1話 少女との出会い
●プロローグ1
食い扶持を減らすために人を捨てることがある。
いわゆる捨て人である。
その捨て人達が老若男女問わず集められ、牢獄の中に入れられていた。
そこで彼らはろくな食料も与えられず、人間にしているとは思えない扱いを受けている。
時折侍達に連れ出される者もいるが、帰ってきた者はいない。
もしここから出られたとしても一銭も持たない彼らに未来はない。
ここには絶望しかないのである。
●プロローグ2
妖怪達が列を成して楽しく歌い、各々踊りながら練り歩いている。
皆笑顔であることは変わりないのだが、いかんせん彼らの姿はおぞましい。
そのためそれを見た者は恐怖を感じ、彼らに見つからないように息を潜める。
●プロローグ3
狐は夢を見た。
かつて実現させようとした光景を。
千人の陰陽師が纏めてかかっても、なお勝てない最強の陰陽師、安部清明との思い出を。
逃げ惑い、この地にやって来たいきさつを。
●綾斗視点
激しい雨が降っている。
昼にもかかわらず鬱蒼と生い茂っている森の中は暗い。
そんな中、綾斗は大木の下で雨宿りしながら、黄緑の薄手のパーカーと紺のジーパンに付いた雨水をタオルで拭いていた。
そして一通り拭き終わると、今度は浅く斬られた右頬を消毒する。
すると彼の視界の中で枝が不自然に揺れた。
そちらに目を向けると、三本先の木の上に少女がいることに気がついた。
赤い着物を着た十歳くらいのおカッパの少女だ。
少女は今にも落ちそうなほど体を前に傾けている。
綾斗は半ば怒鳴るように声をかけた。
「おい、何やってんだ! 危ないぞ!」
しかし雨風のせいで彼の声は少女の耳に届いていない。
そして彼の姿にも気づいていない。
「くそっ!」
リュックを放り出して走る。
「聞こえてんのか! そこから降りろ!」
声を上げながら走る綾斗。
すると少女の体が着物の裾をたなびかせながら飛び降りた。
頭から落下する。
「えええええーーーーーーーーーーーーーーぇ!」
綾斗は驚きのあまり、辺りの雨音をかき消すほどの大声を出した。
咄嗟に飛び込んで両手を伸ばす。
「うおおおおーーーーーーーーーーーーーーぉ!」
全身全霊を込めたそのジャンプはしっかりと細い体を抱きとめる。
そしてそのまま彼らは泥溜りの中に突っ込んだ。
心臓が激しくなり、腕がびりびりしている。
綾斗は上半身を起こし、腕の中に抱えた少女の肩を掴み強く揺する。
「おい、生きてるか!? おい!」
「う、ううん……」
二度、三度揺すると、少女が顔を顰めながら小さな呻き声をあげた。
どうやら生きているらしい。
「良かった……」
それにホッと安堵した綾斗。
しかし次の瞬間、少女が突然ガバリ! と顔を上げた。
「いってぇ!?」
「きゃあ!」
ものの見事に顎と頭を激突させた二人。
彼らはあまりの痛さにのたうち回る。
どうやら相当強くぶつけたらしい。
すると少女は頭を抑えながらハッとした。
「あれ、痛い? なんであたし死んでないの!?」
「そりゃあ、俺が助けたからな」
「……そうなの」
綾斗が顎をしきりになでながらそう言うと、少女は大きく息を吐いて僅かに笑顔になった。
子供らしいクリクリとした大きな目に鼻筋が通った、将来は美人になるであろう顔立ちをしている。
しかしその表情の中には幾分か残念そうな感情が混じっていることを綾斗は見逃さなかった。
疑問を口にしようとする綾斗。
しかし少女はそこでようやく知らない人間がいることに気づいたようだ。
大声をあげる。
「あなた誰なの!? いつの間にそこにいたなの!?」
少女は恐怖をその顔に浮かべ、一瞬で木の幹に隠れる。
そんな彼女に対して綾斗はどのような言葉をかけたらいいか考えながら口を開いた。
「俺は……」
