3.ブックハンター
「もう帰るか? これ以上やっても傷つくだけだと思うが」
「……そうだな」
カレー屋を出ると、俺とシドは駅の方へと歩き始める。
その途中街の風景を眺めていると、やはりどう考えてもナンパに向いている街ではない。
道路沿いには古くからある古書店が軒を連ねており、純粋に本が好きであろう人たちが書架に並ぶ背表紙を興味深そうに眺めていた。
「さっきも言ったが、もう少し正攻法でいったらどうなんだ。高校生でナンパなんて先が思いやられる」
「うるさいな……高校じゃ女子更衣室に忍び込んだことがあとを引いていて女子にモテる気配皆無なんだよ……」
「自業自得だろ」
「ミミミが悪いだろ! あいつに出会っていなければこんなことには……」
「それなら縁を切ったらどうだ」
それを聞いて、シドは突然歩く足を止めた。
「どうした?」
なにかを考えるように地面を見つめていたが、やがて顔を上げ、俺を真っすぐに見据える。
「確かにあいつはろくでもないやつだし、今からでも縁を切れば僕の人生はもっとまともになるかもしれない。でも……」
「でも?」
「人と人の縁は、簡単に切っちゃいけないと僕は思う。あいつと出会ったのも、きっとなにか意味があるんだ」
「……そうか」
しょうもないやつだと思っていたが、こいつはこいつなりに色々考えているのか。
その時、シドの視線が俺の後ろへと移った。
なにかと思って振り向いてみると、そこにはチャイナドレスを着た美しい女性が立っていた。ぴったりとしたドレスによって、魅惑的な体のラインが際立っている。本格的なメイクもしており、この地味な街では明らかに異質な存在感を放っていた。
どうやら書店で開かれているイベントの客引きをしているらしく、女性に釣られた男たちが次々と店内へ入っていく。
「おい、まさか……」
「め、女神……!」
シドはその美しさに完全にやられていた。おぼつかない足取りで、ゆっくりとチャイナドレスの女性に近づいていく。俺は溜め息を吐き出して、シドのあとを追いかけた。
「あ、あの……」
「げっ」
「げっ?」
「あ、こんにちはー。今中国の珍しい本の展示をやってますうー。良かったら見てってくださーい」
一瞬表情が歪んだのが気になったが、近くで見ると益々その顔立ちの美しさがわかる。シドが心を奪われるのも無理はないが……。
「へ、へえー。中国の本ですか。中国の方ですか?」
「お、うん。そうデスー」
ん……? なにか不自然だ。あの訛り方は明らかに外国の人間のものじゃない。
「あの、仕事が終わったらお茶でも……」
「いいからさっさと見て帰りやがれデスー」
チャイナドレスの女性はそう言って、シドを強引に店内へと押し込んだ。
俺がじっとその女性を見ていると、引きつった笑顔を見せる。
「お連れ様もドゾー」
「失礼ですが、名前は?」
「いいから入らんかい!」
突如ドスの効いた声を発したかと思うと、俺の尻を足蹴にしてこれまた店内に押し込んだ。
まさか……。
・・
店内は中華風の調度品で統一されており、そこかしこに乱雑に古びた本が置かれていた。展示というには適当すぎる気もするが……。
俺が飾られている本を見ようとすると、すぐにチャイナドレスの女性も店内に入ってきて、後ろ手で扉を閉めた。
「お前らほんとタイミングの悪い――」
先ほどとはまったく違う声色でなにかを喋ろうとするが、店の奥で物音がして言葉を切った。
「バイトちゃん、ご飯食べてくるヨ。店番してネ」
現れたのは、店主と思しき小太りの男。こちらの訛りは本物のようだ。
「わかりましたー」
チャイナドレスの女性は過剰に愛嬌を振りまく挨拶で店主を見送る。そして店の扉が閉まるのを確認すると、大げさな溜め息をついた。
「で、なにしに来たわけ?」
「は? え?」
「やっぱりか……」
シドは混乱した様子だったが、さっきの蹴りで俺は悟っていた。
「そっちこそなんでこんなところにいるんだ、ミミミ」
一瞬の間をおいて、
「はあーっ!?」
シドの素っ頓狂な声が店内にこだました。
「仕事だよ仕事」
「はあーっ!?」
「うるさいぞシド」
「はあーっ!!」
まるでそういうおもちゃのように、顎が外れんばかりの勢いで叫ぶ。ダメだこいつ。
ミミミは気にする様子もなく、クレンジングシートで化粧を落とし、胸と尻に仕込んでいたパッドを外して放り投げた。
「かはあーっかはあーっ」
「おい大丈夫か」
軽く過呼吸になりつつあるシドの背をさすりながら、ミミミとの会話を再開する。
「仕事ということは、本か」
「そゆこと。ここらにある本は全部盗品だよ」
「なるほど。元の持ち主に戻すわけだな」
「いえす。ボクの変装、なかなかのもんだっただろ?」
「まぁ、シドの様子を見ればわかるだろう」
シドの心はどこかへ行ってしまったようだった。
・・
あのあと展示されていた本をミミミが用意したレプリカにすり替え、俺たちは帰路についた。
「ちょろい仕事だったわー。あの店主、ちょっと色仕掛けしたら簡単に信用しやがったよ」
「まさかそういう手も使えるとは思わなかった」
確かにミミミの顔は整っている方だったが、普段とのギャップが大きすぎて俺も最初はまったく気がつかなかった。
化粧は恐ろしいものだ。
「で、シド。お茶がどうとか言ってなかった?」
「う、うるさい! 僕は幻を見ていたんだ!」
「幻ねえ」
ミミミは化粧道具をどこからともなく取り出すと、一瞬にして化粧を済ませてチャイナドレスの女性の顔に戻ってみせた。
「ほーら、幻だよー」
「やめろぉ!!」
俺はじゃれ合う二人のうしろを歩きながら、「やっぱりお似合いなんじゃないか」とつい呟いてしまった。
こうして神保町の日は暮れていく。
たまには、こういう休日も悪くない。




