第百八話 阿倍野春明② 春明の昔語りと道人の過去
「時に道人の一家は阿倍野家と双璧を成す優秀な陰陽師一家であった。阿倍野道人の本当の家名は、足利。足利道人という。今は理由あって、道人は足利の姓を捨てて、阿倍野姓を名乗っているのだ。それというのも、過去この陰陽連の陰陽頭を決めるための陰陽合わせの技において、我が阿倍野家と足利家と互いに陰陽術で競い合ったことが始まりなのだ。陰陽合わせの技。つまりは、互いの陰陽術の力比べの末に、当時阿倍野家の筆頭陰陽師であったわしは、足利家の筆頭陰陽師であった足利道祭に、辛くも勝利し、陰陽連の陰陽頭の地位を得たのだ。その結果。わしに敗北を喫した道人の父は、このような勝負は無効だと陰陽連に訴え出たのだ。だが当然すでについた勝敗について、陰陽連が道祭の訴えを聞き入れ、その判定を覆すことがなかった。そのため自らの抗議が訴えられず、陰陽頭になれなかった道祭は、わしと陰陽連を心の底から深く呪ったのだ」
「道祭というもの。ずいぶんと自分勝手でございますな」
春明の言葉を聞きながら、保春が感想を漏らす。
「うむ。しかし道祭の奴も、わしが阿倍野家を背負うのと同じく足利家を背負っていたのじゃからな。それもいた仕方なき事。そして、わしと陰陽連を心の底から呪った道人の父、足利道祭は、この時。わしと陰陽連に陰ながら復讐を誓ったのだ。そしてそれから、一年もたたぬうちに、道祭は、事を起こしおったのだ」
「事とはもしや」
「うむ。あろうことに道祭は、わしと陰陽連に復讐するためだけに、この世に決してあってはならぬ地獄門をこの世に作り出し、わしと陰陽連。ひいては、この世の人々を文字通り悪鬼羅刹の徘徊する地獄に付き落とそうとしたのだ。だが、自分一人で開ける地獄門ごときでは、この世を地獄に貶めることなど到底不可能だということは、道祭自身よくわかっていた。そこで道祭はあろうことか、自分自身の妻であり、道人の母である類い稀なる呪術の素質を持っていた小冬を生贄とし、より巨大な地獄門を現世に開こうとしたのだ」
保春が陰陽頭争いの陰の政争を聞いて、思わずゴクリと生つばを飲み込む。
「だが、道祭が事を起こす少し前に、道祭の野望にいち早く気付いたわしと陰陽連が、道祭の奴が巨大な地獄門を生み出す前に無力化しようとしたのじゃが、時すでに遅く。残念ながら小冬を助けることは間に合わずに巨大な地獄門が開いてしまったのだ。だが、それでもその地獄門の大きさからすればこの世を地獄たらしめるには、圧倒的に地獄門の大きさが足りなかったために、あろうことか道祭は、自分と小冬の実の息子である道人を、地獄門の次の生贄としたのだ」
己の野望や復讐のためには、自分の妻や実の子さえも生贄にする道祭のやり方に、保春は戦慄し、ただ春明の語る昔話に耳を傾けることしかできなかった。
「だが道人が道祭によって地獄の贄にされる寸前のところで、わしと陰陽連の者たちが地獄門から溢れ出した悪鬼羅刹たちを何とか調伏しながら道祭の元にたどり着き、道人を生贄にしようとする道祭を倒し、道人を救うことに成功したのだ。しかし残念ながらその時の戦いで、道人の二親である道を踏み外し、悪道の道を歩んでしまった道人の父親である道祭も、母親である小冬も救うことができずこの世を去ってしまったのだ。そうして、当時の道人に残ったのは、足利道祭が謀反を起こしたという事実とその罪。そして、実の二親を一瞬にして失ってしまったという事実だけだったのだ」
「それは何とも、当時まだ年端も行かぬ一少年にすぎなかった道人殿にとっては、厳しい状況にございますな」
「うむ。道人もあれでなかなかに苦労しておるのだ。そして、陰陽頭争いに敗れた足利家が地獄門を使い謀反を起こしたという罪は、道祭だけにとどまらず、此度の騒ぎで二親を一気になくした道祭の謀反を成功させるための贄にされかかった被害者であるはずの道人にも、情け容赦なく向かったのだ」
「いかに道祭の実子と言えど、当時生け贄にされかかった被害者である道人に、足利道祭の起こした謀反の罪を背負わせるというのは、あまりに軽率なのでは?」
「うむ。当時のわしもそう思ったのだが、当時陰陽頭になりたてのわしでは力及ばず、道人を庇いきれなかったのだ。とにかく当時そうして身寄りの一切がなくなり、陰陽連から足利の一門である道祭の実子であるというだけで、謀反の罪を着せられ裁かれようとしている道人を放っておけなかったわしは、陰陽連で絶大な権力を誇っていた当時の陰陽連の実力者たちと交渉し、道祭の起こした謀反の罪を息子に引き継がせるのをやめる代わりに、道人に足利の姓を捨てさせると共に、わしが道人の身元引受人となり、阿倍野姓を名乗らせわしら阿倍野家の子として育てたのだ。これが当時。陰陽頭になりたてのわしにできる悪道に走ったとはいえ道人の父親を奪ってしまった当時のわしにできる精いっぱいの誠意じゃった。それからじゃ。道人が地獄に対して、異様な執着を見せるようになったのは。じゃから道人を地獄門と引き合わせてはならぬ。きっと何かよからぬことが間違いなく起きる」
「そのような事情が。では、春明様。急ぎ餓鬼洞に手練れの結界術師を送りましょう」
「うむ」
春明と保春が互いに頷き合っていた。
その時である。餓鬼洞のある方角から、物凄い瘴気が天に向かって立ち上ったのは。
「春明様」
「これは……保春。手練れとはいえ、ただの結界術師たちだけでは手に負えそうもない。餓鬼洞にはわしも向かおう」
「はっ」
そう告げた春明が、少しばかり開けた中庭の端が崖になっている場所へと歩を進めると、右手の人差し指と中指を立てて印を結び呪を口づさむ。
「気高き白き翼にて、雲海を泳ぐが如し、羽ばたくものよ。出でよ、我が式十二支が一支、十番目の酉 (とり)。白梟救急如律令!」
春明が需を唱え終わると、崖の先端部に白き純白の巨大な白梟が、出現した。
陰陽頭である春明の扱う十二支と呼ばれる式のうちの一体。酉 (とり)の白梟である。
白梟は、現世に姿を現すと共に、静かに己の役目を果たすため。全長八メートルにも及ぶ巨大な白き羽を広げる。
春明が老体とは思えぬ身のこなしで白梟の背に飛び乗ると、白梟に命を下した。
「白梟よ、悪しき瘴気の立ち上る地へ、我を運べ」
春明の命を受けた白梟は、了解の意を示すように、白き巨大な翼をはためかせた。
そう陰陽頭とはただ上に鎮座し偉そうにしているような公的機関のトップのようなものではなく、皆をまとめ上げるだけの真の実力を持ち、いざという時我が身を顧みず、真っ先に矢面に立つ役目を率先して担う。陰陽連の最大実力者のことなのである。
「保春っ後のことは頼む」
春明が保春にそう言伝を残すと、春明をその背に乗せ、羽ばたき始めた白梟は、瘴気立ち上る餓鬼洞に向かって獰猛な猛禽類をはるかに超える速度で天を駆けて行った。