面通り④
夕方になり「そろそろ準備をするように」とメルはユーリに急かされた。彼女に声をかけられてからきっかり十分後、息子のサトルが帰宅した。
乗っている車は真新しいスポーツカーで、伊達に名家のお坊ちゃんではないようだ。
「初めまして。女鬼島と申します。きょうからしばらくの間、サトル様の身の回りのお世話をさせていただくことになりまし
た。よろしくお願いします」
「んー……そう」
早速初顔合わせの挨拶に向かったメルだったのが、サトルは彼女からの言葉を生返事で返した。自分に興味を一切示さない彼の態度はこの家特有のものかもしれないが、メルには少し不可解だった。
実のところメルにとって使用人というのは初めての経験ではない。皆川に引き取られるより先の二年ほど前にはイギリスの名家にて使用人をしていた。
その家での使用人に対しての扱いとはまるで異なるサトルの態度にメルは慣れなかった。最初はたずねようかと思ったのだが、深く考えれば今年だけでも五人の使用人が居なくなっていると言うことは使用人の入れ替わりも普段から多いのかもしれない。そんな前提で自分のような臨時の使用人と深く接するつもりがないという意思表示ならば、この態度も当然かもしれないとメルはこの件を掘り下げることはやめにした。
「ご用があれば、遠慮なく申し付けください」
「あいよ。とりあえずドアの前で待機していてくれ」
サトルの要件通りに部屋の入り口に立ったメルは彼の行動をつぶさに観察することとした。帰宅したばかりというのに慌ただしい彼は和服に着替えると、壁にかけてあった刀を大小選んでその手に持つ。土井垣家が居合いの流派を継承する家系なのはメルも事前に聞いていたため、敷地内の道場に向かう準備なのだろう。
懐に手拭いを忍ばせて準備が完了したサトルは部屋を出ると、後ろにつくメルに指示を与えた。
「初めてなので教えておくが、道場にはついてこないでくれ」
「畏まりました。ではその間は外出中と同様に待機でよろしいですか?」
「いや、部屋の掃除を頼む。脱いだ服の洗濯と着替えの準備、それと風呂場に着替えを運んでおいてくれ。これから毎日、俺が稽古をする日はな」
「畏まりました」
サトルの命令を受けて、踵を返したメルは部屋に戻ると着替えの準備を始めた。最初に「道場には来るな」と言うあたり、雑用は手持ち無沙汰となる自分への代替作業であることはメルにもすぐにわかった。
稽古の邪魔になるからなのか、それとも使用人には見せたくない何かが道場にあるのか。疑問を抱えながらもメルは与えられた雑務をこなす。