「いや! こっちを見ないでなの! 目が怖いの!」
「なにぃ!? 人が気にしてることを言うな!」
「知らないの! 怖いものは怖いの!」
「こんの……! こうしてやる!」
少女の下に駆け寄り、その頬を両手で軽く引っ張る綾斗。
不器用ながらも彼なりに少女の恐怖を和らげようとしているのだ。
「やめへえ! (やめてえ!)ほっへがのひるの! (ほっぺがのびるの!)」
「ふん、命は助かったとはいえ、すり傷だらけじゃねえか。馬鹿げたことをしやがって。謝ったら許してやる!」
「ごへんはさいなの(ごめんなさいなの)……」
「ええ? 聞こえねえなあ!」
「ふええ!? めがこはいの!(目が怖いの!)」
「はあ!?」
二人はそうしてしばらくの間話していると、やがて息を切らせながら、どちらからともなくその場に座った。
今度は綾人が口を開く。
「で、なんであんなことをしたんだ?」
少女はすんなりとその答えを口にした。
「もうこれ以上生きていけないからなの」
「ん? どういうことだ?」
「あたしは捨てられたなの。年貢を納めるのが厳しくて、くいぶちを減らすために村から追い出されたなの」
少女は俯いて鼻をすする。
「食べ物がないからこれから先、生きていけないの。それにこの森に十日間いたら人喰い妖怪に食べられてしまうの。でも捨て人はこの森から出たらだめなの。飢えるのも妖怪に食べられるのも嫌だから、どうせ苦しむならその前に……」
雨風が一段と強く吹き荒れる。
「そんなことで命を捨てんじゃねえよ!」
「ひぅ!?」
綾斗が育った国は生きることを何よりも重要視していた。
それは超少子高齢化社会となったことで国民が激減していったからである。
それに加えて大きな戦争があったため、人口はさらに激減し、綾人の親戚もそれで死んだ。
そのためこれ以上人口を減らすことを防ぐために、そこでは医療はもちろん、アンチエイジングの研究も盛んに行われ、人生百五十年時代が実現していた。
さらに余計な死を生み出さないために戦争をしないと世界に対して宣言している。
つまり永世中立国となっているのだ。
それほど生きることがそこでは重要視されている。
そんな中を綾斗は生きてきたのだ。
彼の死に対しての認識は少女よりも遥かに敏感なのである。
雷が近くに落ちた。
「生きるってのはな、違いがあれど大変なものなんだよ! だけどそれを乗り越えて皆生きてんだよ! 妖怪がなんだ! 飢えがなんだ! もっと生き足掻けよ!」
少女は綾斗の声に驚き、気圧されながらも言い返す。
「あ、あたしだって死にたくないの! もっと生きていたいの! でも生きていけないの……。妖怪と戦うなんて出来ないし、食べ物もないの……。それに捨て人はこの森から出たらいけない決まりなの……」
「なら誰かを頼れ。自分一人で抱え込もうとすんな。人間は一人でなんでもできるようになってねえんだ」
「でも村から捨てられたから頼れる人なんて……」
「なら探すんだよ。諦めずに歩け。踏み出さないと始まらねえ。ま、運がいいことに今は俺がここにいるけどな」
すると少女の腹が鳴った。
「腹減ってんのか。ほら、着いてこい」
そう言って綾斗は立ち上がり、先程リュックを放り出した場所まで少女を案内する。
そして大木の下に行き雨宿りしながら、リュックからパンを取り出した。
それを彼女の前にさしだす。
「俺が持ってる最後の飯だ。ほら」
「ありがとうなの……」
パンを恐る恐る受け取った少女は礼を言った。
しかしすぐには口に運ばずに指を沈めたり匂いをかいだりしている。
その様子を見た綾斗は、彼女がパンを知らないのだと気づいた。
「それはパンっていう飯だ。少しもらうぞ」
そういって彼は少女の手の中にあるパンを少しちぎって口に運ぶ。
