17話 江戸へ
翌日から里の住人達は必死になって塩作りをはじめた。
このままでは綾斗の美味しい料理を食べられなくなる、という恐怖に背中を押され、それはもう必死になった。
疲れを知らない妖怪達に限っては夜通し働く。
そして二日後、彼らは大量の塩を手に入れた。
袋に詰められた塩を妖怪達が馬車に運ぶのを見ながら、綾斗とぬらりひょんはそれをどこに売るかを相談している。
「大阪はどうだ? 天下の台所って言われるくらいだから商売が盛んなんだろ?」
するとぬらりひょんは腕を組んで考え込んだ。
そして口を開く。
「……そうじゃのう。たしかにあそこなら売れるかもしれんが、どちらかというと江戸の方が売れるじゃろうなあ」
「そうなのか? 江戸はどちらかと商売とかあまりやってなさそうなイメージなんだが」
「たしかに三年前まではそうでもなかったぞい。じゃが三年前に江戸で振袖火事があってのう。それ以来江戸では外食が盛んなんじゃよ」
「振袖火事……? どっかで聞いたことあるような……」
首をかしげる綾斗。
「思い出した。明暦の大火のことか。江戸の大半を焼いた大火事だって聞いたことがあるな。ひょん爺の言う通り外食が盛んなら、塩が売れるかもしれない」
そうして彼らは、手伝うの! と言ったサキも連れて馬車に乗り込んだ。
ダイキチが声をかける。
「じゃあ行くぜ!」
その声と同時に馬車が動き出し、江戸に向かって飛んだ。
しばらくの間馬車に揺られていると、ダイキチの声がした。
「着いたぜ!」
綾斗達は馬車を降りる。
するとサキは目を見開いた。
「わあ! 人がたくさんいるの! 皆綺麗な着物を着ているなの!」
彼らは一本の長く太い通りの上にいた。
両脇には長屋がいくつも縦に並んでおり、商店が連なっている。
そしてそんな通りを埋め尽くさんばかりの人が行きかっていた。
綾斗もまた驚く。
「よくこんなところに降りれたな……」
「降りるときに皆が避けてくれたからな!」
「そうか……って、ダイキチ! こんな街中に降りて大丈夫なのか!? 騒ぎになるぞ!」
「大丈夫だぜ! 周りを見てみな!」
そう言われて綾斗はもう一度周りを見渡す。
しかしダイキチを目にしても驚く人は一人もいない。
そのことに綾斗が困惑していると、ぬらりひょんが朗らかに笑った。
「ほっほっほ。心配無用じゃわい。ワシが全力で妖力を使えば、ワシを中心に一定範囲内の不自然は全て自然なものとして認識されるからのう。もっといえば、範囲内から出てもワシらのことを忘れるようになるから、騒ぎにならんぞい」
「そうなのか……」
綾斗はぬらりひょんの言葉を聞いて安心した。
ぬらりひょんが口を開く。
「さて、それじゃあ塩を売るとするかの。付いて来るんじゃ。まずはワシの知り合いがやっている店に行くとするぞい」
「分かった」
ぬらりひょんが先導し、しばらく歩くと一軒の店に着いた。
そこは一膳飯屋と呼ばれる、現代で言う大衆食堂のような場所である。
ぬらりひょんがそこで働いている一人の女性に声をかけた。
「おお、おかみさん。久しぶりじゃのお」
「あら、ひょん爺じゃない。久しぶりね。どうしたの?」
今は時間の都合上忙しくないのか、その女性は手を止めてぬらりひょんとの話に興じている。
すると女性がぬらりひょんの後ろにいる綾斗とサキに気がついた。
「あら、この子達はひょん爺のお孫さんかい?」
「ほっほっほ。そんなところじゃの。それより、おかみさんやい。塩はいらんかね? 安く売るぞい」
朗らかに笑いながら話しを逸らすぬらりひょん。
するとその話しに女性は食いついた。
「塩かい? 丁度切れそうだったんだよ。たくさん買わしてもらうよ」
「おお、そうかそうか。ありがたいわい」
綾斗とサキはすぐさま馬車から塩が入った袋を持ってきて女性に渡す。
その時、綾斗はふと思いついたことを口にした。
「おかみさん、お礼に料理を一つ教えるよ。それでもしそれを気に入ってくれたなら、少しでいいから塩を追加で買ってくれねえか?」
「へえ、なんだか自身がありそうな顔をしているね。いいよ、美味しかったら追加で買おうじゃないか」
女性は面白そうなものを見るような目で綾斗を見ながらそういった。
綾斗はそれに答えるように笑みを浮かべる。
「なら調理場を少し貸してくれ。実際に作って教えるよ」
「いいよ。今は見ての通り閑古鳥が鳴いてるから自由に使いな」
「ありがとさん」
綾斗は調理場に向かい、女性に説明しながら料理を始める。
その際、結果が分かりきっているからか、ぬらりひょんとサキは馬車から塩の袋を取り出していた。
