第1話
暑い、陸上少佐はそう感じた。
世界あちこちを旅してきた彼らであるが、その土地ごとの特色が楽しみということが、この仕事で唯一の、そして恐らくは無二の楽しみになっていた。
手野航空により、1週間に2便定期運行されている関空発メキシコシティ国際空港行きの飛行機に乗って5人はやってきた。
彼らはメキシコは初めてではない。
だが、この大気汚染に暑さは慣れることはなかった。
「手野グループの方ですね」
スケッチブックに、どうにか読める日本語で手野グループ御一行と書かれたものを持っているスペイン系の人物が話しかけてくる。
「手野産業から派遣されました。あなたは……」
まずは間違えていないか、少佐は相手の出方を伺う。
「アルトゥーロ・フエルサ・ドミニクと言います。まず、メキシコ国防大臣とお会いいただきます。武器の無制限使用もその時から、ということになります」
フエルサは日本語でそう言う。
「私が隊長の中家です。こちらは部下の北島、西板、南旗、そして東部です」
名前は当然のように偽名だろう。
しかしそれはフエルサも承知している、そのため一人一人に握手を交わす程度で済ました。
それから5人を近くの道路に止めていた公用車へと乗せる。
車の先に国旗が立てられており、車も防弾仕様になっていた。
8人ほど乗れるようになっているが、運転手、フエルサ、そして5人が乗っていた。
「では出発します」
急加速、それに流れるように道路を進み、後部座席で5人は左へ右へと振られていた。
いくらか経った時、どうやら目的地へと到達したようだ。
「ここ、手野グループのホテルですよね」
「ええ、手野ホテルが保有しているメキシコシティ手野ホテルです。ここで国防大臣とお会いいただきます」
公用車は地下駐車場へと入り、入り口すぐ前で止まった。
ここはVIP用のエレベーターもあり、その先に国防大臣は待っているようだ。
ここなら安全だろうということで、ホテルの中へと6人は入った。
VIP専用階層というのがある。
ホテルによってある場合、ない場合とあるが、ここはあるホテルだった。
最上層がそれに充てられており、専用のカードキー以外では入ることができないようになっている。
「国防大臣はこちらでお待ちです」
あらかじめ武器の類を持ち合わせていないことが、廊下でボディチェックで確認され、そのうえで警護とともに入室した。
部屋は何部屋もあるようだが、全体の構造は一目で判断できない。
パニックルームがあることだけは知っているが、宿泊者以外には、VIP専門のスタッフしか知らない。
「大臣閣下、お待たせしてしまい、申し訳ございません」
中家が国防大臣が待っているリビングへと入ると、まず謝る。
「日本人の悪い癖だ。悪くなくともまずは謝る。それをどうにかしたまえ」
「留意します」
スペイン語での会話が続く。
その国防大臣、フランシスコ・クレジェンテは、リビング中央から壁際、大きな黒色の本革で作られた4人が毛ほどのソファーに1人で座っていた。
窓には厚めのカーテンがかけられ、さらにその前に3人の警備が立っている。
テレビは現地のテレビ局がずっとかけられっぱなしで、軽快なラテン音楽が、この場にそぐわない雰囲気を与えていた。
「武装社長さんに言った時には、一個軍団でも来るのかと思っていたのだが。本当に大丈夫なのか、たった5人で」
吸っていた葉巻を、手のひらで消す。
吸い殻は3メートルほど離れたところにあるゴミ箱へ投げ捨てた。
「弱いように見えるのでしたら、ここで御止めになられてもこちらとしましては構いません。ただメキシコの空気を吸いに来ただけ、ということで終わりになりますので」
「いやはや、ここまできて断るという愚か者はおらんだろう」
クレジェンテはテレビのチャンネルを変えさせる。
テレビに直接キーボードを差し込み、それから番号を変える。
「すでに麻薬戦争については知っていると思う。我がメキシコは複数の巨大な麻薬カルテルによって支配されている。それをどうにかしたいと思うのは、ここ数十年の歴代首脳の望みだ」
「よく存じております。特に軍人を複数雇い入れ、強大な軍事力を持っているということも」
よく知られた話だ。
実際、いくつかの麻薬カルテルは、軍人をヘッドハンティングしてその戦術や武器を抱え込んでいる。
「君らに期待しているのは、その麻薬カルテルの中でも1、2を争う凶暴性を有している、新興麻薬カルテルの一つ、バーラの殲滅だ」
男の写真がテレビに映る。
5枚程度のカラー写真、さらにそれを基にして作られた3D映像もある。
「フランシスコ・バーラ。メキシコ海軍海兵隊所属だった彼は、当時あった別の麻薬カルテルに引き抜かれた。部下20人と一緒にな。その後、そのカルテルで運営の方法を学ぶと、新たに麻薬組織を作り上げた。米国国境から数百キロメートル離れた地点を拠点とし、数百から数千人を従えている。大規模なけし畑はいくらつぶしても1週間かからずに復活してくる。大規模な空爆作戦もしたものの、何も効果はなかった」
写真が人の顔から風景に代わる。
何もなかった森林地帯から半年で街ができていた。
その町には独自の行政、司法、立法の組織があるらしく、判明している限りでの建物の説明がつけられている。
「もはや国ですな。少なくとも州政府と同格なほどに」
「その通りだ。いつ独立宣言をしたとしても、おそらくは成り立って行けるほどの力が、彼らにはある。だがそれでは内乱となるのは避けられない。ここまで強大な力になれたのは、米国から流れてきた裏武器のほかに、自力で武器を作り上げているという話もある。スパイを送り込んでも、必ずばれる。そのうえで丁寧にも生きたまま包装して送り届けてくる。精神が完全に壊れた状態でな」
「死よりもつらい生を」
画面にはそんな文字が映っている。
それが彼らのモットーということだろう。
死を与えるよりも、ゆるやかに飼うことでより資産を増やすことができるということのようだ。
「殲滅、ということは組織の完全な破壊ですか」
「そうだ。ほしいのはバーラの身柄確保、あるいは殺害。同時に組織の破壊だ。だが最低限、バーラ殺害は果たしてほしい。それ以外については追加報酬という形をとる」
「承りました。武器については」
「君らが使いたいものを。部下もつれていきたければ」
「いえ、こういうことはコンビネーションがモノを言います。少数精鋭が我々のモットーですので」
武器の使用許可証とともに、中家はクレジェンテと握手を交わし、別のホテルにとってある宿へと5人で向かった。
ここではフエルサはついてこなかった。