その様子を見た少女は彼と同じようにパンをちぎって恐る恐る口に入れた。
その瞬間、彼女の目が大きく開かれる。
「これはなんなの……すごい甘いの!」
少女は大きく目を見開いて驚いた。
そして次々にパンを口にする。
「そりゃあイチゴジャムが入って……って、聞いてないし。そんなに急いで食べるとのどに詰まるぞ」
「ん!? んんんんん!」
「だから言ったのに……。ほら、お茶だ。落ち着いて飲めよー」
「んぐっんぐっ……ぷはぁ! このお茶、すごくおいしいの!」
「普通の麦茶だよ……って、やっぱり聞いてないし」
少女はリスのように頬を膨らませた。
見る見るうちにパンがなくなっていく。
(よっぽど腹が減ってたんだな)
泥で汚れた頬の傷を消毒しながら少女の様子を見てそう思う綾斗。
やがて彼女は瞬く間にジャムパンを完食し、花が咲いたような明るい笑顔を浮かべた。
「ごちそうさまなの!」
「はいはい、どういたしまして。それじゃあ次は腕の傷を見せてみろ」
綾斗は少女の手足にできたたくさんの擦り傷を消毒する。
「なんなのこれ!? 痛いの!」
「我慢しろ。すぐに終わる」
一通り消毒が終わると、雨は小降りになっていた。
綾斗は数時間前から抱いていた疑問を少女にする。
「ところでちょっと聞きたいんだけどさ、今って何年なんだ?」
「えっと、今は万治三年なの!」
「まんじさんねん……」
それを聞いた瞬間、綾斗の目から光が失われた。
そしておもむろに左手首に着けている緑のリストバンドに向かって口を開く。
「検索、万治三年は西暦何年?」
すると綾斗の質問に答えるようにリストバンドから無機質な声が発せられた。
『ネットに接続できません。代わりに万科辞典を検索。該当あり。西暦1660年、江戸時代初期です』
これはスマートバンドと言って、綾斗の国で五十年ほど前まで使われていたスマートフォンがさらに進化したものだ。
ネットや電話機能はもちろん、今のように高性能AIによる会話機能もついている。
そして万科辞典とは百科事典よりもはるかにたくさんの情報が詰め込まれている電子辞典だ。
綾斗が非常時のためにインストールしておいたアプリである。
そのスマートバンドの答えを聞いて、綾斗は魂が抜けたように力なくつぶやいた。
「せんろっぴゃくろくじゅうねん……」
「ん? なんだか今変な声がしたなの!」
スマートバンドの声に反応して辺りをキョロキョロ見回す少女だが、綾斗にとってはそれどころではない。
彼は頭をかかえてうずくまった。
「やっぱりここは現代じゃなかったのか……」
「なんだかよく分からないけど元気出すなの! 生きてればいいことあるの!」
「……それはジャムパンのことを言ってんのか? さっきまで死のうとしていた子供に言われたくねえ」
少女になだめられるも、つい大人げなくそう言い返す綾斗。
しかしその言葉がきっかけとなったのか彼の気力が戻った。
「ま、いつまでもくよくよしてる場合じゃないのもたしかだな。よし、雨も上がったし、とりあえず川に行くか!」
「うん!」
そんなことを言いながら彼らは川へ向かって歩き出した。
●???視点
森の中、苛立たしげに話す三人の侍がいた。
「おい、あの百姓が言ってた赤い着物の少女はこの辺りにいるはずだよな」
「ああ、今年八つになる童女だ。足の速さから考えてこの辺りにいるに違いない」
「くそっ。見つけたら終わりの簡単な仕事だってのに、なんでこうも見つからないんだ。このままでは金がもらえないではないか」
侍は刀の鍔を何度も鳴らす。
そうして目的の人物がいないと分かると、鋭く辺りを見回しながら足を動かした。
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