18話 倉之助
綾斗が口を開く。
「何か用か?」
すると一人の侍が口を開いた。
「倉之助という商人が呼んでいる。今すぐ来てもらおう」
「おいおい、関わらないでおこうって決めたばっかだぞ……」
綾斗は思わずため息を吐く。
「行かねえよ。厄介ごとの臭いがするからな」
「そうはいかん」
侍が手を刀の鍔にかけ、僅かに刀身を空気にさらした。
それを見て思わず綾斗は唾を飲み込む。
するとぬらりひょんが口を開いた。
「そう言っているところ悪いが、ワシらもちと事情があってのう。倉之助とかいう奴の下には行きとうないんじゃ」
ぬらりひょんが喋っているのを横目で見ながら、綾斗はこっそりと安堵の息を吐く。
(ひょん爺が言ってくれたら大丈夫だろ)
そう考えて綾斗は肩の力を抜いたが、侍の返答は驚くものだった。
「悪いがそちらの事情は関係ない。いくらあなたの頼みでも来てもらう」
「なに!?」
予想外の結果に思わず声を出して驚く綾斗。
するとそれまで静観していたダイキチが声を張り上げた。
「俺達は行かねえっつってんだろ! いい加減にしやがれ!」
そういってダイキチは尾の刃を侍の間に振り下ろす。
しかしその瞬間、一人の侍の刀が抜かれ、サキの首に添えられる。
綾斗達はそれ以上動くことができなくなった。
その代わり、綾斗は射殺すほどの目で侍を睨みつける。
「……ちっ」
思わず舌打ちをする綾斗。
そして口を開いた。
「わかったよ。だが行くのは俺とひょん爺だけだ。それでいいな」
「いや、他の二人も一応店の前まで来てもらう。何かあってまた探すことになったら面倒だからな」
「厄介な……。わかった、そうするよ」
諦めて相手の言うことを聞くことにした綾斗達は侍達に囲まれたまま倉之助の元に行く。
すると大きな屋敷のような建物が見えてきた。
その建物には至る所に金で作られた模様がある。
金人商店と書かれた看板も目立つ金だった。
「趣味悪ぃな」
思わず呟く綾斗。
彼は侍に向かって口を開く。
「この二人はここで待たせる。それでいいだろ?」
「ああ、構わない」
そうしてダイキチとサキを置いて綾斗とぬらりひょんは店に入った。
侍達に囲まれたまま店の奥に行き、やがて部屋の前に立つ。
侍が障子の外から声をかけると、中から返事があった。
「なんだ」
「例のバテレンを連れてきた」
「入れ」
侍が障子を開け、綾斗達を中に入れる。
侍は中に入らないようだ。
部屋の中に目を向けると金で彩られた皿や壺、掛け軸などがある。
そしてその部屋の中央には五平よりさらに一回り体の大きい、カエル顔の男がキセルを吹いて座っていた。
男は綾斗を見て眉をあげる。
「ほう、聞いてはいたが、本当に奇妙な格好をしている。普通のバテレンではないようだな」
その言葉を聞いて綾斗は僅かに目を見開いた。
すると部屋の外から声がかけられる。
「お茶をお持ちしました」
とても澄んだ声で、耳に滑らかに入ってきた。
綾斗は自然と目の前の醜い男から目を逸らし、そちらに顔を向ける。
入れ、という耳障りな声がした。
外にいる女が障子を開ける。
そこには戸を開けて顔を伏せている一人の女がいた。
淡い桜色の着物を着ており、まるで白い雪の中から出てきたような肌の色をしている。
纏められた髪はカラスの羽のように黒い。
女が顔を上げる。
そして目に覇気は無く、どこか散り行く花のような儚げな印象を受ける。
年は20後半だろうか。
もし彼女が快活だったなら、さらに美しさを放っていただろう。
しかしそれでも誰もが目を引く美人であるのは間違いない。
恋愛に興味が無い綾斗もまた目を引かれた。
だが彼女の顔を見て綾斗は疑問を抱く。
(どこかで見たことあるような……)
綾斗はその女が自分達の前にお茶を置いて部屋を出て行った後も目で追いながら、考えていた。
(もう少しで思い出しそうなんだが……)
するとカエル顔の男が口を弧の形に歪ませながら口を開いた。
「あの女はツバキといってな。我が商店自慢の看板娘よ」
それに対してぬらりひょんが口を開く。
「ほう。確かに美しいお嬢さんじゃったわい。その看板娘に給仕をさせるとは、ワシらは随分と持て成されているようじゃの」
「まあな。そこのバテレンが店に教えた料理を食べたら誰でも虜になるのは知っているからな」
そういって男は笑みを深める。
すると彼は思い出したように再び口を開いた。
「おっと、そういや自己紹介がまだだったな。俺は倉之助だ」
それに続いて綾斗とぬらりひょんも自己紹介をした。
そして倉之助が口を開く。
「それで単刀直入に言うんだが、綾斗、お前さんここで働かねえか? 給料は弾むぜ?」
そういって倉之助は傍にあった箱の中身を綾斗に見せる。
その中には重ねられた小判がぎっしりと詰まっており、家一軒は建つ程の金額が入っていた。
「この量を毎月だしてやろう。その代わり、お前さんの知っている料理を全て教えてもらう。どうだ? 悪くねえだろ?」
歯を見せて笑う倉之助。
しかし彼と極力関わりたくない綾斗はそれに対して即答した。
