二十二年前①
ユーリを自室に運び、ベッドに拘束したタケシは彼女の顔を優しい目で眺める。事前に気絶させているため閉じられた目尻にできた皺は、彼女が自分に献身してくれた時間の長さを物語っていた。
ふたりの出会いは三十年ほど前に遡る。当時、未婚だったタケシは土井垣家が経営する会社を引き継いだばかりで女性とは縁遠い日常を送っていた。
この頃からタケシももうひとつの家業、化け物退治にも参加していたのだが、それが余計に彼の交遊を狭めていた。
そんな彼に転機が訪れたのは、イギリスで行われたとあるパーティである。それは当地での化け物退治や悪い能力者を取り締まる仕事をしているフィメールという名家の党首が「ジュリアス・フィメール」という新しい若者に代替わりすることを祝う式典だった。
「き、キミの名前を教えてくれないかな」
パーティ中、酒を溢してしまったタケシの世話をしてくれたメイドがユーリだった。一目見て電流が走った彼は見境もなく彼女に声をかけて求愛し、そんな彼に対して彼女は鬱陶しいといった態度で淡々とメイドの仕事をこなしていた。
パーティの後、フィメール家の屋敷に止まったタケシは実らない恋にため息をついて、酔った体をベッドに寝かしていた。うとうとと船をこぐ彼の鼻先に漂う独特の匂い。フィメールの血筋が持つ強い体臭が彼の意識を優しく起こした。
「ん?」
「先程は失礼をしました。このユーリ、お客様のお望みのように御奉仕させていただきます」
「え、え?!」
タケシが寝ぼけ眼で困惑してしまうのも無理もない。パーティ中は袖にされた彼女から夜這いをかけられたのだから。
素直に受けとれば好きなように彼女の肢体を弄んで良いということではあるが、そこでタケシは小首を傾げてしまう。本当に彼女から望んでやって来たのなら、パーティ中の態度は流石に矛盾してやいないかと。
そっと彼女の手を握ったタケシは、小刻みに震える冷たい掌を確かめる。好きでもない初対面の男に操を捧げることを恐れているようにしかタケシには思えない。
「手を握るだけだなんて、焦らしますね。いいんですよ遠慮なさらなくとも。先程はあれだけ熱く私に求愛してくれたではないですか」
「怖がっている女の子に、そんなことできないよ」
息子のサトルと同様に、若い頃のタケシもまた真面目な性格だった。彼はお互いに意中だった使用人がいたのだが、主人と使用人を線引きして遠ざけた結果、実らなかった初恋の経験があるほどである。その時と同様にいやがる相手を無理やり襲うことなんてできないと、彼は手を握るまでに留めて性欲を理性で押さえ続けた。
「ですが……」
「主人の命令だったんだろう? おおかたハニートラップの類いだろうけれど」
「わかっているのなら素直に乗ってくだされば良いではないですか。男なんて所詮は下半身の生き物に過ぎませんよ」
「女ばかりの家に育ったキミにはそう見えるかもしれないけれど、少なくとも俺はそうじゃないさ」
「お客様の嘘つき。こんなにここを大きくしているではないですか」
「そ、それは……手を出してはいないからノーカウントというか……」
「そこまで言うのなら一晩お話でもしませんか? 本当に手を出さないと言うのなら、アナタのことを信用します」
「望むところさ」
それから一晩語り明かしたふたりは寝不足で目元に隈を作ってしまった。お互いの身の上を語り合ったがついぞユーリはタケシを名前で呼ぶことはなく、タケシは少しだけ残念に思って着替えを始めた。
ユーリもベッドに潜り込む際に脱いでいたであろうメイド服に着替えていたのだが、その生着替えをまじまじと見つめられただけで儲けものかとタケシは自分を納得させた。
本音をいえば彼女の言うとおり性欲をぶつけてしまいたかったがそれは自分の矜持に反している。そんなプライドだけで性欲を一晩押さえていたことをユーリもその横で彼と語り合ったので充分に理解した。
「お客様。これを」
「???」
互いに着替えを終わらせたところで、自分の持ち場に戻るのであろうユーリはポケットから編み紐を取り出した。急に手渡されてタケシは困惑してしまうが、彼女はその説明を続ける。
「もし本当に私のことが好きなのでしたら……一年たっても恋い焦がれてくれるというのなら、来年のパーティで腕に巻いてきてください」
「わかった」
「それではまた会いましょう、タケシ様」
それから一年間、タケシは初体験を不意にしたことや他の女性との接点が皆無だったこともあってユーリへの思いは冷めなかった。約束通り一年後の周年パーティに編み紐をつけて参加したタケシはユーリにまた声をかけて、その後ジュリアスに許可を取った上で彼女を新しい使用人として身請けした。
それから七年はふたりの蜜月が続くようになる。
社長としても男としても、タケシはユーリというパートナーを得たことで一皮むけていた。そんな彼の成長を見て化け物退治の仕事を増やす彼の父にユーリは不満を持ってこそいたが、それ以外は公私ともに充実した時を過ごし続けた。




