デート③
メルがこの家に来てから二回目の土曜日がやって来た。
朝食のために食堂に向かったメルは既に身支度を整えている。
癖のあるふわふわとしている髪の毛を束ねているヘアゴムは彼のプレゼントである。いつもと違うセットをする姿に、田中が早速茶々を入れた。
「気合い入っているじゃない。これから『おデート』なだけあるわね」
ちなみにこの日の田中は当直のため、タケシらの朝食を母屋に運んでいる最中である。
「遊んでいる暇はないぞ。料理が冷めてしまう」
「申し訳ありません」
「解ったら、気をつけて早く行きなさい」
そんな彼女を叱ったのは、同じく給仕中のユーリだった。普段はタケシに付きっきりなので食事の準備はあまりしない彼女なのだが、他の使用人が交代で休みを取る土曜日にはこうして下働きもこなしていた。
これから休日を謳歌せんとするメルの事をジロリと見つめる彼女の目線。それはどこか嫌なものにメルは感じてしまう。
「なんとなく苦手だ」
メルはユーリにそのような感情を持っていた。
仕事一筋で無愛想なきらいのあるユーリではあるが、それにしても話に聞く印象よりも彼女の目はメルには冷たい。その理由は何故なのかメルにはわからなかった。
「おまたせ。さあ行こうか」
昨夜は寝付けなかったのか、少しおくれて食堂に顔を出した川澄の朝食が済んだ後にふたりは出発した。
約束通りにバイクで出掛けたのだが、そのバイクとは小型(125cc)のスクーターである。利便性はいわゆる原付(50cc)よりも高いとはいえ、さすがに2人乗りには非力であろう。
格好よく風を切って駆け抜けることはできないが、逆にそれがメルには新鮮だった。見慣れない風景、だがどこか哀愁を感じるその景色にメルは目を奪われた。
まあ、この景色は運転を担当する川澄には見慣れたモノであろう。安全運転と背中に当たる彼女の感触を味わうことだけで精一杯な彼には響かない、彼女だけの感動である。
「ついたぜ」
川澄はゆっくりと走ったので、普段よりも時間がかかったのであろう。予定よりも遅い十一時過ぎにふたりは目的地に到着した。
「きれい」
自信満々に川澄が見せつけた景色は、メルが思わず漏らす通りの絶景であろう。高台から望む周囲の山の壮大さと、太陽を浴びて翡翠のように輝くカルデラ湖。観光案内に乗る写真のような景色が、そこに広がっていた。
しかも周囲には誰もいないふたりきりである。ここは川澄自慢の穴場ポジションのため邪魔物などいない。
良い雰囲気の場所に首尾よくメルを連れてこられた川澄は、バイクを降りてからずっと緊張しっぱなしである。過去の思い人を引きずっていた彼の姿は最早なく、抱きついたりキスしたりしたいなと劣情を抱いていた。
「そ、そうだね」
そのせいかメルに打つ相槌は少し声が裏返ってしまった。そんな自分を恥じて彼の顔が赤くなってしまうのだが、メルはその変化を見落としているので言及しない。
「あ、あのさ……」
「……」
震えてか細い声だからであろう。川澄の呼び掛けはメルには届かない。純粋に景色に見とれるメルは彼の声を無視していた。
自分でもいざとなったらへたれているなと自重する川澄もこれには苦笑いしてしまう。そんな緊張を解す音がようやくメルを引き戻した。
「ぎゅるる」
「そろそろお昼にしましょうか。お弁当を持ってきましたよ」
その音は川澄の腹の音だった。寝起きで急いで食べたからかはわからないが、適度な空腹を感じた彼のお腹は食事の時間をふたりに知らせる。
あらかじめお昼頃には山の中であろうと、メルは気を回してお弁当を用意していた。箱を開けるとその中には、魚住が作った試作品の料理が山ほどである。
「もしかしてメルの手料理?」
「いいえ、魚住さんが作りました。ボクには作れませんって。創作料理の試作品なので、ちょっと冒険ですけれど」