やがて料理が完成に近づくにつれて、店先までとても美味しそうな匂いが広がってゆく。
ぬらりひょんとサキは既に里でご飯を食べてきたにも関わらずお腹を鳴らした。
そうでないおかみさんと呼ばれる女性はしきりに唾液を飲み込んでいる。
そして料理が完成した。
「ほら、出来上がりだ。食べてくれ」
「それじゃあ、いただくよ」
女性がひとくち口にすると、続いて二口、三口と箸を止めることなく動かし続ける。
そして僅か数分で一皿を食べきってしまった。
「なんっだい! これは! 物凄く美味しいじゃないか!」
「そう言ってくれて嬉しいよ。これなら簡単にできるし、店でも出せるだろ?」
「ああ、そうだね。これなら……」
すると彼らに複数の声がかかった。
「おい、おかみさん。その料理を一つくれ」
「こっちにも一つ頼む」
「俺のとこにも!」
いつの間にか店には客が押し寄せている。
どうやら皆、綾斗が作っていた料理の匂いに釣られたらしい。
彼らは一様に綾斗が作った料理を注文する。
女性は驚きながらも口を開いた。
「わ、わかったよ! すぐに作るから待ってな!」
そう言ってから彼女は綾斗に顔を向ける。
「あんた、ありがとね。おかげで客がたくさん来たよ。塩は追加でさっきと同じ量を買うよ」
「それは助かるよ。がんばってくれ」
「もちろんさ!」
それからも綾斗達は様々な店を回ったが、綾斗達の塩はどの店でもよく売れた。
ぬらりひょんが売り込んだから、という理由もあるが、それだけではない。
綾斗が塩を買ってくれた礼として料理のレシピを一つ、実践しながら教え、それが好評だったからだ。
その噂は瞬く間に広がり、おかげで塩が飛ぶように売れた。
だがその影で侍達が綾斗を見て話していることに気がつかなかった。
綾斗が口を開く。
「完売したな! これで調味料をありったけ買えるぞ!」
その言葉にぬらりひょん達は歓喜の声を上げた。
綾斗は次々と店を回り、調味料を買いあさる。
「味噌に煎り酒にお酢に……」
するとサキがぬらりひょんに声をかけた。
「ねえ、ひょん爺ちゃん。あそこに人が集まっているけど、なにかあったなの?」
彼女が指を示す方向に全員が顔を向ける。
そちらには彼女の言うとおり人だかりがあった。
ぬらりひょんが口を開く。
「ふーむ、なんじゃろうな。ここからじゃ何があったのか分からんのう」
すると店の主人が言葉を発した。
「あんた達は今来たばっかだから知らねえだろうが、あそこでさっきまで綱吉様が暴れてたんだよ。次期将軍候補様だってのに、おっかないねえ」
その言葉に綾斗が反応し、呟くように声を出す。
「……綱吉? 綱吉ってあの綱吉か?」
「おいおい、兄ちゃん、今の呟きは聞かねえことにしてやるからよ、大名様を呼び捨てにしねえほうがいいぞ。御侍様に聞かれちゃあその場で斬り捨てられるかもしんねえからな」
低く、力の入った声でそう言う店主に綾斗は無言で首を縦に振った。
ぬらりひょんが口を開く。
「じゃが何で将軍候補ともあろう者が暴れたんじゃ? 普通暴れるのはその部下じゃと思うのじゃが」
「綱吉様は正義感が強いお方でな。それでいて自分の力で解決しようとするんだ。だから何かあればいつも悪党と思い込んでいる相手を斬るのさ。今回は優秀な部下達が諌めて暴力を振るうにとどめたが、次はどうなることか」
そういって肩をすくめる店主。
そんな彼に今度は綾斗が質問した。
「悪党と思い込んでいる相手、というのはどういう意味だ?」
「そのままの意味さ。綱吉様は金人商店の倉之助っていう商人と繋がっているんだが、この商人が欲深くて悪どいんだ。綱吉様がいるときだけいい顔をして、裏では金の力に任せて好き勝手やっている。そして倉之助が自身の気に入らない奴を悪人に仕立て上げ、綱吉様にそいつを殺してくれと頼んでるんだ」
商人に話を聞けば、倉之助は明暦の大火で全焼した人達を次々と助けたらしい。
それを知っている綱吉は倉之助のことを悪人ではないと思い、さらに本人と話したことによって善人だと思い込むようになった。
しかし現実では倉之助に助けられた人々は借金地獄に陥っており、法外な利子により倉之助の奴隷同然になっている。
他にも倉之助には黒い噂が数々あり、それら全てを表に出さないように巧妙に隠しているのだとか。
醤油を買い、店を出ると綾斗が口を開いた。
「ま、そんな商人には関わらなければいいだろ。俺達はここには滅多にこないんだから関係ないさ」
「そうじゃな」
そんな話をしながら彼らは買った荷物を馬車に詰め込む。
そして次の店に向かおうと足を向けると、ダイキチを除いた三人が突如複数の侍に囲まれた。