所見
休日の夜も更けた頃、メルは一週間の出来事を整理していた。
その中で、発端である使用人の事故死に裏があるのか推測するために、この家の人間について所見をまとめていた。
まずはこの家の当主であるタケシについて。最初から誰かが起こした連続殺人であると決めつけて考える場合、容疑者に上がる人物のひとりである。
何故なら土井垣流を納めた剣の達人だからだ。メルは魔剣技「七陰」の存在を知らないのだが、皆川のさらに上と繋がりを持つ古強者ならば「中国武術の発頸を派手にしたような、内蔵攻撃の秘剣」が使えても不思議はないと彼女も考えていた。
それは初日にタケシが見せた闘気の剣から受けたインスピレーションも混じっており、実際それが可能な奥義が土井垣流には存在していた。状況証拠で決めつけるならば、これ以上の容疑者はいない。
だが人物像で考えればタケシが犯人だとはメルにはとても思えなかった。彼は使用人各人のことをつぶさに把握して気配りに事欠かないからだ。
メルはサトルが外出中に何度かユーリの手伝いで顔を会わせただけではあるが、その限られた期間で彼女が見たタケシの姿は「使用人のメンタルを気づかって、ユーリに相談する姿」であり、それはとても演技には思えなかった。
特にタケシは鈴木知恵の死後に空元気を見せる池田と川澄ゆきのとの死別に傷心を見せる川澄を心配しており、そんな彼が家族として可愛がっている使用人を殺すようには見えなかった。
次は息子のサトルについて。タケシのことを剣士としての技量を持って疑うのならば、その弟子として技を受け継ぐサトルは第二候補であろう。
メルの目には昼間は外出しており、夕方に帰宅すると道場で稽古ばかりしているため多少避けられているように感じていた。だが事故死した五人のひとり、鈴木知恵は道場で亡くなったことを考えれば、彼が使用人を道場に呼んだ際に手を出したと考えられなくもない。
だがサトルにはタケシと同様に動機がない。死亡した五人全員が彼の専属だったことを考えれば、みなタケシ以上にサトルとは親密な付き合いしていた可能性が高いからだ。その上で反りの会わなかったひとりに手を出すことはあり得なくはないのだろうが、五人は流石に多すぎた。
サトルが快楽殺人者であれば動機の線が繋がるが、そのようなあからさまな趣味があるならば使用人たちの間で噂くらいにはなるであろう。だが使用人たちの評判は「生真面目だがむっつりすけべで案外気さく」という評価で統一されており、気性はタケシ同様に穏やかだという。それにあのタケシがもし息子にそのような癖があるならば、彼自ら息子に制裁を加えるのではないかとメルは感じていた。
メルの考えでは「犯人と決めつける場合には疑わしいが、その場合の人物像と実際の彼が一致しなさすぎる」故にタケシ同様に犯人には思えなかった。
残るは奥方のナツコとユーリを筆頭とした十一人の使用人たち。彼女たちの誰かが犯人だとすれば、タケシやサトルのような超人的要素などないため、事故に見せかけた手法から考えなければならない。
こうなるとサトルを犯人と仮定した場合の動機と同様に、五種類のトリックを考える時点で骨がおれてしまう。
動機としては「被害者にサトルの使用人を辞めさせたい」といったところであろう。だが排除したところでその後の進展が無いためメルには不毛としか思えなかった。
死亡した五人のことや代打としてやってきたメル自身の例を考えても、サトルの専属がいなくなった場合には新人がその枠に入るしきたりなのは想像に易い。サトルの専属になりたいからと使用人の誰かが仲間を追い出そうとするとは到底考えられないのだ。
かといって実際に事故死のひとりを「嫉妬で呪い殺した」と陰口を叩かれたナツコにしても、他四人にも同じ理由で呪いを振り撒くとは到底考えられない。サトルと使用人の間に何かイザコザがあったことを動機と仮定した場合と同様に、五人という数の多さが論理性を欠いてしまう。
結局、誰かが起こした事件であると仮定すればするほどに「あり得ない」とメルは感じてしまう。それぞれの事故死に別の犯人が存在しているか、あるいは常人という前提のナツコらに超常の技の使い手が混じっているか。そのような更なる仮定がなければ、本当に不幸の連続ではないかと、メルは初見を締めくくった。