「断る」
「へえ、そうか。これだけの金があっても靡かねえか。なら料理の知識だけで良い。腕が良いらしいお前さんを逃すのはちと残念だが、それだけでも十分だ。代金は……そうだな、ツバキでどうだ? お前さんが先ほど穴が開くほど見ていたから気に入ったんだろう?」
ニヤニヤと下品に笑う倉之助。
だが綾斗は再び即答した。
「断る。人を商品にするゲス野郎に売る物なんて無いからな」
倉之助から笑顔が消える。
そして低い、威圧するような声で言葉を発した。
「それでいいんだな? 俺は綱吉様と親しいんだ。お前を悪人に仕立て上げ、綱吉様の耳に入れることができる。そうでなくてもこの江戸の街で生きていけないようにするのはいくらでもできるんだぞ? 今ならまだ許してやる。大人しく教えろ」
そういって倉之助は灰落としにキセルを叩きつける。
しかし綾斗はそれに反して三度即答した。
「断るって言ってるだろ。何度言わせたら分かるんだ」
「そうか……。なら、その判断を後悔するなよ」
倉之助は先程までの欲にまみれたものとは違う、暗い笑みを浮かべた。
するとぬらりひょんが口を開く。
「倉之助、そこまでにするんじゃ。いくらなんでもやりすぎじゃよ」
ぬらりひょんが諭すようにそう言うも、倉之助は意に介さない。
「いくらぬらりひょんの言葉でもそれは聞けねえな。俺は気に入らねえ奴がいれば、どんな手を使ってでも潰すことにしてるんだ」
「お主、まさに悪人じゃのう」
「はっ、何とでも言いやがれ。俺は俺のやりたいようにやる。それだけだ」
綾斗とぬらりひょんが倉之助の店から出る。
そして馬車に乗り、すぐさま江戸を離れた。
ぬらりひょんが口を開く。
「綾斗、本当にあれでよかったのかのう? 代金は受け取らずとも、料理を教えるだけで穏便に済ます手はあったはずじゃが」
「あれでいい。さっきも言ったがあんなゲス野郎には何一つ渡す物なんか無いからな。それに俺達は江戸に住んでいないし、行方も簡単に眩ませられる。そこまで江戸に執着する必要は無いさ」
綾斗は飄々とそういった。
そして別の話題を口にする。
「そういや、あのゲス野郎にはひょん爺の妖力は効いていたのか? 普通親しい者の言葉なら多少なりとも耳を貸すもんだと思うんだが」
ぬらりひょんは腕を組んで考える。
「そうじゃのう。正直に言えば少しだけ効いておった。じゃがそれでも顔見知りの友達程度といったところかの。その証拠にワシのことをひょん爺とは呼んでおらんかったろ?」
「そういやそうだな。でも妖力が効かない人間なんているのか?」
「もちろんじゃ。妖力は心の中に眠る思いの強さによって効きづらさが変わるんじゃよ。思いは力じゃからな。その思いの丈によっては妖力を完全に弾くことができるんじゃ」
「へえ、そうなのか。厄介な奴もいるんだな」
するとぬらりひょんは感心している綾斗に呆れた目線を向ける。
「何を言っておるか。そういう綾斗もそうじゃったぞい。妖力が効いた手ごたえがないから、毎回隙をみて妖力を使ったんじゃよ」
「そうだったのか? 全然知らなかった」
「言っておらんかったからのう」
そうして話している間、里は彼らが思いもよらぬ窮地に陥っていた。
◆倉之助視点
綾斗達が帰った日の江戸の夜は厚い雲が空を覆っていた。
そんな中、金人商店の奥の一室、倉之助の部屋には明かりが灯っていた。
中には倉之助の他に六人の侍がいる。
「で、その様子だとまた捨て人の回収に失敗したみたいだな」
一人の侍が口を開く。
「ああ、確かに失敗した。だがそれは邪魔されていたんだ」
「邪魔だと? どういうことだ」
侍達は倉之助に妖怪を連れたバテレンが、捨て人達を匿っていたことや、村に来て村人たちを助けたことを事細かに説明した。
それを聞いた倉之助は顔を顰める。
「妖怪を連れたバテレンはあいつしかいねえじゃねえか。まさかあんなところにいたとは……」
倉之助の脳裏に昼間出会った綾斗の姿が浮かんだ。
そして独り言を呟くように口を開く。
「てことは捨て人の回収現場を目撃されないように俺達が流した人食い妖怪の噂が、本当になったとでも言うのか?」
するとそれを聞いた一人の侍が答えた。
「恐らくな。黄金の獣といい巨大イタチといい、あそこには本当に妖怪が住んでいる」
「……ちっ。綾斗を潰したいが、妖怪相手じゃ分が悪いな」
そういって倉之助は苛々しながらキセルを灰落としに叩きつける。
「まあ、いい。それより問題は捨て人だ。このままじゃあ金の見入りが悪くなる。五平に捨て人の回収場所を変えるように言ってこい。そこで再び捨て人を回収させるんだ」
「だが今の村はバテレンのせいで困窮していない。食い扶持を減らすという理由で捨てさせることはできないぞ」
「なら年貢が上がったと言えばいいだろ。津藩の町奉行は既に買収しているんだ。そのくらいは見逃すはずだ」
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