第九十二話 玲子と道人
だがいくら待っても、俺の頭部に道人が放ってきた『屍喰』の衝撃が伝わることも、また俺の命が潰える喪失感も襲ってはこなかった。
俺は恐る恐る目を開いていった。
開いた俺の視界に映っていたのは、桧山玲子が俺に飛ばされた『屍喰』を、神刀。『黒髪姫』によって、斬り落としている光景だった。
「どういうつもりだ玲子?」
俺に左手を向けたままの道人が、いささか怒気を含んだ物言いで玲子に問いかけてくる。
「この悪鬼は、元々私が矛を交えていた私の獲物なのでな。横槍を入れて来た道人。貴様にくれてやるには、いささか惜しくなった」
「そのような戯言が通ると思っているのか?」
「ふんっ道人。貴様がどう思おうがこいつは私の獲物だ。貴様にもほかの陰陽師にもやらん!」
「陰陽師が悪鬼の命を救うとはな。玲子。我が陰陽連に報告を入れれば、主の陰陽師としての生を殺すほどの懲罰ものぞ?」
「それでも、この悪鬼との決着は私自身の手で付けるとすでに決めている」
「そのような戯言。本当にこの場で通ると思っているのか?」
「無理。だろうな。だが道人。先ほど私や六花に貴様がした仕打ち。よもや忘れたとは言わせぬぞ?」
「仕打ちとは?」
「屍鳥が上空より放った『死喰い羽』についてだ」
「?」
「貴様の式である屍鳥が上空より、解き放ってきたあの『死喰い羽』は、私や六花に対しても向かってきていた。それについて道人、貴様はどう申し開きをするつもりだ!」
「これは異なことを言う。陰陽師足るもの。悪鬼羅刹を相手にすることなど日常茶飯事。あの程度の術、軽くかわして当然であろう?」
「道人。貴様の言い分は理解できる。理解できる。が、あの攻撃は、私はともかく六花ではかわしきれないとわかっていたはずだ? それでも貴様は眼下にいる六花もろとも上空から『死喰い羽』を振らせてきた。そこの悪鬼が六花の身を護らねば、間違いなく六花はかなりの手傷を負っていたはずだっいや、致命傷足りえる傷を負っていたかもしれんっこの責任どうとるつもりだ道人!」
「その時は六花殿が陰陽師になり、悪鬼羅刹と戦う力がなかった。ただそれだけのことだ」
六花のように力無き者には生きる価値すらない。と暗に言っているような道人の冷徹な言い回しに、玲子の方眉がピクリと反応し、腰に差している刀の柄に手をかける。
道人はそんな玲子の行動を見て、面白そうに顔を歪める。
そうして、しばらくの間二人の間に無言の睨み合いが続く思われたのだが、先に折れたのは道人の方だった。
「よかろう玲子。忙しき身ゆえ、今回はお主に免じて引いてやる。どのみち我が漆喰を受け、力の大半を失った以上、その悪鬼も長くはもつまい。煮るなり焼くなり好きにするがいい」
これで交渉は終わりだというように、道人が俺に向けていた左手を下げる。
「なら、そうさせてもらおう」
玲子も道人に答えるように、刀の柄から手を離した。
玲子との交渉が終わると道人は、俺への興味は失せたのか村の外。俺がこの村に足を踏み入れて、先ほどの大量の大鬼や餓鬼の群れが現れた小さな丘へと視線を向ける。
「して玲子。この阿倍野道人は、鬼が大量にあふれた原因を探るために、これより餓鬼洞に向かうが、お主はその悪鬼を始末した後どうする? 我と共に来るか?」
「断る。私は六花を無事に春明の元に届け、現状を報告する義務があるからな」
「ふむ。まぁ来るにしろ来ないにしろ。どのみち車の運転のできぬ玲子や六花殿たちでは、悪鬼を始末したのちの足は必要であろう? 我が式。屍鳥を貸そう」
「いらぬ」
「そうか、ならばしかたあるまい。では玲子。この道人。ここでゆるりとくつろいでおるような余裕も時間もないのでな。またいずれ会おうぞ」
玲子に向かって捨て台詞を吐いた道人は、骸鳥に飛び乗ると、大鬼や餓鬼の群れが溢れ出した原因と思われる餓鬼洞目指して飛び去って行った。