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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

命の泉

作者: 東堂栞

 こんばんは、君は今日この街に来たのかい? これも何かの縁だ、一杯奢らせてくれよ。ああ、良き出会いに乾杯。




 いやあ、いい飲みっぷりだね。もう一杯奢りたくなってきたよ。

 そうだね、もう一杯奢る代わりに一つ話に付き合ってくれるかな? ありがとう。


 これはある伝説の話だ。ひょっとしたらおとぎ話かもしれないし、もしかしたら数ある神話の一つなのかもしれない。



 まあ、つまりはそういう作り話の一つということさ。



 ――――――――――


 木々が密接かつ繁雑に絡み合って天蓋を構築する深く、暗い森。


 葉の間からこぼれる僅かな光が地面を照らす。その光を嫌がり、ンドゥクたちは陰の方へと駆けていく。


 あるンドゥクは細長く、三叉に分かれた口吻をこすり合わせながら木の根っこを削って食べていた。


 あるンドゥクは扁平かつ、四指に分かれた三腕で地面を掘り、ギォクィルの幼虫を食べていた。


 あるンドゥクは六指に分かれ、鋭いかぎ爪のついた三足、おろし金のようにざらざらとした二尾を使って木を登り、ルクルクの卵を食べていた。


 あるンドゥクは八つの複眼で森への侵入者を見つめていた。


 森への侵入者は大きな人間の男だった。ンドゥクを三匹、縦に並べたほどの背丈。疲労のにじんだ髭面、曇天のようなくすんだ灰色の瞳。くすんで端がすり切れた、鳶色の外套。男は棺桶を背負っていた。一般的な成人男性が入るくらいの大きさの棺桶だった。


 男を見つけたンドゥクは口吻をこすり合わせてきぃきぃと高音を鳴らし、仲間に森への侵入者の存在を知らせる。警告に気付いた仲間は男の視界から逃れるようにして木の陰へと隠れた。



 しかし、男の視界に入ってしまったンドゥクがいた。地面を掘り起こしてギォクィルの幼虫を食べていたンドゥクが食事の手を止める。


 そのンドゥクは逃げようとしたが間に合わず 、尾を踏みつけられ、男の持っていた大きな鉈で体を真っ二つにされた。


 ンドゥクは仲間思いだった。分かれた左半分だけで痛みにのたうち回りながらも、口吻をこすり合わせてギィギィと「人間」「危険」「逃げろ」「遠くへ」といった意味合いの高音を上げる。仲間の内の半分がそれを聞いてさらに男から距離を取った。


 男がンドゥクの頭を踏み潰し、鉈を振りかぶって木の後ろにいるンドゥクを木ごと横に二つに引き裂いた。男は木を蹴り倒し、距離をとっていた別のンドゥクを木の下敷きにした。


 男が懐から銃を取り出して片手で構える。銃声。男から一番離れていた位置にいたンドゥクの体が弾け飛んだ。二発、三発。銃声が森に響き渡るたびにンドゥクが一匹、また一匹と弾けて動かなくなった。


