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1.金髪の美女

 暦史書管理機構という組織がある。

 その組織は有史以来歴史の真実を記録し、管理してきた。

 そんな組織に所属していることもあってか、“記録する”という行為に少なからず特別な感情を抱いている。

 果たしてこれが記録に値することなのかはわからないが、そうでもしないと折角の休日を無為に過ごしただけになってしまうので、たまには書き記してみることにする。

 その日、俺は久しぶりに一切の予定がなかった。

 ここ最近はトレーニングに充分な時間を割けていなかったので、朝食を済ませてからとりあえず走ろうと考え、部屋を出ようとしたところでスマートフォンが振動し始めた。

 見ると、シドからの電話だった。

 俺が着信を拒否してもう一度部屋を出ようとすると、すぐにまた着信が。

 仕方なく、応答をタップする。


「なんだ」

『水元、お前一回切っただろ』

「切ったが」

『なんでだよ!』


 このシドというやつは、以前仕事でミミミというブックハンターと行動した際、一緒についてきた眼鏡の男だ。正直ミミミの印象が強すぎてあまり覚えていない。


「なんの用だ?」

『まず切った理由を教えてくれよ』

「これから走ろうと思っていたんだ」

『走る? 折角の休日に?』


 そういえば今日は日曜日で、世間一般も休みの日だった。


「他にすることがないからな」

『つまり暇なんだな?』

「なにを聞いていたんだ。走るって言っただろ」

『そんなに走りたいのか』

「ああ。走りたくて走りたくて気が狂いそうだ」

『よしわかった。じゃあ走って神保町まで来るんだ』

「は?」


    ・・


 律儀に神保町まで来てしまった。

 待ち合わせ場所のコンビニの前では、ツンツン頭の眼鏡の男がアイスを食べて待っていた。


「おお、よく来てくれた」

「なんだ、急に呼び出して」


 俺が尋ねると、シドはアイスの棒をゴミ箱に放り込み、決め顔で言った。


「……ナンパ、したくないか?」

「帰っていいか」

「ちょいちょーい!」


 有無を言わさずに走り去ろうとすると、シドは俺の服の裾を掴んで引き留めようとする。それでも俺は構わず走り続けた。


「おい待て水元! お前の推進力が凄いのはわかった! だがこのままだとお前の服が耐えきれず、この東京の中心で醜態を晒すことになるぞ!」

「お前が手を放してくれれば避けられる事態なんだが」

「絶対に離すもんか!」


 ダメだこいつ……。俺は溜め息をついて、徐々に走るスピードを落としていく。


「ナンパだって? 一人でやればいいだろう。なぜ俺を呼ぶ必要がある」

「一人じゃ怖いんだよ。僕まだ高校生だぞ?」

「なら身の程をわきまえてくれ」

「だけど彼女は欲しい」

「もっとマシな方法があるだろう……」

「ナンパしたいんだよー! 付き合ってくれよー!」


 シドはついに道端に寝転がってじたばたし始めた。

 こいつ……ミミミの影に隠れていて気づかなかったが、単体だとミミミ以上に面倒かもしれない。


「わかったからあまり騒がないでくれ……」

「よし、そうと決まったら話は早い。早速行動開始だ」

「切り替え早いな」


    ・・


 俺はシドに連れられて、テラスのあるカフェにやってきた。ちょうど喉は渇いていたので、アイスコーヒーがやたら美味く感じる。

 日曜の神保町はそれなりに人通りもあり、観光客らしき外国人の姿もちらほらあった。


「ところで、神保町は古書店街として有名な街だろう。正直ナンパに引っかかるような人がいるとはあまり思えないんだが」


 街の様子を見ながら声をかけるが、返事がない。

 見ると、組んだ両手を口元に当て、険しい表情で行き交う人々を見ていた。


「……どうしたんだ」

「しっ、話しかけないでくれ。厳選している」


 呆れてなにも言えなくなった。

 しばらくコーヒーを飲みながらスマートフォンの待ち受け画面を眺めていると、急にシドが立ち上がる。


「あれだ……!」


 シドの視線の先を見ると、そこには絹糸のように艶やかな金髪をなびかせて歩く女性の姿があった。

 観光客だろうか。しかしその整った顔立ちは映画に出てくる女優のようでもある。すれ違う人の半数が振り返るほどだ。


「さすがにハードルが高すぎないか……」

「なにを言っているんだ水元! 最初から低いハードルを狙ってどうする! とりあえず高いハードルに挑戦して、飛び越えられたらラッキーだろ!」

「もう好きにしてくれ……」


 意気揚々と席を立つシド。俺は仕方なく、そのあとについていった。


    ・・


 シドは金髪美女に追いつくと、意を決して声をかけた。


「あ、あの! すみませぬ!」


 武士か。


「ん? なんだ?」


 意外なことに、金髪美女は流暢な日本語で答えた。少し口調に違和感はあったが。


「えっと、その……凄く……さっきそこのカフェで……」


 あれだけ意気込んでいたくせに噛み噛みじゃないか。なにを話すか決めておかなかったのか。


「そこのカフェがどうした?」

「えふっ、すいません。あのー……お綺麗な……」

「そこのカフェであなたを見かけて、気になって声をかけたと言っています」

「そうなんです!」


 シド、お前今凄く情けないぞ。

 金髪美女は少し悩んだ様子だったが、なにかに気づいたように目を見開き、手を拳でポンと叩いた。


「これはナンパってやつだな!」

「そうなんです!」


 他の言葉ももっとはきはき喋ればいいものを。


「んー、申し訳ないんだが――」

「おーい、ナユター」


 金髪美女の背後から、若干目つきの悪い男が歩いてきた。どうやら金髪美女はナユタという名前らしい。


「おお、ケンイチ。今この子たちにナンパされててな」

「ああー、お前外見だけは美人だからな……」

「外見だけとはなんだ! 内面もれっきとしたレディーだろう!」

「まずいい加減その喋り方をなんとかしろよ……普通にしようと思えばできるんだから」

「お前本当に普通の喋り方にした方がいいと思ってるのか?」

「本当に思ってたら結婚なんかするかよ」

「えへへへー」


 なにを見せられているんだ俺は。


「というわけで、すまんが旦那がいるんだ! じゃあな!」

「ナンパ頑張れよー、迷惑にならない程度にな」


 そう言い残して、二人は爽やかな笑顔で去っていった。

 俺の脇ではシドが石像のような真顔をしている。


「帰るか?」

「まだだ……まだ終わらんよ……」

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