3話 服部半蔵という男
忍び装束の小柄な男が茂みから出てきた。
顔は隠れてよく見えないが、声と身長からして綾斗と同年代くらいだろう。
彼は綾斗たちがいることを目にすると、それまで纏っていた雰囲気を一変させた。
クナイと手裏剣をすばやく構える。
サキが木の陰に身を隠した。
「……お主たちは何者でござる?」
「……それはこっちが聞きたいね」
「ふん。その目つきの鋭さ、お主まさか妖怪ではあるまいな」
「はあ!? 失礼だな!」
すると犬が両者の真ん中に割って入るように駆け込んできた。
そして彼らに向かってしきりに吠える。
「わん! わんわん!」
「なんだ?」
「ハチ? もしかしてこ奴らはあの者たちとは関係ないと言いたいのでござるか?」
「わん!」
どうやらハチと呼ばれた犬は忍者が言っていることに肯定しているらしい。
すると木の陰から顔だけを覗かしていたサキが思わず声を上げた。
「わあ! うなずいたなの! あっ……」
慌てて手で口を押さえるサキ。
しかし既に忍者は彼女の声に反応してそちらに目を向けていた。
二人の目が合う。
すると忍者がクナイを袖の下に、手裏剣を帯の下に直した。
そして綾斗とサキの両方に向かって頭を下げる。
「どうやら拙者の勘違いだったようでござる。いきなり刃を向けて申し訳なかったでござる」
それに対して綾斗は拍子抜けしたように警戒を解いた。
「あ、ああ。それならいいんだ。それよりあんたは何者だ?」
「拙者は服部半蔵正成という者でござる。信じてもらえぬやも知れぬが、拙者過去から来たでござる」
その言葉を聞いた綾斗は目を見開いて驚いた。
「服部半蔵だと!? 伝説の忍者じゃねえか!」
「おや? 拙者のことを知っているのでござるか? まあ実際忍者だったのは親の代までだったのでござるが、幼い頃から忍術は一通り叩き込まれているので、不本意ながら忍者といっても過言でないでござる。本当は忍者などやりたくないでござるが……」
そう言って半蔵は眉間にしわを寄せ、大きなため息を吐いた。
そして話題を変えるように口を開く。
「それよりお二方はこんなところで何をしているのでござるか?」
「これから休むところなんだ。あの木の下で休もうとしていたところに犬が飛び出してきてな」
「そうでござったか。それでは拙者もご一緒してよろしいでござるか? 行く当てもなく、道にも迷ってしまって困っていたのでござる」
「かまわない。俺たちも人手は欲しいところだったしな」
「おお! ではよろしく頼むでござる!」
三人と一匹は固まって大木の下に行く。
あたりはすっかり闇に包まれ、虫の音が静かに広がっている。
そんな雲ひとつない星空の下で新たな光がボッ! と立ち上った。
「おー、半蔵は器用だな」
「いやー、それほどでもないでござるよ」
と、言いながらも誇らしげに胸を張る半蔵。
彼は木の枝と板から火をおこして見せたのだ。
「よし、それじゃあ俺は何か食べられる物を探してくるから火の番をしていてくれ」
綾斗は一人立ち上がり暗闇の中をスマートバンドに内蔵されている発光機能で照らしながら野草を探す。
ハチが彼についてきた。
「お、一緒に探してくれるのか? ありがとさん」
「わん!」
ハチが綾斗に体を擦り付け、嬉しそうに鳴いた。
その後、鼻をスンスンとさせながら辺りを見回す。
すると突如綾斗の服の袖を咥えて走り出した。
「おい、ハチ!?」
綾斗が呼び止める。
するとその声に反応し、ハチは足を止めた。
そして綾斗の方に顔を向ける。
「どうしたんだ?」
綾斗が追いついて声をかけると、ハチは再び服の袖を咥えて走り出した。
「わん!」
どうやら付いて来いといっているらしい。
ハチに連れられていく綾斗。
やがてハチが足を止めた。
その目の前には小さな赤い果実がなっている茂みがある。
「これは……食べられるのか?」
「わん!」
綾斗の言葉に頷くハチ。
それを確認するために彼はスマートバンドに声をかける。
「カメラ起動」
するとその声に反応してスマートバンドの上、綾斗の腕に沿ってホログラムが展開される。
そこには対象の赤い果実とシャッターボタンが映し出されており、綾斗はそのボタンを押した。
そしてもう一度スマートバンドに話しかける。
「写真検索開始」
『万科辞典から検索。完了:写真の果実は野いちごです』
「へえ、野いちごか! それなら食べられるな!」
それが野イチゴだと知った綾斗は興奮した声を上げた。
そしてリュックから袋を取り出して、野いちごを片っ端から採って入れていく。
野いちごはたくさん成っており、袋はあっという間にパンパンになった。
「でも野いちごだけってのもな。調味料は一通り持っているから、野草の味噌汁でも作るか」
袋の口を縛ってリュックに仕舞いながらそうつぶやく綾斗。
帰りはホログラムに表示した食べられる野草の一覧を見ながらそれらを探す。
「これは食べられる。これは食べれない。これは食べられる……」
「わんわん!」
「あ、こら! それ食べられるやつだぞ! 持って行くな!」
「がるるる……」
「え? これ食べられないのか? 検索っと。……ほんとだ。食べられるやつとよく似てるけど違うやつだ……」
「わふっ」
……ハチがいなければどうなっていたか分からないような怪しい場面もあったが、なんとか食べられる野草だけを集めた綾斗であった。
「ただいま。野草が少しと野いちごがたくさんあったぞ。これからすぐに作るから飯はもう少し待ってくれ」
