最終話 ハチ
ツバキは綾斗を乗せた馬車をダイキチが引っ張っていったのを家から見送りながら、サキに声をかける。
「ダイキチさんが戻ってきてから行きますからね」
「わかったなの! だけどどうして峠に行くのに、綾斗さんと一緒にいかないの?」
その質問にツバキは厳かに答える。
「それは、結界を解く儀式を見られるわけにはいかないからです」
それを聞いてもサキはピンとこないようだ。
首を傾げている。
そんな彼女にツバキは自分達の一族のことを丁寧に説明した。
●
日が傾き始めると、綾斗は迎えに来たダイキチの馬車に乗って里に帰った。
しかし里に降り立ったとき、彼は違和感を抱いた。
「サキがいないな」
今日は珍しく手伝いに来なかったが、彼女が里に残っている日は大抵自分のことを迎えてくれる。
そのため綾斗は周りを見渡してサキの姿を探す。
しかし見つからない。
すると彼の呟きを聞き取ったダイキチが口を開いた。
「サキならツバキと一緒に峠に行ったぜ! 峠を親子で散歩したいって言ってたからな! 綾斗は知らなかったのか!?」
それを聞いた綾斗は眉を上げて驚いた。
「峠に? いや、知らなかったな」
思い返してもツツジを探しているときにツバキとサキを見た覚えはない。
恐らくすれ違いになったのだろう。
そう判断した綾斗はそれ以上気にしないことにした。
問題が起こったのは、その一時間後のことだ。
ツバキとサキを迎えに行ったダイキチが慌てた様子で帰ってきた。
彼は里に着くなり近くにいた綾斗に声をかける。
「おい、綾斗! 峠でツバキとサキを見なかったか!? あいつら、いくら俺が呼んでも来ねえんだ! 待ち合わせ場所にもいねえし、探し回ってもいなかった!」
それを聞いた綾斗は血相を変えた。
「それは本当か!? まずいな。遭難したり、熊とかに襲われていたらしゃれにならねえぞ! ダイキチ、今すぐ妖怪達と半蔵と清明を集めるぞ!」
「分かったが他にもっと人を呼んだ方がいいんじゃねえか!?」
「いや、熊に出会っても生き残れる奴だけを連れて行く! それ以外は危険だからな!」
それを聞いて納得したダイキチはすぐさま馬車を置いて走り出した。
綾斗も里中を回って人手を集める。
そうして集まった彼らは揃ってダイキチの馬車に乗って峠に向かった。
空が赤くなり始めた頃、峠に着くなり一行は散らばった。
ダイキチと一反木綿は空から、清明は式紙を大量に飛ばし、他の者は地面を走って捜索する。
しかしツバキとサキは一向に見つからない。
綾斗は焦りを抑えながらも木々の間を駆け回る。
(くそ、どこだ? こんだけ大人数で探しているのに、何故すぐに見つからない!?)
綾斗の脳裏に嫌な光景が浮かぶ。
彼はそれを振り払うように大声を上げた。
「サキ! ツバキさん! どこだ!?」
辺りではあちこちから同じような呼び声が響いている。
皆、必死になって探しているのだ。
だがそれでもツバキとサキは見つからない。
すると清明の式紙が声を上げた。
「皆、峠の先端の開けた場所に来て! ツバキさんとサキちゃんが見つかったよ!」
「本当か!?」
その声に弾かれたように、綾斗や他の者達は急いでそこに向かった。
綾斗が来た頃には既に全員が来ていた。
綾斗はその中にいるツバキとサキの姿を見てホッと胸をなでおろす。
するとツバキが口を開いた。
「皆様、ご心配をおかけして申し訳ございません。本来ならばすぐに終わる予定だったのですが、思いのほかてこずってしまって……」
ツバキは申し訳無さそうにそう言って、頭を下げる。
それに対して綾斗は疑問を浮かべた。
「てこずる? 散歩していたんじゃないのか?」
「たしかにダイキチさんにはそう言いましたが、それは嘘です。申し訳ございません。本当のことを言うと、隠蔽結界を解く準備をしておりました」
その言葉を聞いて清明が口を開いた。
「隠蔽結界? この辺りにはそのようなものは無さそうだけど……」
「それは時空の歪がすぐそこにあるからでしょう。それによって結界の存在を感じにくくなっているのです」
「なるほど。そうだったのか!」
綾斗達には分からないが、清明は納得したように頷いた。
綾斗が口を開く。
「隠蔽結界ってことは、何かを隠しているのか?」
「その通りです。しかしそれを話す前に、話さなければならないことがございます」
ツバキはそう言うと、一度深呼吸をしてから再び言葉を発した。
「私達は埋蔵金を隠した平家の姫の末裔なのです。そして私達のご先祖様はこの地に咲くツツジの木の下に埋蔵金を埋めた後、大規模な隠蔽結界を施しました。それが今私達が立っている後ろにあります」
綾斗達は驚き、ツバキの背後を見る。
だがそこには何も無いように見える。
しかし清明や妖怪達と接してきた綾斗にはその言葉が嘘だとは思えなかった。
彼は驚きを隠せず、黙っているサキに声をかける
「サキ、そうなのか?」
サキは首を縦に振った。