「ちょっと残念だなあ」
「トモさんはボクの手料理の方が嬉しかったようですね」
「そりゃあふたりきりでの外出だからな。せっかくならお弁当も自分らでと思っただけさ」
「なら今度は一緒に作りましょうか? ボクもトモさんのお料理に興味がありますよ」
「いいのか? 下手くそだぜ」
「だから良いんじゃないですか。いっそのことキャンプ場で一緒にバーベキューとかでもいいですよね」
最後の一言での笑顔に川澄は惚気てしまった。
メルにとっては粗野な男料理をふたりで作ることそのものを遊びと捉えて誘ったのだが、川澄は「メルが俺の手料理が食べたいだなんて、もしかして彼女も俺に気が?」と過度な期待をさせてしまった。
いまもふたりきりでデート中なんだし、もはや事実上付き合っていると言っても過言はないのではと川澄は妄想をしてしまう。
そんな浮かれた頭でお弁当をつまむ。
「お昼も食べましたし、そろそろやりましょうか」
「やる?」
お弁当を食べ終えたメルが言った言葉を別の意味に捉えて、川澄は変な声で返事をした。
「例の一芸について、景色を見ながら整理しようと言ったのはトモさんじゃないですか」
「あ、それか」
メルにとっては真剣な事案ではあったが、川澄にはメルと秘密を共有するための窓口でしかないので、自分で言い出した理屈を彼は度忘れしていた。ちなみに何故「この場所の景色を見ながら」だったのかは、「彼女を背中にして遠くまでバイクに乗りたかったから。ふたりきりになれる静かな場所が良かったから」なのは言うまでもない。
「まずは小西さん。料理の腕前もさることながら、若い頃の武勇伝は凄いですね。巨大な鶏と格闘して、勝った証に肥太ったレバーを奪い取ったとか」
「民安さんも血を一滴も流さずに鶏をさばくだとか、魚住さんも魚を針麻酔で眠らせるとか……厨房組はやってることが漫画的で信じられないぜ。逆に力仕事が多い俺や遠藤さん、ついでに池田さんにはこれと言った特技なんてないしさ」
「田中さんも手芸の練習中とは言っていましたが、まだまだ他人に自慢するほどでは無いと言っていました。さすがに全員に旦那様みたいな一芸を期待するのは度が過ぎていたのでしょうか」
改めて一週間の成果を羅列してみたふたりだが、小西ら一部が特出しているだけでメルが目当てとする特技は誰も持っていなかった。
川澄からすれば興味本意の調査が空振りに終わっただけだろうと思っているが、メルは少し落胆していた。協力してもらった彼の顔をたてて表には出さないが、不振な事故の連続は不幸の連続に過ぎないと、諦めるしかないのかと。
そもそも「みんなの一芸を調べる」というお題目で「不可能犯罪を可能にする技を持つ人物がいるのか探る」のは無理な行為だったのだろうか。
「そんなこと無いって。みんな当たり前にやっているだけで、なにかそういう特技のひとつやふたつあるはずだぜ」
「……そうかもしれませんね」
「そう言えば、メルはユーリさんにも何か聞いてみたか? なんだかんだ小西さんに次ぐ古株だし、年の功のひとつやふたつありそうだけどなあ」
「え?!」
そんな中、調べあげた各人の情報からある人物が欠落していることを川澄は指摘した。メルもどことなく感じていた苦手意識と、そもそもタケシに張り付いている彼女と雑談を交わす機会がなかったので何も聞いていなかった。
いわゆる意識の外という状態だったのだろう。メルはユーリを今回の調査で無意識に対象外として除外していた。
「そう言えば忘れていました。ユーリさんとは仕事以外では口をきく機会もなかったので」
「まあそれは仕方がないぜ。俺もあの人と仕事以外で会話することなんて滅多にないし。上司としては凄く頼りにしているのも確かなんだけどさ」
「そうですか。ボクは逆にどこか苦手です。何というか、嫌われている気がして」
