33話 再開
◆
ツバキは店の裏口から外に出る。
(このまま逃げられたら楽なんですが……)
ここに来るたびに思うことを心の中で呟き、ため息を吐いた。
街中には至る所に倉之助の息がかかった侍達がいる。
彼らはツバキの顔を覚えているため、逃げ出したとしてもすぐに見つかることだろう。
ツバキは店の横にある物置の近くにしゃがみこみ、地面に視線を落とす。
彼女は三年前に村から捨てられ、行く当ても無く森の中を彷徨っていた。
そして捨てられたその日の夜中に三人の侍がやって来て、急に刀を突きつけてきたのだ。
それから侍達は自分を籠に押し込み、津藩の山奥から江戸のこの店まで連れてきた。
一体何をされるのかと不安になっていると、ここの地下にある牢屋に閉じ込められた。
そこには他にも自分と同じような赤い着物を着たやつれた人達がいた。
彼らに話を聞いて、村長の五平がこの店の主人と結託して人身売買をしていることを知った。
それを聞いた時は怒りよりも絶望の方が大きかった気がする。
そうして絶望していると、倉之助が度々客を連れてやって来た。
自分は買われないように顔を下げ、客をやり過ごしていた。
そんな暗い日々を送っていると、そこでは悲劇ばかり目にする。
だからだろうか。
自分がこれまで抱いていた、生きていればまた娘に会えるかもしれない、という思いは諦めに変わり、いつしかなくなった。
そんなある日、倉之助に目をつけられた。
それからはこの店の看板娘として働かされる日々だ。
この店から出ることはできないものの、生活は随分とましになった。
だがそれでも擦り切れてしまった希望を見ることはなくなった。
ツバキはポツリと呟く。
「……そろそろ戻らないといけませんね」
顔を上げ、立ち上がる。
すると大通りの方から赤い着物を着た少女が、人通りの少ないこの道に入ってくるのを視界の端で捕らえた。
何気なくその少女に視線を移す。
その瞬間、ツバキは固まった。
少女もまた、ツバキのことを目にして固まる。
少女がポツリと小さく呟いた。
「お母さん、なの……」
その言葉を聞いて、姿を見て、ツバキは夢を見ているのかもしれない、と思う。
記憶より少し背が伸びているが、紛れも無い自分の娘だ。
だがそれでも首を縦に振った。
その瞬間、娘の眦から涙が溢れ、大声で叫びながら胸に飛び込んできた。
「うわああああん! お母さんなのー!」
娘を正面から受け止め、強く抱きしめる。
涙が溢れてきた。
◆
綱吉の館から帰ってきた倉之助は、護衛の侍に囲まれながら大通りを曲がり、人の少ない道に入る。
すると彼は配下の侍から綾斗の姿を目にしたことを聞いた。
倉之助は脳裏に綾斗の顔を浮かべ、馬鹿にしたように口を開く。
「まさか津藩の田舎からのこのこと江戸まで出てくるとはな。森の奥に引っ込んでおれば少しは命が長くなったものを」
すると店の裏口にツバキがいるのに気が付いた。
彼女は慌てたように物置を背に向けて、倉之助に向き直る。
倉之助はツバキが毎日裏口に来ていることは知っている。
だが倉之助は彼女の慌てように訝しんだ。
「ツバキ、店番はどうした。休憩中か?」
「いえ、洗濯物を取り込もうとしておりました……」
ツバキは僅かに顔を伏せながらそう言った。
それを聞いた倉之助はツバキの背後をチラリと見る。
「何か慌てていたようだが、物置で何かあったのか?」
倉之助がそう聞くと、ツバキは僅かに肩を震わせた。
だがそれは一瞬のことで、彼女は普段と変わらぬ声色で言葉を発する。
「いえ、特に何もございません。ねずみが飛び出してきて、驚いただけです」
「そうか、ならいい」
倉之助はそう言うと、ツバキに護衛に持たせていた荷物を預ける。
「これを俺の部屋において来い。俺はこれから用がある」
「承知しました」
荷物を受け取ったツバキは店に戻り、倉之助の部屋に向かった。
そんな彼女の姿が見えなくなると、倉之助は物置に目を向けた。




