月命日
翌日月曜日。
この日もサトルは道場には向かわなかった。
それどころか七時を過ぎた頃にバスにのって出掛けてしまい、この日のメルはいつもより早い仕事あがりを命じられた。
サトルはどこに向かったのかは誰にも明かしておらず、ただ一言「関のところに泊まる」とだけ両親には話していた。
バスで駅前に到着したサトルは飲み屋が並ぶ雑居ビル「イヤサレ」を目指した。このビルの三階にあるBARわかもとは彼が初めて酒の味を覚えた店であり、それ以来贔屓にしていた。
店内に入ったサトルは駆けつけにウイスキーをロックで頼んで関の到着を待つ。ちびちびと煽るグラスが半分ほどなくなったところで待ち人は到着した。
「待たせたね」
「こっちこそ、呼び出したりして悪かったな」
「それは別にいいさ。元から月命日で会う約束をしていたんだし」
月命日とは連続事故死の犠牲者のひとり、川澄あけのの命日を指していた。
孤児である彼女は関と同じ施設で育った妹分であり、それは彼女が土井垣家に奉公に入った理由にも関係していた。
「でもいいのか? 逆に悲しくなるから月命日は止めようと言ったのは、土井垣の方だったのに」
「父上……オヤジと少しあってな。ちょっと相談したいことが出来たんだ」
「お前が悩みか。自分がロリコンに目覚めたのかって生真面目に悩んだとき以来じゃないか」
「そのことは言わないでくれよ」
「すまん。茶化しすぎたか」
関は落ち込む親友のために聞きの姿勢に入った。孤児院ではお兄さんとして下の子を纏めていた事もあり、関は聞き上手な性分である。高校を卒業するまでは生真面目な性分とお坊ちゃん育ちが災いして悩みが多かったサトルの調整屋として関は彼を導いていた。
ちなみに前回相談した悩みというのは「ゆきのが家の使用人になったが、メイド服姿がツボ過ぎてどうしよう」という恋愛相談だったことは関の胸の内である。
「まずは一杯やってくれ」
「だが悩み相談だって言うならここは奢りにしろよ。七陰砥無のロックだ」
「それはちょうどいい。マスター、こいつに地酒を」
「へい」
七陰砥無とはこの近辺で作られている地酒で、酒蔵の人間は土井垣家の遠縁にあたる人々である。その銘柄名も土井垣家の秘剣「七陰」と、魔剣「砥無」から取られているのは一族だけが知る事実であろう。
ちょうどサトルが相談しようとしていた内容とリンクする銘柄なので、彼にはその注文がちょうどよかった。
「そろそろ話してくれてもいいんじゃないか? それともまだ飲み足りないかな」
「いや、そろそろ言うよ」
それからドライソーをツマミに地酒をロックで進める関の横で、サトルは酒で自制心を崩そうと必死になってカクテルを飲み進めていた。
カクテルの種類はマスターに任せていたのだが、五杯目に出されたエンジェルティップのチェリーに口が止まったところで関は切り出す。
別にやけ酒に付き合って欲しいという話ならばそれに従うのも友情だが、悩み相談の対価として奢れと言った手前、ちゃんと悩みを聞いてあげたいと関は考えていた。
「ゆきのが事故にあったときの説明を憶えているか?」
「オフレコの方だろう? 屋敷の前で車に跳ねられたっていう」
彼の相談は川澄ゆきのが亡くなる際の状況から始まった。
公には夜中に出歩いていたゆきのは暴走車に跳ねられて、発見された頃には肺挫傷による窒息で亡くなっていた事になっている。
だがサトルと関だけが知るひとつの真相がある。その場にはサトルも居合わせていたのだ。
なぜそれをサトルが隠したのかと言えば、彼がゆきのとの関係を周囲に隠したかったからに他ならない。サトルに憧れて土井垣家の使用人となったゆきのと同様に、そんな献身的な彼女に彼もまた心をひかれていた。
ゆきのが使用人になってから一ヶ月目で思いを通じあった彼らは恋仲となり、深夜に屋敷を抜け出して逢い引きをすることも多々あった。逢い引きでは若い男女らしい若さゆえの過ちも犯していたこともあり、彼は親友かつ義兄にあたる関以外にはふたりの関係を隠していた。
ゆきのが十八歳になったら両親に報告しよう。そうふたりは誓い会う仲だった。
「あの場に居合わせた俺は冷静に考えればゆきのを跳ねた車を見ていなきゃいけないんだ。なのに俺にはその記憶がない。おかしいと思わないか?」
「それは……ショックで忘れてしまっただけじゃないのかな?」
「それともうひとつ。ゆきのの傷口が妙に鋭利だったって園長も言っていただろう? あれに良く似た傷を俺は知っているんだ」
「え?」
「その酒の名前の元になっている土井垣流の七陰。その四番目の太刀筋と酷似しているんだ」
「ちょっと待ってくれ。言っている意味がわからないよ」
「俺は自分でも自覚が無いうちに、ゆきのを斬ってしまったのかもしれない」
「落ち着け土井垣。オヤジさんと何があったのかは知らないけれど、今夜のお前は錯乱している」
「オヤジは俺の技を見てこんな風なことを言ったんだ。『七陰で女性を斬った業を背負っている』って。つまりオヤジの判断ではゆきのを斬ったのは……いいや、それ以外にも最近事故死した使用人たち全員が、事故ではなく俺に斬り殺されたと見て間違いないらしい」
「バカなことを言うなって。生真面目で繊細なお前に人殺しなんてできるかよ」
「でもそう考えるとすべて辻褄が合うんだ。俺の中に砥無にとりつかれたもうひとりの人格が産まれて、知らぬ間にゆきのを斬り殺していた。そしてそんな裏人格は俺に偽の記憶を見せて事件を隠蔽していたんだ。俺は土井垣流のお勤めで人を斬る覚悟だって出来ている。だがそれでも、本当にそんな人格が俺の中に隠れているのなら正直言って怖い」
「オーケー。とりあえず今夜は飲み明かそう。二重人格なんてリアルにはいないことを僕が証明してやるさ」
「ううう、関~」
「だから今夜はじゃんじゃん泣いてくれ。泣いてスッキリしようじゃないか」
昨日一日悩んだ末にサトルが出した結論がこの「二重人格説」だった。ゆきのらの傷口という現実と、自分には自覚が無いことを踏まえるならば、彼の中では他の結論は生まれなかった。
実際に砥無を完成させようとした歴代には同じような二重人格的な存在になった人物もいたらしく、その事を記した過去の記録は彼にそんな考えを植え付けてしまった。
悩みを聞いた関は「二重人格者なんているわけがない」と、彼を一晩中慰め続けた。
朝になると泣き続けたことでサトルは多少落ち着いたが、それでも悩みの根幹は解決できなかった。
「付き合わせて悪かったな。お前はこれから仕事だろうに」
「いいさ。たまには寝不足二日酔いでデザインしてみるのも新たな発見だしね。それよりも土井垣はもういいのか?」
「泣いたお陰でだいぶスッキリしたし、とりあえずは保留するさ。とりあえず女の子とふたりきりって状況は避けることにするけど」
「オーケー、それでいい」
一晩飲み明かし、寝不足で太陽が黄色く見えそうな疲労を抱えながら、ふたりは早朝のBARで別れた。




