表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/28

一芸

 日曜日の朝を迎え、使用人生活の二週目が始まった。

 この日は出掛ける用事もないのかサトルは部屋に籠っており、メルは廊下で指示待ちをしていた。

 部屋の中でサトルは本を読んでいるのであろうか、物音すらろくに立たない。先週までの「外出」か「稽古」かの二択と比べるならば、対照的なインドアさであろう。

 メルは流石にサトルがどのような本を読んでいるのかまでは干渉していない。そのため彼があることに悩みつつ、秘伝書を読みふけっているとは思っていなかった。

 そんなメルの胸元がブルブルと震え始める。どうやらメールのようだ。


 夜に時間が取れないか?


 宛先人は川澄だった。

 この日の彼は当直の代休で休みをとっているので、仕事の邪魔をしないようにメールで伝えたのであろう。

 メルは二つ返事で「いいですよ」と返事をして、ケータイを胸元に戻した。

 川澄の気持ちは別として、この誘いはメルにとっても好機だったからだ。事故死した川澄ゆきのに思いをはせていた彼ならば、身の回りに潜む不思議に気がつく可能性も高かろうと踏んでいた。


 結局この日のサトルは道場に行かずに食事時以外は部屋に籠っていた。そのまま夜九時を回ったことで勤務を開けたメルは、昼間に頼んでおいたサンドイッチを抱えて川澄の部屋に向かった。


「早かったな。まだ九時を回ったばかりなのに」

「夕食はお弁当にしてもらったんですよ。あまり遅くなると迷惑ですし」

「俺から誘ったんだから、気にしなくてもいいのに」


 思いのほか早い到着に川澄は緊張を見せていた。自分からお願いしたとは言え、気になる彼女が自分の部屋にいるという事実で手に汗を握っていたのだ。

 彼は片想いをしていた川澄ゆきののことを忘れたわけではないのだが、それでも先日慰められてからメルを意識していた。


「とりあえずこれを。きょうのおみやげさ」


 川澄は小袋に入ったヘアゴムをメルに手渡した。


「これは?」

「ラッキーカラーのヘアゴムさ。幸運のおまじないとして人気らしいぜ」

「へえー」


 紫色が自分のラッキーカラーだと言われても理屈がわからないものの、メルはそれを素直に受け取った。別に拒否する理由もないし、彼が善意でそれをプレゼントしたことも明白であろうとメルは考えた。

 万が一の可能性を考えてヘアゴムは手に持ったままメルは会話を膨らませる。


「きょうは何処かに出掛けたみたいですね」

「天気も良かったしひとりで一日中ツーリングさ。途中で関さんの店にも顔を出したから、お土産はそのときに買ったというわけ」

「と、いうことは……ラッキーカラーって話も関さんの受け売りですか」

「バレたか」


 本当はラッキーカラーではなく「彼女に似合いそうな小物」を見繕ってもらったとは流石に川澄も言えなかった。

 だがはにかむ彼の表情とモノの出所が関の店と聞いて、メルは彼を信用してヘアゴムの封を開ける。そのまま中身を取り出すと、癖のある髪の毛を束ねてポニーテール風に纏めあげた。

 髪型が変わったことと、髪を掻き分けた際にメルの強い体臭が漂ったのであろう。川澄はメルを見つめつつドキリと心臓を鳴らす。


「どうです? こんな感じですかね」

「いい」


 自分のプレゼントでお洒落をするメルの姿を前に、川澄の中で蟠りがほどけていた。メルに気を引かれていた気持ちを押さえていたかつて好きだった彼女への気持ち。正直言えば心の傷は癒えていないのだが、それでも新しい恋に手を出してもいいかと彼は自分を受け入れた。

 そんな彼の心境にメルは気がつかない。彼女は思い人以外は眼中にないせいか、自分が好意を抱かれているという感覚に鈍感で、そのため意識過剰な相手からは誘っていると受け取られる節がある。


「じゃあ今度の休みはふたりで出掛けましょうか? ヘアゴムのお礼にこの髪型でご一緒しますよ」

「いいぜ。なんならバイクの後ろに乗るか?」

「それは川澄さんが苦じゃなければ。でもそのかわり、いろいろボクに協力してくださいよ」

「いいけれど」


 何をねだられるのかと不安な顔をしつつも、川澄はメルの頼みに首を縦に降った。


「ほんの興味本位だから、わかる範囲でいいんす。旦那様の剣術みたいに、皆さんもそういう凄い技が使えるかを教えてくれませんか?」


 メルの質問に「何を急に」と川澄は小首を傾げた。

 彼も話の上では土井垣家には独自の剣術が伝わっていることを知っていた。だか彼はその技を見たことは数えるほどしかない。

 素人目に数回見ただけでは土井垣流そのものの異質さをメルのように理解するのは難しい。そのため「なにか一芸を持っている人間が使用人にもいるのか?」という意味にしか、彼には受け取れなかった。

 何が目的かはわからないが、仲間内の隠し芸を知りたいという話なのか。そんな風に川澄はメルの頼みを解釈する。


「隠し芸の探りかなにかは知らないけれど、機会があったら聞いてみるよ。でも田中さんとかには自分で聞いた方が早いんじゃないかな」

「女子はボクの方が話す機会も多いからそれもそうですね。では川澄さんは男の人たちに聞き込みしてください」

「わかった。じゃあついでに俺からもひとついいか?」

「なんでしょう」

「出来ればトモって、名前で読んでくれると助かる。前には女の子の川澄さんもいたから、区別するのに名前で呼ぶ人の方が多いし」

「そうですか。じゃあボクのこともメルでいいです。それではボクからのお願いも頼みましたよ、トモさん」

「任せておけ、メル」


 その後はメルのお弁当をふたりでつまみながら、現段階で川澄が知っている「各人の一芸」をノートに纏めあげた。

 だが出た情報は


・遠藤は若い頃に柔道をやっていた

・池田はカンフー映画にハマって通信空手を嗜んでいた時期がある

・その同時期に池田を大洗が太極拳で投げ飛ばしたことがある

・小西は出刃一本で鮪を解体できる


 と、メルが求めていた「事故に見せかけて相手を殺せるような技」は出なかった。

 ゆっくりと食べていたお弁当がなくなったのは夜十一時目前である。この日はここまでにしようとメルは切り出して川澄と別れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