 あるンドゥクが枝の上から男に襲いかかる。また別のンドゥクは腐葉土の下を通って男の足下へとたどり着く。仲間の内の半分は男と戦うことを決意していたのだ。


 男は鉈を振るい、銃を撃ち、時に素手でンドゥクたちを屠っていくが、少しずつその動きが鈍っていく。棺桶を背負っているために普通よりも体力を消耗するのだ。


 その上、男は一人だが、ンドゥクたちは無限にいると思われた。男が一匹殺す間に七匹のンドゥクが森の奥から現れる。逃げたンドゥクたちは仲間を呼んでいたのだ。


 あるンドゥクの口吻が男の目へ入り込む。鮮血。ンドゥクたちの黒い血とは違う、人間の赤い血が森の地面を濡らした。

 あるンドゥクの尾が男の指に巻き付き、そのままへし折った。

 あるンドゥクの腕が男の脛の肉を削り、赤い血の池を更に広げた。


 もう少しで男が動かなくなったンドゥクの仲間入りを果たすかと思われた時、ンドゥクたちの動きが止まった。


「その男に聞きたいことがある。しばし待て」

獣人(グル)か」


 ンドゥクたちが見つめる先には狼の耳と尾を持つ、獣人の少女がいた。少女は澄んだ空色の瞳で男を見つめる。


「何の用があってこの森に入った?」

「ここに命の泉があると聞いてやってきた」

「そんなものはない」


 少女は男の言葉を一蹴した。


 命の泉には、その水を浴びれば死人すら動き出すほどの活力を得るとの伝説がある。だが、伝説であるため実際にあるかどうかは疑わしい。


「伝説は空想だけでは生まれない。何かしらの根拠がある。『ンドゥクで溢れている、暗く深い森の奥に命の泉はある』『命の泉には獣人の番人がいる』といった具合に一致するものが必ずある」

