19話 狐の過去
◆九尾の狐視点
時は戻り、綾斗が江戸を発った頃。
九尾の狐は木の陰から里を覗きながら思った。
(あれが、わちきが実現させようとしていた夢の場所じゃ)
九尾の狐は心優しい妖怪である。
誰よりも花や虫といった自然のものが好きなのだ。
しかしそれ以上に人間と妖怪が好きである。
そんな彼女は、かつて妖怪と人間が共に暮らせる場所を作るという夢があった。
昔の記憶が思い出される。
(懐かしいのお)
彼女は夢を叶えるため、何千年と人に化けてその社会に溶け込み、彼らと友好な関係を作っていた。
そしてその中で彼女はまず妖怪は悪、という人間達の認識を変えようと苦心した。
だがそれは難しく、彼女は人間達からおかしな人を見るような目で見られるようになった。
(じゃが、そんな彼らの中にも理解してくれる者はおったのじゃ)
だからその中でも信頼できる人間には自らの正体を明かし、彼女の夢の実現の為に協力者となってもらうように頼んだ。
しかし彼女が妖怪だと知った瞬間、彼らは恐れた。
そして陰陽師を使って滅しようとしたのだ。
(あれは傷ついたのお。人間達が手のひらを返したように襲ってくるんじゃから)
彼女は戦うことなく逃げた。
大好きな人間を傷つけることが嫌だったためだ。
彼女は自身の火を操る妖力で、火の色を変え、大きくし、巨大な狐の幻を作って囮にした。
そのおかげで人間達の注意がそちらに向き、何度も窮地を逃れることができた。
(じゃが、まさかあんなことになるとは思わなかったのじゃ)
逃げ延びることができたのは良いものの、囮を見た人間達はその巨大な姿を九尾の狐の本当の姿だと思い込んだのだ。
実際の彼女の姿は、非常に認めがたいが、小さい幼狐である。
だがそうとは知らない人間達は九尾の狐を恐れ、噂した。
その噂は瞬く間に広がり、さらに尾鰭がついた。
(そのおかげで、今ではわちきは人間も妖怪も見境なく襲う邪悪な妖怪ということにされてしもうた)
ぬらりひょん達が自分のことを敵対視しているのはその噂を聞いたからだろう。
その誤解を解きたくても、彼女はそれまで人間社会に紛れ込み続けていたため、妖怪達との繋がりがなくなっている。
そのため誤解を解けなかった。
しかしそれでも彼女は裏切りに等しい行為をした人間達や自分のことを勝手に敵対視する妖怪達を憎むことは一切なかった。
彼らの中にも本当の理解者がいたからだ。
(安部清明。懐かしい名前じゃ)
史上最強の陰陽師にして、彼女のことを心の底から唯一理解してくれた人間だ。
彼は九尾の狐を他の陰陽師の手から守りながら、この地に逃がした。
しかし彼は食欲が凄まじかったため、貧しい逃亡生活に耐えられなかったのだろう。
峠を越えた辺りで気づけばいなくなっていた。
(それからはこの地でずっと不貞寝じゃ)
安部清明がいなくなってからは、夢を追い、実現させる気力も無くなった。
森の中で一人ひっそりと何十年も何百年も眠ったのだ。
そして時々目を覚ました時は、散歩に行き、この辺り一帯を自分の縄張りとした。
(それはぬらりひょん達も分かっているはずじゃ。なのに何故……)
視界に移る里をもう一度眺める。
彼女が最近目を覚ましたのは、縄張りのすぐ外が騒がしいからだ。
一体何事かと来てみればそこには人間と妖怪が住む夢のような里があった。
(わちきが何千年もの間苦心して作りたかった場所を誰かに作られたとなると、なんだか腹が立つのじゃ)
そこに住む住人達を羨むのと同時に、気に食わないという感情が沸いてくる。
だから少し驚かすくらいなら、してもかまわないだろう。
そして驚かした後、謝って自分も仲間に入れてもらえるように頼んだらいい。
多少揉めるかもしれないが、あの里に住めるなら誤解なんて何度でも解こう。
(丁度あの不気味な男はどこかへいったようじゃし、やるなら今しかないのお)
あの男が不思議な術を使って何をしてくるのかさっぱり分からない。
しかし彼が帰ってくるまでに住人達の誤解を解き、彼らを味方につければ、事後承諾で自分も里に住めることになるだろう。
そう判断した九尾の狐は早速住人達を驚かせるために行動を開始した。
◆里では
里では綾斗達が出かけていった後、それぞれ好きなように活動していた。
ハナと勘衛門は一本だたらと遊んでいる。
河童は芋虫をぬりかべに投げつけたことを本人に見つかり、追い掛け回されている。
ウメとチュウキチ、半蔵は先日村人達に使った分の薬を補充するために、キチの家で彼の手伝いをしていた。
そして一反木綿はというと、綾斗の家で彼らの布団を庭に干していた。
「今日もいい天気ねえ」
空は青く、白く柔らかそうな雲がところどころに浮かんでおり、そよ風が草花を揺らしている。
そんな中、ふと視線を下げると、そこにはハチが寝転んでいた。
「あらあらぁ、気持ちよさそうねえ。あたしも少し休憩しようかしらあ」
一反木綿は家から紐を持ってきて、影がある場所に結び、彼にとっての即席のハンモックを作った。
そしてその紐に自身の体を吊るす。
端から見たら、洗濯前の派手なタオルが掛けられているように見える。
「あぁ、風が気持ちいいわぁ」
これなら風呂に入ってから体を乾かすついでにこうした方が良かったかもしれない。
そんなことを思いながら一反木綿は目を閉じる。
すると突然、ザア! という草花が勢い良く擦れる音と共に、彼の体にぶつかるような強風が勢いよく吹いた。
「ぎゃあああああ!」
幸いにして彼が吹き飛ばされることは無かったものの、彼の体は紐を中心に何度も回った。
風が収まった後、一反木綿は目を回しながらも体を起こそうとする。
しかし起こせない。
「あらぁ!? 体が絡まっているじゃない!」
手は絡まっていないため、なんとか解こうと試みる。
しかし複雑に絡み合っており、なかなか解けない。
「こうなったら誰か手伝ってもらうしかないわねえ。ハチちゃん、誰か呼んできて……って、あれえ? いないわねえ」
先ほどまで近くで寝転んでいたはずのハチはそこにはいなかった。