「おお、ということは未来で食べられている料理が食べられるでござるか? 楽しみでござる!」
「サキから俺のことを聞いたのか。まあ未来では野草じゃなくて育てられた野菜を食うからちょっと違うけどな。でも料理の腕にはそれなりに自信がある。楽しみにしててくれ」
それから綾斗はリュックの中からキャンプ用の調理器具と調味料を取り出し、瞬く間に料理を作っていく。
「はいよ。野草の和え物に野草の味噌汁、野いちごてんこ盛りだ」
それらを前にした半蔵とサキが目を輝かせた。
「とっても豪華なの!」
「いい匂いでござるな! 早速いただくでござる!」
「そんなに豪華なもんじゃないと思うが……まあいいか。いただきます」
パクパクと箸を進める二人。
彼らは予想以上に綾斗の料理がおいしかったからか上機嫌に食べ進めている。
そんな彼らに向かって綾斗はふと思い出したように質問した。
「そういやこの辺りにツツジの木があるって聞いたんだが、二人とも見たことあるか?」
「んー、知らないの」
「拙者も知らんでござるな。なにせこの辺りを通りがかった時に気づけばこの時代に来ていたでござるから」
綾斗は残念そうな顔をした。
「そうか……」
「あたしがいた村の皆も知らないと思うの。知っているとすれば人食い妖怪ぐらいだと思うの」
そういってサキと半蔵は野いちごをつまむ。
よほどおいしかったのか、既に和え物と味噌汁はなくなっていた。
「人食い妖怪? それはなんでござるか?」
「この森には人食い妖怪が住んでいるの! 森に十日間いたら食べられるの!」
サキは身振り手振りを交えながら妖怪の恐ろしさを半蔵に伝えようとする。
「サキ曰く、そういうことらしい。まあ多分子供が森に入らないようにするための言い伝えだ。妖怪なんていねえよ」
「いるの! いるに決まっているの!」
「はいはい、そうだな」
それから三人は食事を終えて休むことにした。
火に木の枝を放り込みながら起きていなければならないため、火の番は綾斗が先に行い、次に半蔵が行う。
草の上とはいえ地面の上に直接寝転んでいるにもかかわらず、早くもサキからは寝息が聞こえていた。
▲サキ視点
川のせせらぎが気持ちよく、横になっているとうとうとしてくる。
サキの脳裏に次々と情景が浮かび上がってきた。
父の死後働き手がいなくなったため、彼女の母は村から捨てられた。
どういうわけかサキだけは捨てられなかったが、おそらく村長がまだ幼かった彼女を憐れんだためだろう。
村長は優しかった。
体が膨らむ奇病であるにもかかわらず、いつも村人達のことを心配していた。
川のせせらぎが激しい雨音のように聞こえてくる。
ある日突然村長に呼び出され、赤い着物を渡された。
「……へ?」
それを見た瞬間、心臓が激しく打った。
手足が震え、全身から血の気がサァと引いていくのが分かる。
この村では赤い着物は捨て人に渡す餞別を意味する。
サキの母親も、その前に捨てられた村人達も皆赤い着物を身に着けて村から捨てられた。
つまりサキもまた村から捨てられることになったのだ。
恐る恐る村長を見る。
しかし村長が向ける目は人に対するものではなかった。
サキは木登りが得意だった。
しかしここまで楽しくない木登りは生まれて初めてだ。
ずぶずぶに濡れた体でなんとか太い枝にたどり着く。
ここから落ちれば簡単に死ぬことができるだろう。
徐々に呼吸が荒くなり、鼓動が耳の傍にまで聞こえてくるかと思うほど激しく打つ。
手足が震え、意味も無く叫び散らしたい衝動に駆られる。
喉に何か詰められたような苦しさと、胃そのものがせり上がってくるような吐き気が襲ってくる。
目の前の景色が歪み、回り、自分自身までそのいびつな世界に飲み込まれてしまったような錯覚が波のようにやってくる。
死にたくないという思いと地獄のような苦しみを味わいたくないという思い溢れてくる。
しかし、それ以上に両親に会いたいという思いが体の内側、臓器の更に奥から際限なく溢れてきた。
「……おとうさん、おかあさん、あたしも今からそっちにいくの」
深呼吸をしてぎゅっと目を瞑り、その枝から飛び降りた。
体が地に引っ張られる間隔と共に、全身の体温が急激に奪われるような感覚が襲ってくる。
恐怖と僅かな後悔が涙となって宙に舞う。
しかし次の瞬間、彼女の体は暖かい何かに包まれていた。
パンというのはとてもおいしかった。
綾斗が作った料理もおいしかった。
とても暖かく、気持ちが安らぐ。
気づけばサキは夢の中で両親と笑顔で食卓を囲んでいた。
▲綾斗視点
寝ているはずの半蔵が体を起こし、静かに口を開いた。
「……サキ殿は眠ったようでござるな」
「そうだな。で、どうしたんだ?」
「少し綾斗殿の耳に入れておきたいことが二つほどござってな」
「なんだ?」
半蔵はもう一度サキを見て熟睡していることを確認すると、静かに口を開いた。
「一つは、この森に妖怪がいるのは本当のことだということでござる」
「おいおい、お前までそんなことを言うのか?」
「拙者も元々妖怪の類は信じない人間でござった。しかし拙者、この森で見たのでござるよ。魑魅魍魎の百鬼夜行を。そしてそれを率いていたのは、後頭部が異様に伸びた老爺でござった。あれはきっと、かの大妖怪、ぬらりひょんでござる」
不気味な音を立てながら風が吹き、辺りの木々を一斉に揺らす。
それによって火の粉が舞い、半蔵の凡庸な顔を照らし上げた。