「それは気にしすぎさ。ユーリさんが無愛想じゃないのって、旦那様か小西さんと一緒のときくらいだし」
川澄の見立てではユーリから受ける「嫌な感じ」は気にしすぎだという。メルは本当にそれだけなのかといぶかしむが彼は続ける。
「それにさ……打ち解ける為にも、今度はユーリさんにその一芸を聞いてみたらいいんじゃないか。他のみんなは出揃ってて、あとはあの人だけなんだし」
「それは……ナイスアイデアですね」
ひとまずは川澄が言うとおり、ユーリの一芸をたずねてデータを完成させてみるかとメルもその意見に賛成した。
皆の情報を書き込んでいたノートにユーリの名を記すメル。彼女は名前を書いたところであることに気がついた。
「そういえば、ユーリさんの名字って知っていますか? 皆さん揃って『ユーリ』としか呼びませんが」
「言われてみると俺も聞いたことがないな。旦那様や小西さんならたぶん知っているんだろうけれど」
「どうして隠しているのでしょうね」
「隠しているというよりも、ユーリさんの性格だと理由もなしに名字を名乗る必要は無いって考えなのかも」
川澄の見解を聞いてメルもかつての自分を振り返った。確かにあの家で次期当主の付き人として育てられた頃の自分にとって名字はあって無いようなモノだった。当主もご主人も同じ名だったのもあるが、それ以前に名前だけあれば充分だったからだ。
ユーリがあの頃の自分と同じ考えならば、確かに必要最低限にしか名字など使いそうもない。
「えっと……でも待てよ……昨日旦那様が何か言っていたっけな」
ユーリが話題だからであろう。昨夜のタケシとの会話に出てきた名前が川澄の脳を引っ掻く。
「そうだ、フィメール!」
「!?」
もどかしさの末に川澄が思い出して口走ったその名前にメルは驚いてしまう。
「トモさん、もしかしてそれはイギリスのですか?」
「たしかそのはず。ユーリさんはその家のメイドだったのを、旦那様が口説きおとして引き抜いてきたそうだ。それだけだとユーリさんの名字なのかはわからないけれど」
「その話の通りなら、ユーリさんの名字はフィメールに間違いないです」
「その口ぶりだと、メルはそのフィメール家ってのを知っているのか?」
「はい。詳しくは言えませんが、ちょっとした事情で」
「それは俺にも言えないのか」
「!!!」
フィメール家の名前が出てから少しだけ震えるメルにたいして、川澄は思わず抱きついていた。彼自身なんでそのような行動を取ったのかわかっていない。ただ、その名を恐れるメルを慰めてあげたいと彼は感じていた。
少しして正気に戻った川澄は自分のしていることに気がつく。柔らかく華奢なメルを力強く抱き締めて、重なる胸板で体温を交換しているのだから心臓が飛び出しかけた。
鼻から吸った息に混じるメルの臭いはどこか特徴的で、女の子のフェロモンなのか川澄の体の雄が刺激されて苦しい。
「ごめん」
あわてて体を離した川澄の顔は真っ赤である。体の一部を押し当てたのだからさもありなん。
「いいえ、気にしないでください。ボクも少し動揺してしまったようですし」
メルは彼の行動を咎めることはなく、むしろ自分の非を彼に謝った。彼の体の一部には気がつかなかった訳ではないが、男の整理だから仕方がなかろうとスルーである。
その後、自分の暴走でばつが悪くなった川澄が冷静になるまで待ってから、ふたりは来た道を戻った。
その帰り道のバイクの上で、川澄が自分に劣情を抱いているとも思わず、メルはあることを確信していた。
ユーリ・フィメール
連続事故死に犯人がいるとすれば、彼女なのではないかと。
これはメルが彼女に苦手意識を持っているからという個人的な決めつけではない。「タケシ、サトル以外で超常の技を振るえるのは、土井垣家では元フィメール家の人間だった彼女であろう」という点でも犯人として無理のない人間だった。




