博望坡の戦い
さて、劉備は蔡瑁や萠越を返り討ちにしました。
劉表はそれに対してホッとした様子でもあり、劉備に対しての警戒心を強くしたようでもありました。
彼は曹操に降伏するつもりはいないが、蔡瑁に変わって劉備に荊州を乗っ取らっれることを恐れてもいました。
実際に劉備が汝南で曹操の背後を乱し攻めていた荊州に来る前、劉表の下の韓嵩という人は劉表が天下を狙うなら両者の疲弊を狙って攻めるべきだが、その意思がないなら使者をつかわして服属すべき相手を選んでください、もしもこのまま曖昧な態度を貫きますと、両者の恨みを一身に受ます。
と劉表に進言したようです。
しかし、劉表はどれも決断できず、韓嵩に曹操の元へ視察に赴くよう命じ、韓嵩が献帝から官職をもらったら、劉表のために働けなくなると述べたのですが、劉表は構わず派遣し、曹操のもとの朝廷の様子や人々の生活ぶりを観察しました。
そして韓嵩は曹操のもとにいた献帝から侍中に任じられ、帰国すると、曹操に降伏し、人質を差し出すよう劉表に勧めたのです。
そして劉表は曹操との内通を疑い、韓嵩と彼に同行した従者たちを捕らえて全員殺そうとしたのでした。
この時群臣たちは必死に宥めたので、彼は牢に入れられるだけで住みましたが、この後、劉表の配下の家臣たちは、劉表への意見をできなくなっていました。
さて、諸葛亮や徐庶などの新たに加わった軍師たちは彼が述べていたとおりに荊州の戸籍調査を徹底して行い、戸籍に乗ってなかったものを田畑に配置しながら徴兵し、武器や鎧を作れる職人を集め、徴兵した兵に彼が考えた槍をもたせ鎧もまとわせました。
更に兵糧の輸送用の牛車、馬車や大八車などを生産しそういったものを使って的確に輸送を行えるようにもしたのです。
更に指揮に対し規律正しく敏速に動けるように兵士への訓練も施したのです。
もともと小規模な戦闘では決して弱くない劉備の軍は、兵の補給や食料の補給が万全に行われ、正規的な戦いに対応した訓練が施されることで強化され、劉備は張繍が曹操に降伏したことで、曹操の支配下となっていた南陽の諸郡を次々に落として行くことができました。
劉備は葉まで平定しました、ここは豫州と荊州の境です。
曹操は夏侯惇に于禁、李典を従わせて、劉備に対しての兵を出しました。
三国志演義ではもう少しあとに起こる、博望坡の戦いですね。
劉備は趙雲を先方に配置し夏侯惇の軍と交戦させるとわざと敗走させ、自分たちも駐屯地を焼いて後方に逃げ去ったように見せかけました、劉備軍が逃げたとみた夏侯惇は追撃しようとしますが彼に付き従っていた李典が諌めました。
しかし、夏侯惇はそれをききいれず、于禁とともに劉備軍を追いかけてきたのですね。
夏侯惇らははたして賊の伏兵の中に入りこみ、夏侯惇と于禁は討ち取られ、李典は救援にかけつけたのですが間に合わず退却したのでした。
それを聞いた私の胸中は複雑でした。
「叔父上がなくなりましたか……」
曹操と敵対する劉備のもとに身を寄せればこういうことが起こるのは当然ですが、少しだけ胸が痛みました。
父である夏侯淵や医師として仕えていた曹操ほど、仲が良かった訳ではないものの、比較的近しい人であったのは間違いがないのですから。