歓迎会
稽古後の入浴と夕食を終えたサトルが自室に籠ってからしばらく経過した頃、メルの前にユーリがたずねてきた。時刻は九時を過ぎており、それは土井垣家においては「使用人の勤務時間が終った」ことを意味している。
ユーリはサトルに就業時間の挨拶を済ませると、メルの手を引いて使用人宿舎の食堂へと向かう。少しイライラとしているようで、メルの腕を握るユーリの手は熱かった。
「初日なので大目に見ますが、九時を過ぎたら用がない場合には即座に食堂に来てもらわないと困ります」
「申し訳ありません」
「アナタひとりが食事を放棄するのならあらかじめ伝えてもらえば構わないですが、きょうのように特別な日にやられると困るんですよ」
「何かあったのですか?」
「何かではないでしょう。アナタの歓迎会ではないですか」
自分のために歓迎会を開くと聞いて、メルはようやくユーリの怒りを理解した。知らなかったとはいえ、催しの準備をしてもらいながら主役が遅れたのでは幹事を怒らせるのも当然だろう。
潜入任務のための偽りとはいえ、久々の使用人としての立ち振舞いに時間を忘れていた落ち度は彼女自信の失態なので、メルは申し訳なさげに頭を垂れた。
「ほら、お入りなさい」
ユーリに従って会釈をしながら食堂に入ると、十人の使用人たちが彼女を出迎えた。
後の自己紹介によれば
厨房担当、古株の小西(初老の男性)
厨房見習い、助板の民安(若い女性)
厨房見習い、賄い担当の魚住(若い女性)
野良担当、遠藤(中年の男性)
野良担当、川澄(若い男性)
洗濯担当、大洗(若い女性)
掃除担当、鈴木(若い女性)
掃除担当、田中(若い女性)
ナツコ専属、池田(若い男性)
以上の十人にタケシ専属兼使用人統括のハウスキーパーであるユーリを加えた十一人が土井垣家の使用人だと言う。
「女鬼島メルです。よろしくお願いします」
使用人たちに自己紹介を済ませたメルは、食事を手にとって使用人たちに探りを入れることにした。全員と顔合わせをしやすいようにと計らった立食形式の歓迎会がメルにも都合がいい。
最初にたずねたのは古株の小西と彼を中心とした厨房担当の面々。小西は土井垣家の使用人としてはユーリよりも歴の長い古株で、聞けば父親の代から使えているという。
和食一本だった父への反抗心から洋食中心の修行をしていた彼が土井垣家に来たのは三十年ほど前で、引退を考えていた父親の跡継ぎとして見いだされてそのまま腰を落としたと言う。
もうすぐ還暦が近い彼もそろそろ引退を考えているそうで、順調に育った弟子の民安と魚住を信頼しているのが初対面のメルにも感じ取れた。
特に民安とのセクハラ気味なやり取りに、メルは「もしかしてふたりは付き合っているのか?」と冗談めかしに聞いてみる。すると彼が答えるよりも先に「小西には元使用人の奥方がいる」と魚住が耳打ちしたので、メルは下世話な質問を恥じて顔を赤らめた。
次に様子を伺ったのは野良担当の遠藤と川澄、そしてナツコ専属の池田の男性トリオ。これはメルの方からアプローチしたのではなく、見るからに女好きな池田が横から合流した形である。
四十歳手前の遠藤と十八歳と最年少の川澄は池田に付き合っているという風体で口数が少なく、主に池田があれこれとメルのプロフィールをたずねてきた。
皆川の元で働いているため学校には通っておらず、その収入で都内のアパートを借りて独り暮らしをしていると、メルは当たり障りのない経歴を彼らに明かした。
池田は独身ではあるが宿舎ではなくアパートに住んでいるそうで、メルの経歴を聞いて「今の仕事を辞めてウチに永久就職しないか?」と粉をかけてきたのだが、単なるジョークだとメルは軽く「お世辞が上手ですね」と流した。
最後に様子を伺ったのは大洗、鈴木、田中の女性三人のグループ。彼女たちは掃除と洗濯担当する、土井垣家の衛生を司る存在である。
三人とも二十歳前後の若い女性と言うことや、池田とのやり取りを見られていたこともあり年齢相応のかしましい話題が多く飛び交った。
好きな異性がいるのか、あるいは恋人がいるのかと言う異性交遊の話題に始まり、趣味嗜好や芸能人で言えばどのような誰が好みかなどのトレンディな話題。そして池田のアプローチを本気にしたかの話題に移った。
「さっき池田さんになにか言われたでしょう? 俺の彼女にならないかとかさ」
「ええ。ですが冗談かとばかり」
「よかった。本気にしたらダメだからね」
「もしかして使用人同士の恋愛は禁止でしたか」
「いや全然。だけど池田さんは奥様のお気に入りだから、目をつけられると面倒なのよね。智恵ちゃんのこともあったし」
「こら、その話は禁句だよ田中さん」
「大丈夫よ、もう気持ちの整理はついたし」
「その口ぶりですと、まさか例の五人に妹さんも?」
「たはは、流石に例の件は聞いているか。お察しの通り妹の智恵も今年事故死した五人のうちのひとりよ。でも変に気を使ったりしなくてもいいからね」
「わかりました。でもひとつだけ聞いてもいいですか?」
「なーに」
「事故とは具体的にはどのようなものだったのでしょう。ボクもこの家にお世話になる以上は気を付けておきたいですし」
「転落よ。サトル様の指示で道場の神棚を掃除中に、脚立から足を滑らせてしまったの。出入りの業者の人が『池田さんと知恵ちゃんの関係に嫉妬した奥様が脚立に細工をしていた』なんて言い出すものだから、当時は私にまでとばっちりがあったのよ。でもぜんぶ誤解だし、まして池田さんが悪いわけでもない。本当に不運が重なっただけのハズだから」
「ハイハイ、しんみりしないの。きょうは歓迎会なんだしそういう話は後にしなって」
「うん」
「それと女鬼島さんも例の件はあまり口にしないようにしてね。特に向こうにいる川澄くんには絶対に」
「川澄さんにも何かがあったのですね」
「彼の場合は同じ名字の川澄さんっていう片思いをしていた子がいてね。彼女が事故にあってから、彼は無口になっちゃったのよ。最初にきた頃は池田さん程じゃないけれど結構軽いヤツだったんだけれど」
「わかりました。気を付けます」
女三人揃えば姦しいとは言うが、隠そうとしてもつい漏れてしまう会話のなかにメルは使用人たちが隠す悲しみを感じとる。彼らは不幸の一言で全てを受け入れようとしているが、ならばこそ本当に不幸な事故の連続にすぎないのかを確かめたいと思ってしまう。
パーティがお開きになり、宿舎に住む女子たちは大浴場に向かった。風呂場でのメルはどこか恥ずかしそうに隅で丸まっていたため会話が弾むこともなく、これ以上の探りを入れることはなかった。