53話 変化
綱吉の家臣達が彼のいない場所でひっそりと話していると、雨が降り始めた。
土砂降りの雨である。
彼らは慌てて綱吉の下に戻った。
ちなみに綱吉の幻影は炎でできているが、九尾の狐の妖力によって水でも消えないようになっている。
そのため綱吉の幻影は雨の中でも健在であった。
彼の前に来た家臣の一人が口を開く。
「綱吉様、この雨では兵達の中に体調を崩すものが出てくるでしょう。いかがなさいますか?」
綱吉の幻影はそれに答える。
「たしかにそうだな。森の中に入って雨宿りをすることにしよう」
「はっ、承知いたしました」
家臣達はすぐさま動き出し、兵達に今の綱吉の言葉を伝えに行く。
しかしその中の一人は顔を青白くさせながら綱吉を見ていた。
それに気づいた別の家臣が彼に声をかける。
「おい、どうした? 顔色が悪いぞ。雨に打たれて体調を崩したか?」
それを聞かれた男は口をパクパクさせるだけで答えない。
代わりに森に向かって歩いていく綱吉を指さして首を横に振るだけだ。
「おい! 綱吉様に指をさすな! 無礼だぞ!」
「ち、違うんだ……」
首を横に振りながら声を震わせそう答える。
その異常な様子に気づいた周りの家臣達も彼のことを訝しげな顔をして見、そして綱吉に目を向けた。
するとその中の何人かが、あっ! と声を上げた。
「どうしたんだ? 何があったんだ?」
「阿呆が! 綱吉様をよく見ろ! 体の輪郭が揺らいでいるだろうが!」
その言葉を聞き、残りの家臣達も綱吉を注視した。
するとその家臣が言った通り、綱吉の輪郭が波打つように揺らいでいるのが分かった。
九尾の狐によって作られた綱吉の幻影は確かに雨で消えることは無い。
しかし物に当たると僅かに揺らいでしまうのだ。
そのため今まで物に触れること無くやり過ごしてきたのだが、雨が降ってきたことによってそれができなくなってしまった。
「綱吉様の偽者を捕らえろ!」
一人の家臣がそう言った。
その言葉に弾かれたように呆然としていた家臣達が動き出す。
すると綱吉の幻影は森の奥に向かって駆け出した。
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九尾の狐から幻影がばれたということを聞いた綾斗は焦っていた。
「状況はどんな感じだ?」
「今は最後の悪あがきとしてこの里に向かって逃げさせておる。兵達も追ってきておるが、幻影だとばれて妖怪が悪という認識が再び芽生えたら、そっちの方が面倒じゃからな」
「たしかにそうだな……」
綾斗はそう言いながらしばらくの間頭を回転させる。
するとそれまで黙って考え込んでいた綱吉が口を開いた。
「俺が帰ろう。そうすれば問題ない」
「却下だ。お前を帰すと次いつ襲ってくるか分からないからな」
綾斗が即答すると、綱吉は立ち上がった。
「それは問題ない。もうこの里は襲わないと決めたからな。なぜなら綾斗達は善人だからだ。これは誰の意見でも無く俺が実際に見て、聞いたことを元に考えて決めたことだ」
綱吉ははっきりとそう言った。
そこに嘘をついている様子は一切見られない。
それでも綾斗は今までの綱吉の行動と照らし合わせて考え、訝しげな顔をした。
「随分と決断を下すのが早いな。せめて一日はかかると思っていたんだが」
「そんなに日数は必要ない。この里の住人達は皆笑顔を浮かべ、綾斗達のことを信頼していたのは事実だ。そして俺達が攻めて来た時に俺達を殺さなかったこともな。そんな奴が悪人であるはずがない。そう思ったまでだ」
そして綱吉は頭を下げる。
「お主を悪人だと疑い、命を狙ってすまなかった」
綾斗はまさかあれだけ自分のことを敵視していた綱吉が謝ってくるとは思わず唖然とした。
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綱吉の家臣達は綱吉の幻影を追って森の中に入った。
彼らは、待て! と口々に叫びながら走る。
しかし幻影との距離は一向に狭まらず、むしろ徐々に広がっていた。
すると目の前に霧が見えてきた。
「まずい! あの中に入られてしまうと見失ってしまう!」
「いや、あの霧はひょん爺の仲間が作ったものだ。おそらくここで待っていれば出てくるだろう」
その言葉に家臣達は納得し、彼らは手に縄を持って綱吉の幻影が霧の中から出てくるのを待った。
すると霧の中からぬかるみを踏みしめる足音が聞こえてくる。
家臣達は息を呑んで緊張感を露わにしながらも、足音の主が姿を現すのと今か今かと待ち構える。
先に声が聞こえた。
「ああ、お前達か。どうしたんだ?」
それとともに姿が露わになる。
綱吉だ。
彼は極自然な立ち振る舞いで家臣達を見ている。
すると一人の家臣がぼそりと呟いた。
「輪郭が揺らいでない……」
それを聞いた家臣達は一斉に綱吉の輪郭を凝視した。
「な、なんだ急に」
それを受けて綱吉は思わずたじろぐ。
すると再び家臣がぼそりと呟いた。
「本物の綱吉様だ……」
「何を言う。俺は俺だ。偽者などない。それより帰るぞ。もうここには用は無い」
家臣の呟きを耳聡く聞き取った綱吉はそう言って森の外に向かって歩き出した。
その際、彼は家臣達に向かって口を開く。
「俺はこれから学問を始め、見聞を広めようと思う。もう二度と悪人の操り人形になどならないようにな」
それを聞いた家臣達は皆一様に驚いた。
後に綱吉は将軍となり、学問の中心地として湯島聖堂を建て、人身売買や捨て人をより厳しく取り締まる一環として生類憐みの令を発布することになる。
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