのは、全く別の方向だ。別に見てほしいわけではないが、なぜだと思ったその瞬間だった。
「いやああぁぁぁぁぁあああぁぁぁああぁぁっ!」
女性の悲鳴が聞こえた。おそらく魔物の視線の方向から。
「――っ!」
躊躇ったのは一瞬。リィカは駆け出していた。
そしてすぐに見つけた。地面に座り込んで悲鳴を上げている女の人。そして、その人を今まさに喰わんとしている魔物の姿。
「《防御》!」
咄嗟に放った魔法は、無事に発動してくれた。魔物を弾き、警戒した魔物が後ろに下がる。その隙間にリィカは入り込んで、もう一度魔法を唱えた。
「《防御》」
女の人を囲むように円柱状の壁が出来上がったことに、リィカはホッとした。攻撃魔法は得意だが、それ以外の魔法は苦手だ。ようやく何とか形になってきたこの魔法が、二回続けて発動できたのは初めてだ。
一息ついて女の人をチラッと見て、驚いた。その人は、王太子の婚約者であるレーナニアだった。
「この中にいてください。魔物はわたしが何とかします」
そう告げて、リィカは大量の魔物に集中したのだった。