「……ここにはない。違う伝説を当たれ」

「いいや、ここにしかない」


 男は少女の言葉を否定する。


「十七の伝説、三十五の類型神話、四十七のおとぎ話。その全てを調べた。最後に残ったのがここ(・・)だ。命の泉はここにしかない」

「……そこまで調べているなら隠しても無駄か」


 少女は嘆息した後に歯をこすり合わせてきゅうきゅうという高音を上げる。それを聞いたンドゥクたちは男の拘束を解き、森の奥へと消えていった。


「認めよう。命の泉はこの奥にある」

「案内をしてもらえるのかな」

「案内しなかったら暴れるつもりだろう? 私をこうしておびき寄せたように。これ以上森を壊されてはたまらん」


 男はものを壊すのが趣味でンドゥクを壊していたわけではない。その破壊とンドゥクたちのざわめきをもって命の泉の番人たる少女をおびき寄せたのだ。


 男は少女が現れなかったら森を燃やし尽くしてでも命の泉を見つけるつもりだった。


「こっちだ」

「あぁ、分かった」


 少女の先導で男は森の奥へと入っていた。





「これが命の泉だ」


 二人がしばらく森を歩いていると開けた土地に出た。男は歩いている間に包帯や消毒液を使って自身の傷を塞いでいた。


 それは日の光が底まで届くほどに透明度の高い、澄んだ水の泉だった。魚はおらず、水草もない。名前とは正反対に命の気配がない泉だった。


 泉の縁から五十歩ほどまでの距離をぐるりと囲むようにどす黒い、透き通るような泉とは正反対の泥沼があった。気泡がぷちぷちと音を立てていた。


 泉は泥沼に囲まれた中心にあった。


「私が案内するのはここまでだ」


 泥沼の手前で止まった少女の言葉に頷いて男は泉へと近付く。泥沼に入ると、焼きごてでも当てたかのような音を立て靴が溶けていくが、男は意に介さず足を進めた。


「命の泉よ。私の妻を生き返らせてくれ」


 男の言葉を受けて水面が泡立ち、吹き上がる。吹き上がった水はやがて無貌のヒトガタを作った。


「命は軽く、重い。その願いは叶えられる」


 無貌が縦に割れ、その割れ目から声が聞こえる。


「叶えるためには同じだけのものを捧げよ」


 無貌が縦に割れたヒトガタ。命の泉は男にそう告げた。


「そうか」


 男は少女へと向き直り、懐から銃を取り出して引き金を引いた。


 爆音。親指ほどの大きさの弾丸からは想像もつかないほどの熱と風、鉄の嵐が吹き荒れて少女を吹き飛ばした。



 銃弾に破壊の力を込めるのは、男が得意とする魔法の一つであった。



「『生き返らせるために、別の命を犠牲にする』。他の伝説でも聞いた話だ」


 男は倒れて動かなくなった少女へと近付く。


「悪いな、妻以外の命は等しく軽い。案内してくれたのはありがたいが、妻のためにも生け贄になってくれ」


 泉へと捧げるつもりなのだろう。男は少女の頭を掴もうとした。


「いや、残念だがそれは無理だな」


 男が頭を掴む直前で少女の姿が消える。男の喉に痛みが走る。


「かはっ……」


 男は切り裂かれた喉から血を噴き出しながら膝をつく。


「なぜ、生きて……」

「飛んで勢いを殺した。別に躱しても良かったのだが、そちらの方が油断してくれそうだったのでな」


 少女は手の中で男の血のついた骨で作られたナイフを弄びながら何てことのないように言った。


 獣人が異質であるのはその見た目ではない。生きている速さが人間とはまるで違うのだ。


 男が立ち上がるまでの間にナイフは肋骨の隙間を縫って心臓を貫き、眼球を裂きながら奥にある脳をかき回した。


「私も生け贄を求めていたんだ」


 心臓と脳を不可逆的かつ徹底的に破壊された男は立ち上がることすら叶わずに血の池に沈む。


「私にも生き返らせたい人がいるからな。それ以外の命が軽くなるという気持ちは分かる」


 男の持っていた鉈を奪い取り振りかぶりながら少女は告げる。


「だから、悪いことじゃない。誉められたことではないけどな」


 振り下ろされた鉈は狙い違わず、男の首を切り落とした。

 少女は切り落とした男の首を持ち、泉へと放り投げようとした。


「まさか君も生き返らせたい人がいるとはな」

「なっ……ぐっ!?」


 首だけになった男が喋ったことに少女の動きが止まる。男の首から下はその隙を逃さず、隠し持っていたナイフで少女の足を切り落……とすつもりだったが逃げられて浅く傷をつけるのみに留まった。


「首を切り落とされてなぜ生きている!?」

「いいや、生きていないとも」


 投げ飛ばされた男の首は転がりながらも余裕を崩さない。

 男の首から下が少女と切り結ぶ。死んだはずの男が動いている動揺からか、少女の動きは精彩を欠いていた。少しずつ傷が増えていく。


「ぐっ!」

「『生きていないものを生きているもののように動かす』。言ってしまえばそれだけの、つまらない魔法だよ」

「そんな魔法が使えるなら命の泉なんて必要ないだろう!?」


 少女のナイフが男の腕を切り落とす。切り落とされた腕は這いずりながら少女へと近付く。


「妻だけは動かないんだよ。なぜだろうね、自分が死んでも動かせるのに妻だけは動かないんだ」


 少女の動きが止まる。男の体から流れ出た血の池が蠢き、少女の足を絡め取っていたのだ。

 流れ出た血すらも動かせるのが「生きていないものを生きているもののように動かす」魔法の力だった。


「私の魔法では妻を生き返らせるのは無理だった。だから、この命の泉が最後の希望なんだ」

「くそっ!」


 血の池は蛇のように少女の体に絡み付いて動きを止めた。生きている速度が違おうと捕まってしまえば動けない。


「私にとっては妻の命が一番重くて、それ以外は軽い」


 男がナイフを少女の胸に突き立てる。


「がああああ!」

「では、さよならだ」


 ぐるり、と男が手首を捻り少女の心臓を破壊した。口からごぼりと血を吐き出して少女が絶命する。


 男は血の池を操って少女の体を命の泉へと放り投げた。

 命の泉は少女の体を砕き、磨り潰し、溶かした。瞬き一つの間に命の泉は元の姿を取り戻した。そこに少女の死体があった痕跡はない。


「これで妻を生き返らせてくれるか、命の泉よ」

「命は軽く、重い。叶えるためには同じだけのものを捧げよ」


 ごぼり、と命の泉の表面が沸き立ち無貌が縦に割けて答えた。


 一つの命ではまだ足りない。妻を生き返らせるには届かない。答えを聞いた男はそう考えた。


「もっとたくさん捧げるべきだと?」

「命は軽く、重い。叶えるためには同じだけのものを捧げよ」

「なるほど。そういうことならいくらでも捧げよう。妻の命に届くまで」


 男はそう言って命の泉から離れ、森の中へと姿を消した。


 ――――――――


 その伝説あるいはおとぎ話、ないしは神話が言いたかったのはきっと「命の重さは等しくない」ということなんだろうな。


 生き返らせたい妻の命に匹敵する重さなんて、それこそ万の命を捧げるしかないからね。妻に比べて他人の命が軽いならそれだけ積み重ねて重くしないといけない。


 話の結末がどうなったか、って?


 男は今でも生け贄を求めて旅をしているんだ。旅の途中で会った人にこっそり薬を入れたお酒を飲ませて寝させ、そして命の泉へと運んでいく。

 だから、見知らぬ人から貰ったお酒を飲むときは注意するといい。




 ちょうど今みたいにね。











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