それを受けて綾斗は思わず、何故それを教えてくれなかったんだ、と大声を上げそうになる。
だがその前にツバキが口を開いた。
「綾斗さんのお気持ちは分かります。しかしサキを責めないであげてください。この子に我が一族のことを教えたのは今朝が初めてなのです」
「……そうだったのか」
「それにこの埋蔵金は我が一族にとっても大切なものなのです。そのためこれまで綾斗さんになかなか言い出すことが出来ませんでした。ですが綾斗さんは埋蔵金を使うでもなく、お墓に備えるだけといいました。ですから今日こうして言う決断をしたのです」
ツバキは言葉を続ける。
「そして綾斗さんが先ほど見せてくださった家紋は我が一族の家紋と同じものです。つまり綾斗さんは私達の血族ですので埋蔵金を持って行っていただいて構いません」
ツバキがそういうと、綾斗は目を見開いて驚いた。
ツバキはさらに口を開く。
「ですが綾斗さんに頼みがあります。綾斗さんが元いた時代でよろしいので、この埋蔵金をお墓にお供えしたあと、どうかここに返していただけないでしょうか?」
ツバキは必死にそう懇願する。
それを受けて綾斗は一も二もなく頷いた。
「そういうことなら分かった。必ず戻すと約束する」
「ありがとうございます」
次にツバキは他の者達にも頼み込む。
「皆様にもお願いします。このことは里の方達にも秘密にしていただけ無いでしょうか」
そう言うと、彼らは各々頷いた。
それを受けてホッと安堵した様子のツバキは後ろに振り返ってしゃがみこむ。
「それでは、結界を解きます」
そして地面に手をつけた。
その瞬間、まるでガラスが割れたような音と共に空間が弾ける。
するとそこから白の花を咲かせたツツジの大木が姿を現した。
綾斗は思わず見とれて、感嘆の息を吐く。
「すげえな、今まで見てきたどのツツジよりも立派だ……」
綾斗だけでなく、他の者達も同じように見入っている。
するとツバキが声を上げた。
「あの木の下に埋まっているといわれております。どうぞ、掘り出してください」
「……ああ、ありがとう」
綾斗は万能工具で土を掘り返す。
すると古びた木箱が出てきた。
「おお……これが……」
ずっしりとした重さが両手に加わる。
綾斗はその蓋をゆっくりと開けた。
するとそこには小判がびっしりと詰まっていた。
それを見た綾斗は胸にこみ上げるものがあり、思わず涙を流す。
叔父の最後の笑顔が脳裏に浮かんだ。
しばらくの間そうしていると、彼は涙を拭い、笑顔を浮かべた。
「ありがとうな。これは墓にお供えした後、必ず元に戻すよ」
次に清明に声をかける。
「清明、時空の歪はどうなっている? 通れそうか?」
「そうだね……うん。今は通れるよ」
するとサキが不安そうに声を上げた。
「もしかして帰っちゃうの……?」
「ああ、元々そのつもりだったからな」
するとサキは綾斗に駆け寄って、彼に抱きついた。
「嫌なの! 行かないで欲しいなの!」
それに対して綾斗は眉を寄せて困った顔をした。
「ごめんな、サキ。俺はどうしても戻らなきゃいけないんだ」
「それでも嫌なの! ずっとこの時代にいて欲しいなの!」
サキはそう言って大粒の涙を次から次へと流した。
そんな彼女の顔を見て、綾斗はますます困った顔をする。
彼はサキの頭を優しく撫でた。
「本当にごめんな。それでも俺は戻るよ」
「……っ!」
サキは息を呑んで悲痛な顔をした。
そんな彼女を前にして、綾斗は安心させるように笑顔を浮かべた。
「だがもう一度この時代に戻ってくる。約束するよ」
そう言って綾斗はサキの頭を優しく撫でる。
サキが口を開いた。
「本当に……本当に、戻ってくるなの……?」
綾斗は力強く頷く。
「ああ、絶対に戻ってくる」
そうして綾斗はその場で皆に、一人ひとりに別れを遂げ、時空の歪に入っていった。
◆
綾斗は埋蔵金を叔父の墓に供えた後、もう一度姫越峠に来たが、江戸時代に戻ることは出来なかった。
何度も何度も試したが、戻ることは出来なかった。
そして時は過ぎ、西暦2170年。
綾斗が元の時代に帰ってから50年が経った。
彼は科学者として様々な研究をしており、今、実験の一環として再び峠にやってきている。
「懐かしいな……」
綾斗は今60歳を越えているが、アンチエイジングの技術が進歩しているため、彼の見た目は若々しい20代のままだ。
すると彼の傍にいる犬が吠えた。
「わん!」
「そうだな、お前に内臓された機能を試すか」
綾斗はそう言うと、犬は食べれる野草を見分け、口から光線を放ち、自身の大きさを自在に変えて見せた。
そして犬は自慢げに顔を上げる。
「わふっ」
綾斗は満足気に頷いた。
「完璧だな。それじゃあ、行って来い!」
「わん!」
すると黄金の体毛を纏った犬は自身の体を縮小させ、人間の目には見えない時空の歪に入っていった。
それを見送って綾斗は呟く。
「頼むぞ。これでお前があの時代に行って帰ってくれば、俺は自由にあそこに行けるようになるんだからな」